第9話 王子の回想~マレの祝祭

 それは、1年前のこと。


 ケイリッヒ王国の第一王子にして王太子、国民に絶大な人気を誇る、朱金の髪と浅葱色の瞳を持つ美貌の王子ルークは、その年、学園の夏季休暇を利用して、砂漠とオアシスの国マレへの視察団に加わっていた。


 マレは、ケイリッヒと海を挟んで南にある、歴史ある国家だ。

 国土の半分ほどが砂漠であるこの国は、翡翠などの貴石の産地として知られている。

 この国の民は器用なものが多く、貴石の加工や、美しい織物などの手工業が非常に盛んで、ケイリッヒとは海を挟んでの海上貿易が行われていた。

 海路は穏やかでほとんど荒れることはなく、格好の取引相手ではあったが、いかんせんマレの産業の規模は大国ケイリッヒに対して小さく、貿易の規模としては上どまりとなってしまっているのが残念なところだった。


 視察団の主な目的は、貿易拡大を目指してのマレの産業の視察だ。

 ただし、ルークの狙いは別にあった。


 マレの持つ砂漠に眠る資源、石油だ。

 今はまだ、この資源の有用性に気づいている国は、ほとんどない。

 石油も火をつけるのに使われる程度だ。


 しかし、ケイリッヒの研究機関では石炭に代わる資源として、石油を用いた研究が進んでいる。

 その有用性は明らかで、世界に革命をもたらす力を秘めている。

 10年後には、世界各国が石油を求めることになる。

 マレは、一気に世界の中軸へ躍り出るだろう。

 それに先んじて、今のケイリッヒが優位なうちに、関係を強化し、有利な条約を結ぶ。

 ルークは、そのためにこの国に来ていた。




 視察は数日前に終わり、油田の確認も秘密裏に済ませた。

 条約については、調整も無事に終わり、調印は、文書を整えて別途事務官が対応することとなった。

 石油についての条約は、価値を認められていない今、輸出入の品目の一つという位置づけですませることができた。狙い通りの出来だった。


 そして、早くに予定は終わり、ぽっかりと開いた数日間。

 折しもこの日は、数日間続くアメルとよばれる祝祭が始まった日だった。

 ルークは、護衛のエルマーらを連れて、祝祭を楽しむために、祭りの中心地である皇都ハシュールの中央広場を訪れることにした。


 アメルは、国を挙げて行われるマレの祝祭だ。民の間では、盛大な祭りが開かれる。そして、この祝祭は古代より伝わるマレの神事でもあった。最終日には皇都の中央神殿で盛大な神事が執り行われるのだ。


 多神教であるこの国では、様々な事柄をつかさどる複数の神々が民に信仰されている。民は、その時々に事由に応じた神々を敬いあがめるのだが、この祭りでは全ての神々がこの地に降りてきて、民に混じって人々と喜びを分かち合う。


 祝祭の面は神々を模しており、地に降りた神々が人に混じりやすくするためにつけるもので、行きかう人々の約半数が面をつけて祭りを楽しんでいた。


 ケイリッヒ人は、肌の色が違い、人目を引く。目立つのを避ける意味もあり、ルーク達は面を被り、祭りを楽しんでいた。


 そんな中、街中の活気ある市場や商店街、祭りの出し物など異国の雰囲気を楽しみながら過ごしていると、その少女の姿が目に入ったのだった。


 彼女は、面をつけていない。愛くるしい顔立ちで、大きな緑の瞳をきょろきょろとさせ、軽やかに歩き回る姿は、猫を思わせた。

 身に着けた衣服は華美ではなかったが、周りからは明らかに一線を画している質の良いものだ。

 年のころは14,5歳といったところか。

 護衛なしに出歩くような身分の少女には見えなかった。


 バステト皇女。

 歓迎の祝賀会の際に見かけた、マレの第13皇女だ。


 まずいな。

 ルークは、彼女に降りかかる、周りの視線に気づく。

 好奇心が大勢。

 下心程度の悪意が少し。


 ――明確な、殺意が1つ。


「ヴァルター、ヨナス」

 彼は、護衛の騎士に声をかけた。


 エルマーは、傍らに控えたまま、わずかに緊張するが動かない。

 彼の役目は、王太子の護衛。傍らから離れることはない。


 ほどなく、殺意が、消えた。


 優秀な彼の騎士達が主の意を汲んでうまく処理したのだろう。


 少女は、もちろん全く気付いてないようだ。

 これ以上は、面倒だ。

 相手にケイリッヒの王子だとばれてすり寄られても困る。

 

 だが、護衛や付き添いの者は現れない。


 下心をもった輩が近づいていくのをみて、皇帝に恩を売ってやるのもいいかと、ルークは、ため息をつきながら彼女に助け舟を出すべく声をかけたのだった。


 

  ◇◇◇◇◇◇



 正直に言って厄介な少女だった。


 相手が誰であるか気づき、恩を売ろうと思ったのは自分だ。

 だが、早々に行動と思考の読めないこの少女相手にそんなことを考えたことを後悔していた。



『銀狐、次はあれだ! あれが食べたい! ところであれは甘いのか? 辛いのか? おいしいのか?』

 ルークの目の前には、浮かれはしゃいだ声で祝祭の屋台の食べ物を物色しながら、人懐っこい翠の目をこちらに向ける、黒髪の少女がいる。銀狐とは、ルークがつけている面のことだ。

 疑問と要求の順番が逆ではないか?という突っ込みを内心でしつつ、ルークは憮然とした声で返事をした。


『僕が知る訳ないだろう』

『じゃあ、一緒に食べればいい! 店主、二つ欲しい。これとあっちの色違いも!』


 ルークの不機嫌そうな声を気にする様子もなく、警戒心の薄すぎるこの少女は、屋台から2本の得体のしれない串焼きを受けとった。一本をルークに渡し、自分は早速かじりつく。


 おい、金を払ってないだろう!


 ルークが目配せすると護衛のエルマーが、支払いを済ませた。もちろん少女は気づいていない。


『ねえ、銀狐! これは甘い! おいしい。わけてあげる、ほら、あーん』

『……』

 カーニバルに参加者の例に漏れず顔の半分を隠すお面を被ったルークは銀狐の面の下で渋面を浮かべた。

 この少女は、あろうことか、王太子たる自分の口元に串焼きを近づけてくる。

 視界の隅では狼の面を被ったエルマーが、同じ串焼きをムシャムシャしながらOKサインを出している。

 違う!そうじゃない!毒見そっちじゃない。


 訴えかけるような少女の目を見て、何かを失くすような気がしたが、何事も経験、と向上心という理由でそれを上書きして差し出された串を咥えた。

 なかなか旨い。しかし、心のダメージを回復する前に、更なる攻撃が来た。


『おいしいだろう! 私も、そっちが欲しい!』


 そして、自分に口をあけてくる少女。


 自分はいまだかつてこんなことをしたことはない。

 自分にこんな命知らずな要求をしてきた者もいない。


 付き合わなければならない義理ははっきり言ってない。

 ないのだ。


 しかし、何かこう、身の内に湧き上がるような、かきむしるような、筆舌に尽くしがたい感情に突き動かされて、つい、少女の口に食べ物を近づけてしまった。


 ちょっと串が遠かったのか、少女は伸びあがるようにして食いついてくる。

 釣り上げるように串を引き抜くと、彼女はそれはそれは幸せそうに、もぐもぐと食べる。

 そして、最後にルークに、にっと輝くような笑みを浮かべる。


『な。おいしいだろう!』


 頬に熱が昇る。

 ルークは何か大事なものを持っていかれてしまったような気がした。

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