赤と黒の神話

 二人が階段を上がると、クロスは部屋の前で待っていた。廊下の突き当りの角部屋である。

 部屋に入って三人だけになると、それまで黙っていたエルが興奮気味に口を開いた。

「すごいですねぇ! さっきのはいったいどういう手品ですか?」

 魔術とは欠片も思っていない彼の言葉に、胸中でアッシュは苦笑する。

 階下の男とて、きっと我に返れば「インチキだ!」と騒ぎだすことだろう。微量の魔霊子を動かすだけでは、認知もされにくい。

 くわえて彼女の年齢や見た目、あまりにも自然体な様子では、魔術と言われた方が信じがたいだろう。クロスの方も、彼の誤解を正そうとはしなかった。

「昔、友人に教えてもらったんだ。ああいう馬鹿を相手取るにはちょうど良い」

「なるほど。しかし、目立つ彼がいるのにそんなことが起こるのですか?」

「あそこまで目立ってしまうと、逆に私の方が遠慮すると思われるようでな」

 アッシュは思わず右手で顔を覆った。ちなみに、そんなことはまだ一度もない。

「私から見れば、あなたも十分に目立つと思いますよ」

「いやいや、あれに比べたら私など可愛いものですよ」

「そんなことはありませんよ。私なんて、お二人が覗き込んできた時は天使様が迎えに来てくださったのかと思いましたから」

「神官がそんな罰当たり言って良いのかよ。黒瞳の天使はいないと思うぜ」

 アッシュが呆れると、エルは困ったように頭をかいた。

「私はいても良いと思うんですけどね。黒と赤の色を持つ者は堕天者だなんて、暴論じゃないですか」

 堕天者。

 大地の神々や裏切りの黄昏女神と同じ、天界を追放されし者。あるいは悪魔という蔑称を冠される罪人。

 クロスが「ああ」と納得したような声をあげた。

「黒と赤。夜と黄昏の双子の姉妹神の話か。昔、私も寝物語で聞かされたな」

「私も神学校で習いましたよ。懐かしい」

 創世神話には様々な逸話がある。黒と赤の神話もその内の一つだ。




 ソレア教が黒と赤を禁忌と定めていることは有名だが、これには理由がある。

 教典は赤について「深紅は血の色、罪と死を表す」と記し、黒は「漆黒は滅びの色、憎悪と悲しさを表す」と書いている。

 それは、空の神々が大戦の後、世界を統治する力をなくした原因に関係があった。

 全ては黄昏の女神が神としての力をなくしたことから始まる。


 彼女は神の掟に背いて人間に——自らの創った命に恋してしまったのだ。


 神は人間に心を持って接してはいけない。

 その掟を破った彼女は、一日を終わらすための黄昏を出すことが出来ず、空から地に堕ちた。

 一日が終わらず、闇が訪れない日が続いた。

 このままでは造ったばかりの世界が安定する前に滅んでしまう。

 そう考えた太陽の神に、夜の神が言った。

「私が妹を滅ぼしましょう」と。

 黄昏の神はこうして夜の神に滅ぼされた。

 しかし、夜の神も半身といえる黄昏の神を殺したことで力をなくした。

 それを悟った夜の神は黄昏の神を殺して、すぐに自らにも刃を突き立てた。


 こうして夜の神と黄昏の神は滅び、あとには妻を失って悲しむ月の神を始め、太陽の神、蒼天の神が残った。

 二柱がいなくなった影響は大きく、残った空の神々も滅びの時を悟った。

 三人は、闇の神と黄昏の神の残した心臓に、持っていた知識と技術のすべてを刻み込み後の神達に残して、滅んだ。


 それ以来、黄昏の神を司る赤の色には「罪」の意味が。姉妹を殺し、空の神々の滅びの引き金を引いた夜の神を司る黒には「滅び」の意味がそれぞれつけられることになった。



「だからとはいえ、赤髪や黒瞳の人は神職につけないとか……正直、私はどうかと思うんですよね」

「神職だけじゃなくて、役人とかにもなれないんじゃなかったっけ?」

「公にはそんなことはない、と今はなっていますが」

 言い淀んだエルのあとを、クロスが引き継いだ。

「実質はそうだと言わざるを得ないな。試験で落とされるどころか、会場にも入れんと聞いたことがある」

 エルが顔をしかめた。

「一応、教会で細かな色彩基準を設けてはいるんですけどね。それでも今後、本格的に南方と国交を持つ時を考えると、気が重いですよ。彼らの宗教体系はまったく違う上に、赤毛が多い」

