第14話 蒙昧の対価
マレ皇国で起きた軍部によるクーデターの知らせに、王宮は大きく揺れた。
海を挟んだ隣国であるマレとは、直接国境を接していないため、国防の観点での危機感は薄いが、政治的な介入をどの程度行うか、議論が分かれたからである。
王太子の婚約者がマレの皇女であることから、二国間の関係性はこの1年で大きく変わっていた。
ルークも同行した使節団により新たな条約が締結され、様々な品物の輸出入が増え、経済交流が活発になった。
文化交流が盛んになり、マレの舞などの伝統芸能がケイリッヒ王都で多く公演されるようになった。
一方で政治的な条約については、数十年前に結ばれた、不戦条約があるだけ。いまだ大きな変化はなかった。
国家の主要な方針を決める中央議会は、王宮の会議場にて行われ、国王はじめ、大臣、将軍などこの国の主だった面々が集まっている。
ケイリッヒでは、この中央議会での議論の結果を、最終的に国王が決裁する形で国の方針が決められる。
今回のマレ皇国のクーデターに際し、国家の方針として示された案は二つあった。
一つは、「マレ皇国」を尊重し、不戦条約を守り、マレの国内紛争を静観する案。
理由は、
・軍部の新政権は単純な政権交代であるため、「マレ皇国」との不戦条約は有効であること。
・マレの石油の重要性は認知されていたが、すでに「マレ皇国」との石油に対する条約は締結されているため、弊害はないこと。
二つ目は、「マレ皇家」を支援して、軍部を敵とする軍事介入を行う案。
理由は、
・クーデターを起こした軍部は、反乱軍であり、現状のマレ皇国は、「マレ皇家」の統治下にあること。求めに応じて軍を動かしても、不戦条約違反には当たらない。
・クーデターが成功した場合、新政権の外交戦略が不明確であり、石油に関する既存条約を守るかは未知数であること。
・皇女がケイリッヒ王国王太子の婚約者である以上、マレ皇家はケイリッヒ王国の親族であり、これを支持するのはケイリッヒ王家の威信を維持するためにも必要であること。
要は、ケイリッヒがつくのが、「マレ皇国」なのか、「マレ皇家」なのか。
「マレ皇国」ならば、「静観」
「マレ皇家」ならば、「軍事介入」
当然のことながら、議論は、「静観」よりに傾いた。
ルークは、黙って議論の趨勢を見守っていた。
マレの皇女を婚約者として持つルークの発言は、私情を含んでいると取られるし、今、余計な情報を議会に与えたくなかった。
ルークは、このクーデターには、マレの隣国であるキーランがかんでいることをつかんでいた。
マレの軍の財務記録を入手したが、軍が単独で軍備費用や今回の出兵を賄うだけの予算はもっていない。財源は、キーランと読むのが妥当だ。
なんらかの密約が交わされているのはあるルートからも情報があり、明らかだった。
ルークの推測するそれは、マレの油田地帯のキーランへの割譲だった。
不戦条約を守り、静観して、マレの政権交代を受け入れた場合、マレの油田はなくなってしまう。
マレに油田がなければ、マレとの優位性の高い条約が全て無駄になる。
そこで、マレの政権交代は軍事介入をしてでも防がなければならない、という結論に向かえばよいが、このことは逆に、静観を支持するものにとっては、別の議論を呼び込んでしまう可能性があった。
マレに油田がなくなってしまった場合、マレ皇女との婚約は、政略上意味を持たなくなってしまうのだ。
ケイリッヒは貿易上さしてうま味のないマレとの関係をきって、キーランとの関係を構築するという選択肢が出てきてしまう。
それこそ、マレ皇女との婚約を破棄して、キーランの王女と婚約を、などという話も出てきかねなかった。
現時点では密約の中身は全て推測でしかない。
ここでこの情報を示す必要はない。
逆に、この推測は、父である国王にさえ知られてはならなかった。
ルークのすべきことは一つだ。
秘密裏にこの密約を破棄させねばならない。
そして、その後、議場にクーデターの首謀者に関する新たな知らせがもたらされ、議会はさらに混迷を極めた。
◇◇◇◇◇◇
マレで発生したクーデターについての知らせが来た時、ルークはすぐにバステトを呼んで知らせてくれた。
びっくりして何も言えなくなってしまったバステトをそっと抱きしめて、何度も肩と頭をなでてくれた。
大丈夫だ、心配することはない、と言い含めるように優しく囁いてくれて、とても安心できた。
ルークは、しばらく王宮で議会が続くため学園に来るのは難しいが、詳しい状況がわかったらすぐに知らせる、と気遣ってくれた。
その後も情報が入ると、手紙が送られてきた。
バステトの父母をはじめ、皇族は皆無事なこと。
皇都は封鎖されているが、近衛と皇都警備隊は皇族を守っており、軍部はうかつに手を出せない状況だということ。
死者はほとんど出ていないということ。
バステトは、少ない情報から、安心できる材料を探して、ルークからの手紙の内容にほっとするのだった。
ルークが王宮に発ってから、バステトには、ミケーネが付き添うようになった。
今までは、舞のレッスンの時だけだったのが、四六時中一緒にいる。
