第20話 眠れぬ羊にご用心

 最近なにかと眠れないことが多い。


 多分、仕事の悩みが脳に負担をかけていて、安眠できていない。とはいえ『悩む』というほど具体的な困難な事象に直面しているわけではないので、ちょっとづつ降り積もった心配やストレスが、ここにきて臨界点に達しているんじゃないかと思う。

 今までこんなふうに悩まされることがなかったのは、単に能天気に生きてきたからなのかもしれない。それとも「若さ」だったのだろうか。なんにしても人生で初めて「眠れない」ということで僕は悩んでいた。


 そうは言っても、いきなり医者に行くほどの不眠ではない。眠りにつけない、という程度なのだからまずは民間療法から試してみるべきだろう。世の中には不眠に悩んでいる人は山ほどいる。インターネットで検索をかければ、いくらでも不眠に聞く対策方法が出てくる。カフェインをとらないとか、寝る前3時間はケータイは見ないとか、ツボ押しにホットミルク……数えられないほどの知見が瞬時に出てくる。ありがたい世の中になったものだ。

 個人差もあるだろうし、とりあえずは一番メジャーなものから……、そう思って手を出したのがこれ。誰もが知っているおまじない、「眠れないときは羊の数を数える」というアレだ。


 羊が1匹、羊が2匹……と羊を数えていくわけだけれど、このおまじないは細かい部分がほとんど決まっていない。単に右から左に数えるべきなのか、柵を飛び越えさせて数えるなんて話もある。好き勝手にやればいいのだろうけれど、こういう時に細かいことにこだわってしまうのが僕の悪いクセだ。

 手始めにアルプスのように雪のかかった山々を、その合間に広々とした牧場をイメージする。そこを真一文字に縦断するように、高さ1メートルほどの茶色の柵を作ってみた。そこを飛び越えさせて数を数えることにしよう。


 1匹2匹……最初こそ順調に飛び越えてくれたものの、10を数えるころには訳知り顔で文句をいう羊が出てきた。いわく「なぜ牧場でのんびりしている我々が、楽しくもないのにこんな柵越えをさせられなければならないのか。そういうのはサーカスの羊がやることだ」とのこと。確かに、羊の仕事に柵を飛び越えることというのは含まれていないだろう。サーカスに羊が居るかどうかには触れないでおこう。ものぐさな気持ちはわかるので、柵を飛び超えるわけではなく、単純にそこにいる羊を無作為に数える方法にしてみた。

 しかしこれも失敗だった。どこまで数えたのかわからなくなるのだ。いきなりここき来た無頼漢の私にとって、羊の個体差など判別できるわけがない。そもそも寝ぼけ眼の想像で作られた羊に個体差まで求めるのは酷というものだろう。どれだけ丁寧に数えても、しばらくすればぐちゃぐちゃになり、もうどれがどれだかわからない。――これはダメだ。申し訳ない気持ちを抱えながら、僕は羊の親分に申し開きをする。


「とても申し訳ないのだけれど、さすがにそのままでは数を数えることができない。何とか協力してもらえないだろうか」


 羊たちは、しばし集まって意見を交換していたが、5分と待たずに結論は出たようだ。いわく『毛刈りをすればよい』とのことだった。

 なるほど、毛を刈ってしまえば他の羊と見まがうはずはない。同じ羊を二度数えることもない。羊の本分は羊毛を生み出すことだし、毛刈りもできて一石二鳥だ。それでいこう。


 僕は意気揚々とバリカンを握り、一匹目の羊に取り掛かった。――そしてすぐに自分の考えの甘さを呪った。こちとらバリカンなど触ったことのない素人だ。動かないマネキンを丸刈りにするならともかく、相手は意思をもって動き回る羊なのだ。その上、「イタっ……刃が当たったよ」とか「そこまだ毛が残ってるから」とか「ちょっとまだなの? そろそろ飽きたんですけど」とか、1匹目からして文句ばかりだ。技術の至らない自覚はあるものの、こんな調子では数を数えるどころではない。


 再び親分のところに泣きついたが、二度目は流石に厳しかった。大体あんたはなんの義理があって我々を数えるのか。羊というものをなんだと思っているのか。羊にだって羊の権利、『羊権』というものがあって、あの山の上の石碑にきちんと記載されている。あんたはそれをちゃんと読んだのか。

 そもそも我々の数を数える程度のこともできないようでは、仕事もその程度なのではないのか? 上司の気持ちをお察しする。この要領の悪さでは、きっと人間関係だってうまくいっていないだろう。さては彼女もいないんじゃないのか? ……いない、やっぱり。何年くらいいないの? もう5年になる? 結構な期間じゃないか。

 お前はその性根から直さないとこれから生きていくのも大変だぞ。いっそのこと羊になったらいいんじゃないか? 羊はいいぞ。のんびり散歩をして、のんびり草を食べて、毛深くなったもの勝ちの世界だ。おかしな人間関係に悩まさることもない。いい身分だろう。人間なんてやめてしまおう……一緒に羊になろう。いいぞ羊は。羊になろう。さあなろう羊になろう…………




 ――というところまで聞いたところで、僕はうなり声をあげながら目を覚ました。


 全身汗だくになっており、寝間着はびしょぬれだった。いつの間にか眠っていたらしい。眠ることができたという意味では成功したと言ってもいいのかもしれない。でも毎日こんな悪夢を見るのであれば、もう二度と羊は数えない。僕はかたく心にそう誓った。


 しばらく後に偶然知ったことがひとつある。「羊を数える」というのは、そもそも英語から来ていて「SHEEP(羊)」と「SLEEP(眠る)」が似ているから羊なのであって、日本語を母語とする日本人が羊を数えたところで何の意味もないらしい。

 なんの意味もないくせにあれだけ文句をいって、僕の安眠を妨害してきたというのか。なんと迷惑な生き物だろう。無性に悔しくなってきたので、週末はジンギスカンを食べにいくことにした。金に糸目をつけずたらふく食べてやるから、羊たちは覚悟しておいてほしい。


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ショートショート集『コメディとコメディ以外に関する考察』 竹野きのこ @TAKENO111

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