第10話 真夏のロッカー殺人事件

「なるほど……。朝、出社してきたらロッカーからおびただしい血がしたたり落ちており、あわてて私に連絡をしたというわけだね」


 私……こと、知る人ぞ知る名探偵「奥平 進次郎(おくだいら しんじろう)」は、彼女にそう聞いた。


「そうなんです。もうわけがわからないし、パニックになっちゃって……。でも、おじさんなら何とかしてくれるかなって思って……」


 彼女はヒマリという名で、私の姪(めい)にあたる。春からこの塗装会社に勤めはじめてまだ数ヶ月。今朝、誰よりも早く出社してきたところ、閉じられたままの倉庫のロッカーから血がしたたり、大きな血だまりを作っているのを目撃。他の社員がまだ誰も出社してきていなかったため、家も近く、頼れる名探偵である私に連絡をしてきたというわけだ。


 ロッカーは縦2メートル、横50センチ程度はあり、だいの大人が入っていたとしても、サイズ的にはまったく支障はなさそうだ。血の量からして、おそらくもう生きてはいないだろう。なんともおぞましい話だ。今日は非常に暑い日で、この時間でも汗がしたたり落ちるほど暑い。しかし私はこの異様な状況に、暑さとは違う理由で、気持ちの悪い汗がふきだしているのを感じていた。

 警察には連絡するとして、……今、私ができることは、――そう、情報の整理だ。


「ではヒマリくん。いくつか質問させてくれたまえ。昨日、最後に会社を出たのはヒマリくんで、その時には何事もなかったのだね? それと……会社のカギは何人が持っているんだい?」


「……ヒマリ『くん』?」


「いや、こういうのは呼び方が大事だから……。ほら、呼び捨てじゃあ恰好が付かないでしょ?」私は小声で彼女に語りかける。


「……あーそうですか。わかりました。じゃあ、はい、えっと……昨日私が、会社を出た9時ちょっと前くらいには、何もなってなかったはずです。それと……カギは、社員が最後に帰るときのための共用のヤツがひとつあって……それを使って出入りしました。カギを持って帰った人が、次の日最初にきて開けるルールなんです。あと、もう一つはいつも社長が持っています。カギはこの2つだけのはずです」


「なるほど。一応だが、昨日のヒマリくんのアリバイを聞かせてもらってもいいかな?」


「昨日は会社からそのまま帰ってずっと家に居ました。彼氏と一緒に住んでるので、彼氏に聞けば証言してもらえるかと思います」


「――彼氏!?」


「ええ、もう1年くらい一緒に住んでます」


「あんなに小さかったヒマリが……彼氏とは……な、なんということだ……」


 私が姪っ子の証言に衝撃を受けているうちに、会社の入り口の方から何人か入ってくる気配がした。どうやら他の社員たちが出社してきたようだ。私は気を取り直して、一番前の男に話しかける。


「あーみなさんすみませんね。今、ちょっと事件がありまして……現状の保存にご協力ください。それといくつか質問させていただいてもよろいいでしょうかな?」


「――ん? えっと……あなたは誰でしょうか?」


「ああ申し遅れました。私、知る人ぞ知る名探偵『奥平 進次郎』と申します。先ほど御社で事件がおきまして、ヒマリくんのSOSを受けて、ここにはせ参じた次第です」


「おおヒマリ。もう居たのか。あーそうそう、ヒマリのところにマブチから連絡来てない?」


「社長、おはようございます。えっとマブチさんですか? 私のところには何もありませんけど、どうしたんですか?」


「いやー今日一緒に会社行くっていう話だったんだけど、あいつ電話もラインも出なくてさ。既読もつかないのよ。……で、もしかしたら忘れて一人で勝手に出社してるのかな、と思って来てみたわけ。そろそろ始業時刻だし、あいつ寝坊だなこりゃ……」


