第13話 争乱の幕あけ
「だから女を磨くことした」
「あっははは。それ、王子、違うこと期待してんじゃないの??」
放課後、貸切ったダンスルームで、子爵令嬢もとい、マレの隣国キーランから送りこまれた暗殺者ミケーネは、バステトとルークとのお昼のやり取りに大笑いをした。彼女は今はバステト皇女の数少ない貴重な友人という座に収まっている。
「どういう意味だ?」
ミケーネは、顔をしかめるバステトににやりとして続けた。
「男は、好きとか嫌いとかの前に、体が反応するものなの」
「からだ?はんのう?」
「そっ。前に★◇□▲※のこと、教えてあげたでしょ?」
「ああ。恋愛的な気持ちが大きくなると、自然にしたくなるってミケーネが言った」
「そう、でもね、そういう気持ちが少しぐらい足りなくても、男ってのは、女がくっついてきて、煽られると我慢できなくなっちゃうの」
「好きがたりなくてもできるのか?」
「そうよー。男ってのはそんな生き物だから。でも、子供ができれば結果は同じでしょ?」
「うむ、同じだ」
「王子もそれを知ってるから、そっちを期待してるかもしれないわねー」
「なるほど……。女を磨いて好きになってもらって、自然にしたくなってもらうより、そっちの方が結果には早くたどり着く。ミケーネは賢いな。……で、煽るとはどうすればいいのだ?」
ミケーネは、誘導にのって来たバステトにニヤニヤしてしまうのを隠せない。
間違ってはいけない。ミケーネは、断じて面白がっているわけではない。これは親切なのだ。
ちっとも気持ちが通じない不憫な王子様への、臣下にできる最大限の応援なのだ。
皇女に迫られた方が、あの王子も喜ぶだろう。
繰り返すが、誰がどう見てもこれは親切なのだ。
その証拠に、周りの影たちもこの会話を止めもしない。
「そうねー。キスはする?」
「したことは、……ある」
「じゃあ、キスの時に……舌をね……それから……」
ミケーネは、かなり具体的に卑猥な言葉を使ったつもりだった。
このかわいい皇女の顔を真っ赤にさせて恥ずかしがらせて反応を楽しむつもりだったのだ。
それなのに。
「ん? それって、飴玉をもらうのとどう違うのだ?」
「何言ってんの?」
「だって、ルークは、いつも飴玉をくれるときにそれをする。サクールの飴玉は空気に触れると溶けやすいから、そうするしかないんだって。口の中で包み紙を剥くんだけど、私がうまく剥けないから、いつもそうやって食べさせてくれる」
「……っ」
「ルークは、人にものを食べさせるのが好きだし、食べさせ方もとても上手だ」
思わずこっちが照れてしまったではないか!
何やってるんだあの王子。
くやしい。色を扱う女暗殺者のプライドにかけて、男を手玉に取るもっとすごいやり方を伝授しなければ!