故郷のことで不安定になっているバステトを気づかっているのだろう。
なるべく、クーデターの件には触れないように、自然にふるまっているのが、バステトにはありがたかった。
王太子執務室分室には、ルーク不在の今、執務のための補佐官が数名だけ常駐しているのみだ。
だが、バステトは、今日はルークが来ているかもしれないと、ルークの姿を探して、毎日のようにそちらへ足を運んでしまうのだった。
ミケーネもついてきてくれる。
「心配なのはわかるけど、心配しすぎてあんたが体壊してもしょうがないから、適度に息抜きするのよ」
ミケーネは、バステトにやさしい。
「ん」
「くだらないおしゃべりも息抜きのうちなのよ。そうね、だから王子を煽る作戦とか、女を磨く作戦とかいろいろ中途半端のままだし、そっちの準備でもするのはどう?」
ミケーネは、首のチョーカーをなでながら首をかしげる。
「ん」
やさしくされると涙が出てきてしまう。
「もうっ、あんたなんていい子なのよ!」
「ん」
ミケーネは、バステトの頭をなでて、胸に抱き寄せてくれた。
王太子執務室分室の側の廊下のアルコープで、ミケーネとバステトは座り込んだ。
令嬢にあるまじき行為だけれど、今は気にしないことにした。
ここの廊下は全くと言っていいほど人が通らない。
バステトは、ミケーネに寄りかかって、甘えることにした。
そんな中、王太子執務室分室の扉が閉まり切っていなかったのか、補佐官達の会話が聞こえてきた。
「クーデターの首謀者の一人は、ハサン=カマルだそうだ」
「皇帝の甥とはいえ、まだ少年じゃなかったか? 担がれて利用されているのか?マレの軍部もなりふり構っていられない感じだなあ」
「いや、それが、かなり優秀ならしくて、皇都付近の都市を落としたのは彼の指揮だとか」
「じゃあ、なんだ、皇帝になりたかったってことか?」
「……いや、それが、どうも、バステト様が原因らしい」
どういう、こと?
バステトは、分室に飛び込みたい気持ちを抑えた。
バステトが中に入ったら、この人たちは口をつぐんでしまうに違いない。
わからない言葉も多かったが、必死にバステトは耳を澄ませた。
その後も会話は続く。
何から何まで知らない情報だった。
もう何年も前からマレは、軍部と王家・神殿陣営とで争う危険な状態だったらしい。
今回、軍がとうとう行動を起こしたのは、皇帝の甥、神殿の高位神官の息子である高貴な血筋のハサン=カマルが軍部についたためだった。これにより、皇家と神殿の取り崩しがうまくいき、軍部の支持者が増え絶好の機会となったためだと。
そして、ハサン=カマルの軍部についた最大の理由は、婚約者だったマレの舞姫バステト皇女を皇帝と神殿に取り上げられたことを恨みに思ってのことだと。
どうやって部屋に戻ってきたのかは覚えていない。
月の光が差し込んでくる窓辺でバステトは、一人、膝をかかえて、月を見上げていた。
眦から涙が落ちる。
バステトは、月明かりの下、体をすくめる。
何も知らなかった自分に愕然とした。
軍部と皇家や神殿が争っていたことも知らなかった。
ハサンのことも、何かの間違いだと思うけれど、国内が危ない状態だったことすら知らなかったバステトは、そう思う自分を信じることができない。
ハサンが、帰ってきたら結婚しましょうねと言った時、12歳の男の子が言ってくれたことをかわいい弟の言ってることだと思って、本気で考えてなかった。
ルークとの婚約が決まった時、バステトは、はじめは、婚約破棄して戻るからと、ハサンに手紙を書いた。
でも、そのあと、もう一度手紙を書いて、ルークを好きになってしまったこと。血の誓約がなされて、もうマレには戻れなくなってしまったことを伝えた。
ハサンは、どの手紙の返事にも、わかった、姉さまを応援してる、おめでとう、なんて書いてくれて、恋愛にかかわるようなことは、一言も書かれていなかった。
ハサンは、きっと、姉弟のような気持ちで、私を送り出してくれるんだと疑いもしなかった。
バステトとルークの婚約は、ハサンにとって、とてもひどい裏切りだったのだろうか?
クーデターを起こすほど、バステトを大事に思ってくれていた?
馬鹿なバステトが気づかなかっただけで、ハサンは、バステトがルークを思うような気持ちで、バステトを愛してくれてた?
だから、苦しんで、苦しんで軍に手を貸したの?
もし、ハサンがそんな気持ちでいるなら、向き合ってこなかった自分はなんて愚かだったのだろう。
バステトは、空を見上げた。
ハサンは、バステトと同じ月を見ているのだろうか?
幼いころ、一緒に月を見上げたことを思い出す。
でも、同じ月を見ているのに、今は、こんなにも、心が遠い。
バステトは、愚かだ。
大切なことに、何も気づかない愚か者だ。
そして、自己嫌悪で、押しつぶされそうになりながら、救いを求めて、その名をつぶやいてしまう。
「ルーク」
眦から、再び涙が落ちる。
声が、聴きたい。
こんな時にもすがってしまう愚かな自分が、たまらなく情けなかった。
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