 社長は壁に掛けられた時計を眺めながらそう言った。しかし、私はその言葉ですべてを把握する。――よし。これで事件は整った。




「――いえ。もしかしたら、もうマブチさんは出社しているのかもしれません」


 私は自慢の口ひげをなでながら言った。あっけにとられる社員たちをバックに、私はロッカーと社員の中間部分に歩み寄る。もちろん見栄えのためだ。探偵の「解決パート」はかっこよくなければならないと決まっているのだ。そして、これから私の見せ所。怒涛の解決パートの始まりだ。2時間ドラマならここでCMが入ること間違いなしだ。


「結論から申し上げましょう。犯人はあなただ! 社長さん!」


 私の脳内では「ババン!」という効果音が響き渡っている。実際には鳥たちの鳴き声や、道行く車の走行音が聞こえてるだけだが、そこはリアリティのためには仕方がない。


「……はい? 俺? なに、どういうこと?」


「……推理、というほどのものでもありませんがね。まあ聞いてください。この通り、会社のロッカーが血まみれで、中には死体があります。今のお話を聞く限りでは、そこには殺されたマブチさんが入っていると思って間違いないでしょう。そして、この会社のロッカーという場所に死体を入れることができる人間は限られています。なぜなら会社に入るにはカギが必要だから……。そう、つまりここは密室だったのです!」


 ゆらゆらと社員たちの前を行ったり来たりする。こうして犯人の心理に揺さぶりをかけて口を割らせるのが、私の常とう手段なのだ。


「そして……カギは2本だけ。1本は死体を発見したヒマリくん。しかしヒマリくんにはアリバイがあります。……彼氏、とかいうけしからん男が、そのアリバイを証言してくれるそうです。となれば残る可能性はひとつ……」


 私は勢いよく腕を伸ばし、社長をまっすぐに指さす。


「犯人は――社長! あなたしか考えられません! おおかた仕事のことでマブチさんともめたか……もしかしたら金銭トラブルかもしれませんな。あなたは、どこかで殺めておいた死体を、夜の間に会社に持ち込み、このロッカーに入れた。そしてカギをかけ、何食わぬ顔で『マブチは寝坊しているようだな……』なんて言いながら出社してきたというわけです」


「……はあ」


「すぐに警察にも連絡をいれますが、まあすでに解決してしまったとなると、警察もがっかりでしょうな。それも名探偵がこの場にいるのであれば仕方がありませんが……」


 しかし、私のセリフを最後まで言いきるよりも早く、息荒く、入り口に飛び込んでくる人影があった。


「すいませーん遅れましたー! やー社長ごめんなさい! ころっと寝オチしちゃって充電もしてなかったんで、朝には充電切れてたみたいで……気が付いたのさっきですよ、さっき。ホントあわてて家、飛び出てきました。いや、ホントすいませんでした!」


 急な展開に、あっけにとられながら私は聞く。


「……えっと、あなたは?」


「……ん? 私ですか? マブチですけど? むしろ、あなたはどなたですか?」


「あ……えーと。私は、その。知る人ぞ知る……探偵で……」


「おい、マブチ遅刻だぞ。で、それになんかよくわからんけど、倉庫のロッカーが大変らしい」


「……ロッカーですか? うわっ、ホントだ。こりゃヒドイ!」


 マブチは、血まみれのロッカーに驚いた素振りは見せたものの、怖気ずくこともなくそこに近寄った。そして、べったりと付いた血痕をさけるように注意しながらノブをつかみ、扉をひといきに開いた。


 ――そこには、蓋が空いて変形した、赤い『ペンキの缶』があった。


「あーこれ暑い日とかだとたまにあるんですよねー。暑さで膨張して破裂しちゃうみたいなんですよ。外から見ると血がしたたって、もはや殺人事件みたいですよねー……ってあれ? 探偵さん? 急にどうしたんですか? そんな急いでお帰りになって何か用事でも思い出されました? ……というか探偵さんは何をしにうちにいらしたんですっけ? おーい、たーんてーいさーん……」


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