第2話 虫歯に悩まされない薬

「あんたは言ったよな! 『虫歯にならない』って!」


 私のオフィスに飛び込んできたその男は40代くらいで、かなり怒っていた。見覚えはあったので、私の治療を受けたことがあるのか……すくなくとも一度はここを訪れて、カウンセリングを受けたことがあるのだろう。

 「まあまあ、少し待ってください」と彼をいさめている間に、私はこれまで受診した患者たちのカルテをめくる。カルテには写真もついているため、今飛び込んできた男を探しだすのは簡単だった。


「えーっと、……マキムラさんですね。少し誤解されているようですが、私は『虫歯にならない』と言ったのではなく、『虫歯に悩まされない』と言ったのですよ」


「名高い歯医者だと聞いてここに来たんだぞ! それなのに……こんな、こんなことになるなんて。医療ミスだ! そうに決まってる! 絶対に訴えてやるからな!」


 マキムラは私の話を一向に聞く気配もなく、思いをぶちまけていた。しばらくは彼のボルテージが下がるまで、なんのかんのと時間を引き延ばす。こうやって怒鳴り込まれることにも慣れたもので、気勢をくじく方法も、数を重ねるごとにうまくなってしまった。

 どうやらうちにくる患者はせっかちな人が多いらしい。まあ『即効性のある劇薬で、虫歯を確実に撃退できます』などという怪しいうたい文句にひかれてやってくる患者なのだから、当然と言えば当然なのかもしれない。


「まあ、少し落ち着いてくださいマキムラさん。ほら……虫歯は治りましたでしょう?」


 その男……マキムラが少し落ち着いてきたのを見計らって、私は切り返した。男の開かれた口から見える限り、キレイに虫歯はなくなっているように見えた。前回うちに来た時には、ほぼすべての歯が虫歯でボロボロだったのだ。その上、歯磨きはキライで、入れ歯にもしたくない。そんなワガママな患者だったのだ……そうだったそうだった。

 己の無精を反省もしない、そんな患者にでも丁寧に対処してやっているのだから、我ながら良くできた歯医者だと、私は内心で自画自賛をした。


「確かに虫歯なくなった。今は1本もない。これには確かに驚いたし、ありがたいと思ってる。でもな……」


「でも……?」


「歯が抜けるんだ! 次々とな!」


「ああ、――そんなこと」


「そんなこと、だと! 冗談じゃない! こんなことだと知っていたら俺はあんな怪しい薬は飲まなかったぞ!」


「……あのですねマキムラさん。私はちゃんと説明しましたよ。これはサメの遺伝子から作られた新薬だと。虫歯になっても痛くないし、悪くなったら次々抜けるからもう虫歯など怖くない、とね。なんならあなたに説明した時の動画をお見せしてもかまいませんよ」


 そう、こんな困った患者が来ることなど想定内なのだ。動画の記録などを必ずとるようになってからはトラブルもだいぶ減った。言った言わないの水掛け論をしないで済むのだから、テクノロジーの進歩というのは本当にありがたい。


「……ど、動画だって!?」


 男は動画があると言われ、明らかにたじろいだ様子だった。おそらく自分がせっかちであるという自覚があるのだろう。説明を聞いていないことなど、これまでにも何度となく経験済み、といったところか。そのたびに勢いでごまかしてきたのだろう。


「ええ、だからきちんと説明済みであることは間違いありません。誓約書もとってありますしね。もちろんあなたのサインもあります。――治りましたよね? 虫歯。きれいさっぱりと。何が問題だというんですか?」


「いや……だって、歯が抜けるし……」


「そこらへんに捨てたらよろしい。ナイフに使うのもいいでしょう。すぐ次は生えてきます」


「それに歯がギザギザで……」


「肉が食べやすいじゃないですか」


「歯が何重に生えてきたりも……」


「来年のハロウィンはコスプレいらずですね。オススメは七武海のあいつです。いいことづくめじゃないですか。薬飲んで良かったですね」


 私の話術にからめとられ、マキムラはこれはこれもいいか……という前向きな気分になってきたようだ。うちのはせっかちな患者も多いけれど、このように素直な客も多いのだ。「今日のお代は結構ですから」と告げて、そのまま帰るようにうながした。


 おとなしくドアに向かうマキムラの後ろ姿に向かって私はもう一声かける。


「――ああ、まれにですが、頭がハンマーのように横に広がってしまう方や、生殖器が2本になってしまうような方もいらっしゃるようです。ごくまれにですけどね。症例のひとつとして、頭の片隅にでも置いておいてください。……ま、ただ、もしもそういう症状が出た場合は、整形外科が担当になりますので、そちらに来院してくださいね」

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