しかし、ミケーネがさらに口を開きかけたとき、ミケーネの首元のチョーカーからびりっと刺激が走る。これは、警告だ。
(ミケーネ。そこまでだ。)
ミケーネは、首のチョーカーをいじりながら、すっと気持ち切り替える。
「皇女様、休憩は終わりです。ミケーネに、姫様の舞を伝授してくださいませ」
◇◇◇◇◇◇
ミケーネは、マレの隣国キーランの生まれだ。
物心ついたときには親の記憶はなく、スラムでドブネズミのような生活を送っていた。
両親か片親か、どちらかは外国の人間だったらしく、浅黒い肌の人々の中でミケーネの白い肌は目立った。
自分の肌の色がよからぬ考えをもつ大人を引き寄せるのだと気づいたとき、ミケーネは、泥で肌を汚すことを覚えた。
自分が賢しく、運動能力が人より優れていることは、スラムで暮らすうちに気づいた。
その能力を買われ、ある組織に拾われ、暗殺の技能を仕込まれる。
そんな中、皇女の暗殺依頼。
スラムで親代わりの子供たちを盾に、国外での仕事だが断れなかった。
ケイリッヒ風の顔立ちが、今回の仕事にぴったりだったという。
言葉は、覚えるのが得意なので、さして苦労をしなかった。
ところが、病気で来られなくなったという子爵令嬢に成り代わり、学園に侵入するまではスムーズだったが、そこからは全くうまくいかなくなった。
皇女に手練れの護衛が何人もついていて、とても近づける状態ではなかったのだ。
マレの護衛が張り付いているんだと思ってた。
逆に王子ががらあき。
それを上に伝えたら、ターゲットを切り替えるよう指示が入った。
皇女の暗殺命令は中止。王子の暗殺命令に切り替わった。
ミケーネは、キーラン出身。この国については必要情報しか持っていない。
当然、影の騎士の話も聞かされていなかった。
さらに、末端のミケーネは、ケイリッヒやマレに混乱を招くのが目的ならそれもありだと思った程度で、命令の意味まで深く考えることはしない。
そして、当然のごとく失敗した。
王子の背後には影の騎士とかいうとんでもないのがいて、泳がされた挙句、あっという間に情報ルートどころか組織ごとつぶされてしまった。
後で聞かされたところ、大陸の列強の裏社会では、ケイリッヒの影の騎士というのは非常に有名らしく、王族に手を出そうなどと考えるバカはいないらしい。
確実に失敗する、捕まるリスクのある命令が出された。王子の暗殺指令自体がすでにフェイクだったんだろう。今考えるとあの時は指示系統が少しおかしかった気がする。その時には、すでに組織に何かされていたのかもしれない。
「さて、君にはいくつか選択肢がある」
捕まったミケーネにあの王子が別人のように冷たい声で言った。
「このまま死ぬか、俺に死ぬまで飼われるか」
「色っぽい意味じゃあないんだよね、っぐっ」
側近の大男に腕をねじ上げられた。
飼われる選択を残したということは、多少は交渉の余地があるということか。ミケーネは、唇をなめた。
「一つ、条件がある。キーランに残してきた、私が面倒を見てるやつらがいる。そいつらに、定期的に援助をしたい。それをしてくれるなら、喜んで飼い殺される。そいつらをおさえとけば、私は裏切らないよ。いい条件だろう?」
ミケーネは、死を恐れてはいない。いつか自分がろくでもない死に方をするのはわかっていた。
死ぬのは必然で、いつ死ぬかだけだ。
だから、この条件さえ適えば、他はどうでもよかった。全部くれてやってもいい。
「ふーん」
ルークは、ミケーネの覚悟を感じ取ったのか、調べろ、と背後に向かって小さくつぶやくと、ミケーネのあごをつかんで上を向かせた。
この男、遠慮がない。ミケーネは、痛みにたえて、口をつぐんだ。
興味なさそうに手を離すと、そのまま無遠慮にミケーネの体をじろじろ見る。
王子に取り押さえられる前に、服は乱れてあちこちあらわになっていた。
ルークは、使えるかな、と小さくつぶやきながら、あごに手を当てた。
やがて、何かを決めたのか、ミケーネを見下ろして、凄絶な笑みを浮かべる。
「いいだろう。隷属の首輪はつけてもらうけどね。君には、これからある役目を与える。それができたら、君の言う、キーランの関係者、僕がまとめて面倒見てあげるよ。そのためにも、まずはバステトに舞を教わって」
「君の役目は、……」
ミケーネは、目を見張り、覚悟を決めた。
◇◇◇◇◇◇
その日、ケイリッヒの王宮に、マレからの急使が訪れ、ある知らせを告げた。
王宮では、即座に詳細情報入手の指示が影の騎士団に出され、急遽対策を決める議会が招集されることとなる。
「殿下、王宮から早馬が……」
夕方、ルークのいる王太子執務室分室が、にわかに騒がしくなる。
執務室付きの数人の補佐官が、あわただしく動き回る。
ルークの元に、王宮からの火急の使者が駆け込んできたのだ。
ルークは、その文書を受け取ると、目を通し、握り締める。
「っ、予定より早い」
その表情にいつもの余裕はなく、焦燥が浮かんでいた。
――その知らせはマレ皇国でのクーデター発生を告げるものだった。
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