第7話 タライさんに聞いてみな

「先輩、この案件よくわからないんですけど、教えてもらってもいいですか?」


 彼女は先月、この部署に配属されてきたばかりの新人の職員だ。


「あーこれか。かなり古いやつだね。う~んこれはちょっと俺にも良くわかんないかな。もう10年は前のやつだからなぁ……あ、部長! 部長これわかりますか?」


 いいタイミングでトイレから帰ってきた部長に、質問を投げかけた。


「ん、なんだね……ずいぶん古いやつだね、10年前かい。あー……これは私にもわからないな……。一番の古株とはいえ、私がこの部署に来たのはたかだか6年前だからね。まあ、それでも長い方だね」


「えっとじゃあこれ、誰もわかる人はいないんですか?」


 新人はそういって、書類を強く握りしめる。


「いや、きっとまた彼が知っているよ。聞いてみるといい」


「……彼? 彼って誰ですか?」


 部長はすこし笑ったような、困ったような、複雑な顔をしながら答えた。


「きみはまだ会ったことがなかったかな。ここにはね、ヌシがいるんだよ。私たちは基本的に2,3年くらいで配置がえさせられるから、長いこと同じ場所にとどまっていることはない。でも彼は誰よりも前からこの場所にいて、ほとんどすべてのことにどの職員よりも詳しいのさ。時期的には……もうしばらくで回ってくるはずだ」


「……回ってくる?」


 ますますわからなくなったようで、新人は目を白黒させていた。


「そう、回ってくるんだよ。きみも一度は経験があるだろう? この部署だと思って話を聞きに行くと、うちの管轄じゃないからとすげなく断られて、違う部署を案内される。そっちの部署に行ってみたものの、さっきと同じように、うちじゃないと言われてまた次の場所を告げられる……」


「あータライ回しですね。私も経験あります」


「そう。それだよ、タライ回しだ。――彼の名は『タライさん』といってね。ま、もちろんあだ名だけどね。彼はこの近辺を、もう20年はタライ回され続けているのさ」


「20年!? ずっとですか?」


「そうらしいね。彼が掛けあいたいことは決して間違ったことじゃないんだけど、いかんせんスケールが大きくてねぇ……。どこかの部署でなんとかできるようなアレじゃないんだよ」


「……はあ」


「そうやって毎回、職員といろんなことを話していろんなことを聞いて、次の場所に回って、また聞いて……、それを繰り返してきた結果、彼はこの場にいるどの職員よりもこの職場に詳しい存在になってしまったんだよ。ほらよく言うだろう? 『タライは天下の回しもの』って……」


「いや、いいませんけど……」


 そのとき窓口に男があらわれ、「すみません」とこちらを呼びかけた。部長が小声で「彼がタライさんだよ」と耳打ちする。年のころは70歳くらいだろうか。小奇麗なグレーのジャケットにハンチング帽子をかぶっている。

 近くにいた私が対応することになり、あれやこれやで小1時間。前情報の通り、彼の要求はやはりうちの部署だけではなんともすることができそうになかった。

 私の抱えていた案件は、彼のこれまでに集めた知識のおかげで簡単に解決することができた。内部の情報がこんなに筒抜けでいいのかは心配になったけれど、彼が居なければもっとめんどくさい状況になっていたことは確かだった。


 タライさんが、無事に他の場所にタライ回されたのを確認したのち、部長は言った。


「――ただね、タライさんはもう結構な高齢だからね。彼がお亡くなりになっちゃったときには一体全体、我々は誰を頼ったらいいんだろうね。ほんと困ったもんだよね。もっと若い人で、誰かタライ回ってくれないものかねぇ……」


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