第2話 王子が恋する子爵令嬢?


 ところがそんなある日、ぱたりとルークは、バステトの側に近づかなくなった。


 バステトは、理由もわからず1週間、夢のように落ち着いた日々を送っていたが、ある親切な令嬢が、バステトに教えてくれた。


「王太子殿下は、最近ミケーネ子爵令嬢と親密なご様子ですのよ」

「しん……み、つ?」


 親切な令嬢は、言葉が理解できなかったバステトを、二人の逢引き現場へ連れて行ってくれた。


 中庭の片隅、渡り廊下からは死角となった木陰の下のベンチで、ルークと子爵令嬢は仲良く語らっている。

 子爵令嬢とやらは、王子のそばに張り付かんばかりに身を寄せている。

 王子もまんざらではなさそうだ。

 頬を染めて楽しそうに会話をするさまは、思いあっている恋人同士にしか見えなかった。


「おかわいそうな皇女様。ミケーネ様は、子爵令嬢ではありますがお美しい上に、成績やマナーも素晴らしく、非常に素敵な方ですのよ。王太子殿下が惹かれてしまうのも無理のないこと。今後も素敵なケイリッヒのご令嬢は現れますわ。寂しい思いをする前に、お国に帰られてはいかがかしら?」


 バステトふるふると震えているのを見て、親切な令嬢は、何か言っていたが、バステトには聞こえていない。

 バステトは歓喜に打ち震えていたのだ。


「ありがとう!」

 バステトは、親切なご令嬢の手を握ってぶんぶん振ると、教室に戻った。


 これはいけるのでは?

 バステトの国でも、王子が真実の愛に気づいて婚約破棄する物語は流行っている。

 王子が婚約破棄してくれればよし。

 逆に王子がまた国の決めたことだと言って、婚約破棄を渋ったとしても、婚約者がいるのに他の令嬢と親密な関係になるのは、いかがなものか?

 こんな不誠実な婚約者、婚約破棄してやると言えば、バステトの話が通るのでは?

 バステトはマレに帰れる日が近くなったと頬が緩むのを隠せなかった。


 子爵令嬢と王子の逢瀬はその後も続く。

 親切な令嬢は、その後も二人の逢瀬をこっそり教えてくれ、バステトは、こっそりその様子をのぞき込む。

 そして、そろそろ婚約破棄の話を持ち掛けてもよいのではないかと、思い始めた頃。

 数週間ぶりに、王子に放課後のカフェテラスで捕まってしまった。


『やあ、黒猫ちゃん。最近、何をこそこそしているのかな?』


 逢引きを覗いていたのは気づかれていたらしい。それにしても、悪びれもせず、よく言ったものだ。さすがは腹黒王子だ。

 しかし、今回は証人までいる。バステトは、胸をそらせてルークを見上げる。


『お前こそ、最近、あるご令嬢と仲がいいそうじゃないか』


「ああ、彼女のことかい? 天真爛漫な明るい令嬢だよ。でも、あまり君には近づいてほしくないな」


 この頃になるとバステトも、ルークのゆったりした話し方なら、かなりケイリッヒの言葉が理解できるようになっていた。

 話の後半に剣呑な響きをにじませるその言い方に、カチンとくる。バステトが彼女に危害を加えでもしそうな言い方だ。

 また人のことを悪者にする!


『お前の恋人になど近づくわけがない! 』


 早く彼女を王太子妃にするがいい!

 なんなら協力してやってもいい。


『何を言ってるのかな。彼女は恋人なんかじゃないよ』

『毎日逢引きしてるくせに!』

『誰が、いつ?』

『昨日だって! 証人だって……』


 バステトは、その時になってやっとルークの背後に、件の親切な令嬢が控えているのに気が付いた。真っ青な顔をしている。

「ねえ君、彼女が、僕に何か言いたいことがあるみたいなんだけど、何か知ってるかな?」

「わ、私は、知りません。何も見てませんし、何も聞いてませんし、何も知りません」

 ルークが満足したように彼女の耳元で何かささやくと、彼女はさらに顔を青ざめさせて走ってその場を去ってしまった。


 なんてことだ!

 これでは、証人がいても、全部握りつぶされるだけだ。

 バステトはこの勝負の不利を悟る。


 せめて一矢報いなければ!


 ルークはよく、周りの人が大勢いる場所で、ありもしないことをでっちあげる。

 今回は、バステトも逆にそれを利用してやることにする。ここは放課後のカフェテラス。運よく周りには人が大勢いる。

 今から言おうとするケイリッヒ語の予習は、数日前から完璧だ。


「わたし、こんやく、はきする! マレへ、かえる」


 言った!言ってやった!