「ソレア教の基準に則ると、連中の色はどうなるんだ? それに、東部も黒髪や黒い瞳が多いんだろう」

 興味深そうにクロスが身を乗り出した。

「そうですね、ただ…彼らの場合は黒髪と言ってもほとんどが焦茶と判断されます。瞳の色にしても、完全な漆黒は稀です。濃い灰色や、赤にしても橙色がほとんどですから」

 そこで、チラッとエルはアッシュの方を見た。

「俺の目は、どうなんだ?」

 面白く思い、アッシュは笑いながら尋ねた。

「太陽の下で透かして見ても完全に光を通さないので……規定に則るなら黒です」

「あ、やっぱりか」

 特に残念そうでもなく、アッシュは肩をすくめた。

「すみません」

「あんたに謝られる筋じゃないな。俺も許す立場じゃない」

 笑って言われ、エルは顔を俯かせた。

 だが、意を決したように再び顔を上げてアッシュを正面から見つめる。

「あなたは、神のことが嫌いですか?」

「……ふむ」

 恐らくは、神に喧嘩を売るような黒装束を見た時からずっと気になってはいたのだろう。アクセントではなく、わざわざ黒や赤を中心に据えた服を身に着けることは珍しい。

 だが、信じるかどうかではなく、好き嫌いを尋ねられたのは初めてだ。

「あんた、面白いな」

「え。す、すみません…」

「別に責めてないよ。すぐに謝りなさんな。――それで、何だっけ。神様か。うん、好きじゃない」

 エルが再び目を伏せた。

「色の審判を神がしているから、ですか?」

「『赤と黒の色彩を持つ者は天国に入れず、地獄に叩き落とされて悪魔となる』だっけ」

 アッシュが上げたのもまた、ソレアの経典に書かれている文言である。横で聞いていたクロスも頷く。

「『前世で罪を重ねたから、罰の印として赤と黒を与えられる』というものもあったな」

「あー、そういえばそっちもあったか」

 アッシュは呑気に言った。

 もっとも、彼が神を好きになれないのはそれが理由ではない。

 元来彼は神というものに無関心だし、懐疑的であった。仮にいたとしても、人間に施しなどは与えないだろうとも考えていた。

 それでも明確に「好きではない」と断じる理由は単純だ。

 今となっては面倒極まりない、己の心臓に宿るものを造り上げた張本人たちだからである。

 しかし、まさかその理由をエルに言うわけにもいかない。

「俺は神の存在は信じるけど、経典は信じてないからな。あんたの言った理由じゃないよ」

 エルが目を見開いた。そこに宿るのは、怒りでも侮蔑でもなく純粋な驚きである。

「私もです」

 今度はアッシュとクロスが驚く番だった。ソレア教の神官が経典の内容に疑義を挟むなど、あって良いのだろうか。

 慌てたようにエルは言い募った。

「だって、生まれる前に生きる道を決めるなんて、いくらなんでも横暴じゃないですか。そもそも、子供は親の特徴を引き継ぐものなんです。だから、私はこれは神の意思じゃなくて人間の勝手な解釈なんじゃないかと……。自分たちの社会を円滑にするためにあえて『悪』として、そういう概念を作ったのではないかと。そんな風に考えてます」

 思わずアッシュは吹き出した。

「とんだ不良神官もいたもんだな」

「教会内では言わないから良いんですよ。それに、神は我々が都合よく使うためのものじゃないんですから」

 憮然とした様子からして、どうやら彼は本気らしい。ますます面白くなり、アッシュは問いかけた。

「じゃあ、あんたにとって神って何だ?」

「自分の中の正義、ですかね」

 答え、エルは胸を張った。

「――神は、いつでも私達の中にいます。迷い、立ち止まった時は己の中にいる神に問いかければ良い。そして、その神に恥じないように生きなさい」

 まるで祝詞のように吟じ、エルは照れ臭そうに笑った。

「全部、師の受け売りなんですけどね」

「へぇ」と感嘆の声を漏らし、アッシュはエルを見た。

「あんたも大概だけど、お師匠さんも変わってるな」

「私の考えが変わっているというのなら、それは間違いなく師の影響ですよ。私は、あの人から多くのことを学びましたから。本当は、今回の使いも私のような未熟者ではなく師が行く予定だったんです。けれど、貴重な見聞の機会だからと、お譲りくださいました」

 寝台の一つに腰を下ろしたクロスが首を傾げた。

「未熟者というが、聖杖を授与されているのだから見習いというわけでは無いだろう? そんなに大層なお使いだったのか?」

 エルは真剣な顔で頷いた。

「大層なんてものじゃありませんよ。――何しろ法王様の聖印が押された機密文書です。そうおいそれとは扱えません」

 後半は、室内だというのに囁き声である。だが、彼の慎重さを笑う者はいないだろう。

「聖印だって?」

 思わず目を剥いてアッシュはおうむ返した。

 聖印。それは文字通り、法王が自らの責任のもと記した文書に捺される印。

 間違っても支部間の報告書や、打ち合わせに使われるものではない。

 世界に君臨するソレア教最高位の人物が発する文書。それはもはや、ただの『機密文書』ではない。神の言葉にも等しい天啓となって、全神官へと知らされると言っても過言ではないのだ。

「一体中身は何だってんだ?」

「私にもわかりません。ただ、これだけは言えます」

 アッシュの疑問に、硬い顔でエルは首を横に振った。

「近いうちに、大きく世界は動くことになるでしょう」



 彼の言葉に不吉なところは何もない。だというのに、アッシュにはそれが良い方向への変化になるとはどうしても思えなかった。

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