 これで、バステトが婚約破棄したがっていることが皆に伝わった。

 周りから白い目で見られることもなくなるはずだ。


「彼女はそんなんじゃないよ。皆のいる場で、少し話す程度だよ。嫉妬してるのかい? かわいい婚約者殿。そうだね、彼女とは、距離をおくよ。あまり近づきすぎると、君の怒りをかってしまいそうだ」


 まただ。

 その言い方だと、バステトが彼女との間を引き裂いているみたいではないか!


 だいたいマレでは地位や身分のある男はハーレムを持つのも普通だ。

 その程度のことで馬鹿馬鹿しい嫉妬などしたりしない。


『いやあ、ちょうどよかった。ありがとう。君がもっとじたばたするかと思って放置してたけど、めんどくさくなってきたんだよね。彼女は誤解される前にそろそろ切るよ』


『めんどくさい?? 真実の愛は?』

 あまりにもあんまりな発言に、バステトは固まってしまった。


「嫉妬したの? 『黒猫ちゃん』」

 また人の話を聞いていない!

 だいたいこの言いようはなんだ。いくらなんでも子爵令嬢がかわいそうだ。

 王子の最低すぎる発言にあきれて何も言えない。

 

『残念だったね。僕の黒猫。君が期待するような婚約破棄なんてしないよ』


『そろそろ、ケイリッヒ語の勉強を再開しようか? 聞き取りはよくなってきたけれど、話す方は、今一つだね。相手が必要じゃないか?  君もそろそろ困ってきているだろう?』


 それを聞いて、バステトは辞書が手に入らなかったのも通訳がこないのも何もかも、この腹黒王子が手をまわしていたのだと理解した。




 その後、王子と子爵令嬢を引き裂く悪役皇女として、周囲の生徒からのバステトへの視線は一段と厳しくなった。

 子爵令嬢とは会うのをやめないみたいだし、なおさらだ。おまけに、子爵令嬢との噂はさらにエスカレートして、王子の部屋から出てきただのの話がもれ聞こえてくる。

 バステトとの前でのあれは、おそらく、ポーズだったんだろう。


 バステトには、なんとなくルークの目的がわかってきた。


 おそらくルークは、結婚までにバステトを徹底的に貶めて、彼女やマレの力を弱めておきたいのだろう。

 この国におけるマレの影響力をでき得る限り削っておきたいのだ。


 将来的には、バステトを使って、優位な立場でマレに何かをしかけるつもりなのだろう。それで婚約破棄には、応じないのだ。


 マレのことを考えても絶対に結婚なんてするわけにはいかなかった。




 もう、正攻法ではだめだ。

 ちゃんと作戦を考えなければならない。


 この婚約は、将来的にはわからないが、今はまだ政治的な重要性はあまり高くなさそうなので、何か問題が起きればすぐにでも破棄が可能だろう。


 今回、王子が「真実の愛」という問題をおこしてくれそうだったが、周囲はルークの味方だ。この程度問題にならないらしい。


 仕方ない。背に腹は変えられない。

 かなりいやだが、バステトが問題を起こす側に回ることに決めた。

 幸い、今のバステトの評判は地に落ちている。何か起きれば、世論は婚約破棄にすぐ傾くだろう。


 バステトは、作戦を考えてみた。


 作戦1:バステトが「真実の愛」を見つける

 →相手がいない。出会いから探さなければならない。没。

 →相手がいたとしても、相手の男がかわいそうなことになる予感しかしない。さらに没。


 作戦2:バステトが問題をおこす。

 →その1)恥ずかしい成績をとって留年する。

   →留年する前に退学して結婚させられそうだ。没。

 →その2)犯罪を犯す

   →薬。これはない。シャレにならない。没。

   →夜遊び。どうやって厳重な警備を抜けて夜の街にいけるんだろうか? 没。

   →傷害。これもない。没。


 あれ、ちょっと待って!

 これ、いけるんじゃない?


 傷害と言っても、犯罪にならないレベルなら?

 軽ーく、怪我もさせないレベルで、でも、私がひどい奴だって問題になるレベルならいいんじゃない?


 例えば、池に落として相手をどろどろのぐちゃぐちゃにすれば、周りからも目立つし、ひどい奴だ、王太子妃にふさわしくないと思ってもらえる。

 階段から落とすことも考えたけど、命にかかわりそうなので却下だ。


 ルークは子爵令嬢を切ると言っていたけれど、二人はまだ親密のようだ。

 ここで、実行に移せば、バステトが嫉妬に狂ってやらかしたと誰もが思うだろう。


 嫉妬に狂って令嬢に手を出すような皇女を誰も皇太子妃にしたいだなんて思わない。


 ということで、バステトは、子爵令嬢には悪いけれど、彼女をどろどろのぐちゃぐちゃのべちょべちょにするための作戦をたてた。  


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