1-4.罪人と行き倒れⅠ-④
ゴウ、と風がうなった。
突如生み出された突風は襲撃者達の足をとめ、燃え盛っていた炎をかき消す。
青年ははじめ、それが女性によるものだと気づかなかった。
なぜなら彼女は『何も唱えていなかった』から。
「な…」
絶句して振り向いた先には、女性の周囲に渦巻く莫大な数の魔霊子。種類は『風』。
「とりあえず炎は消したが」
何でもないことのように言って、女性は小首をかしげる。
「今度は明かりが足りないな」
その意思に応え、彼女の元に今度は炎の霊子が集う。
いや、正確には襲撃者達の集めた魔霊子が吸い寄せられていく。
より強大な意思持つ者に、彼らは従順だ。
瞬く間に一帯の魔霊子を支配下においた彼女は、再び何の予備動作もなく十以上の火球を顕現させた。
真昼のように明るくなった中心で、白の魔術師は艶やかに笑う。
「これでちょっとは戦いやすくなったか?」
青年以上に驚き、動きを止めていた襲撃者達がその言葉で我に返る。
だが、遅い。目前には、驚きから一足先に立ち直っていた青年が迫っている。
「おかげさまで」
呆れたような声と表情とは裏腹の鋭い一閃が闇にひらめく。
あっという間に四人を斬り伏せた青年に、襲撃者達の判断は早かった。
素早く身を翻し、明かりが届かない暗闇へと音もなく消えていく。木立に身を潜めていた魔術師達も同様だ。
彼らの気配が遠ざかり、森には再び静寂が戻った。
あとには地面を赤く染める屍と、その中心で佇む青年。
「さて、と」
刃についた血を軽く振って払い、青年は鞘へと収めた。そうして改めて、自分を助けた相手に向き直ったのである。
煌めく炎の中心で軽く首をかしげるのは、どこからどう見てもまだ若い女性だ。
類まれなる美貌を除けば、どこにでもいそうな普通の旅の魔術師である。
だが、今なら断言できた。彼女がただの魔術師であるはずがない。
「助けてくれて礼を言う。だが、一つ聞かせて欲しい」
「何だ?」
真剣な表情で青年は女性に真正面から問いかける。
「あんた、何者だ?」
「何、とは? 質問は具体的にしてほしいな」
茶化すように言われ、意図を理解はされているのだと青年は知る。
「わかっているんだろう。―――アインワードを使えるなんて何者だと聞いている」
アインワード。
『虚無の言葉』とも称されるこの呼び名は、ある条件を満たした魔術に使われる。
その条件とは『呪文を使わないこと』。
魔術は三つのステップから成る。
まず、一つ目は媒体となる魔霊子を集めること。
魔霊子が見えること・操れることが魔術師の第一条件だが、一度に扱える魔霊子の量が、すなわち魔力と呼ばれる。
二つ目は、魔霊子を導く式を作ること。
魔霊子には様々な種類がある。最も基礎的なものとなる地水火風音。
それに近年発見された影に光。魔術師達が複数の霊子を組み合わせて新たに開発した雷や氷。
個々の魔霊子はどれも特徴があり、一種類の魔術を扱うだけでも大変な知識と修練が必要になってくる。
例えば先程襲撃者達がはなった炎の球だけでも、炎の魔霊子を『どの規模で』、『どの時間に』、『どこに』出現させるかというのを組み合わせた魔導式を編まなければいけない。
そして三つ目。
魔術を扱う上でもっとも重要な、魔導式を魔霊子という媒体にのせて現実世界に顕現させる行為。
ここで必要になってくるのが呪文だ。
たとえどれだけ緻密に式を編もうとも、それは例えるならば『魔霊子の言葉』である。
『炎を・手のひらほどの大きさで・二秒後に・目の前の男の足元に出す』と言ったところで、果たしてどれだけの人間がその様子を想像できるだろうか。
何もない空間で燃え盛る炎の揺らめきと熱を、中空に踊る雷の衝撃を、捉えることさえ不可能な風が木々をなぎ倒すところを、具体的な形を伴って現実世界に召喚できるか。
おそらくはできない。
だからこそ、魔導式に書かれた事象と現実世界の仲介を為すのが呪文である。ある種のならし作業と言い変えても良い。
要は式を編み、そこに『炎よ燃えろ』という具体的な事象を与えてやるのだ。
だからこそ必然的に、腕の良い魔術師ほど呪文は短くなる。
それは魔導式の緻密さからくる食い違いの少なさや、召喚のための想像力の違いである。
前者は経験で補えるが、後者は完全に才能の問題となってくる。
だから。
完璧な式を編み、現実世界への影響を正確に描ける魔術師がいれば、呪文は必要ない。
だが、それはあくまで理論の上での話だ。
実際にそんな離れ業をやった魔術師など、歴史上でも片手の指で数えるほどしかいない。
それも皆、伝説と謳われるほどの実在も怪しい大魔術師達だ。
年若い娘が使えるなど、常識的に考えてありえないのである。
女性は、青年の問いかけにすぐには答えなかった。
湖面のような瞳でジッと青年を見つめている。
青年もまた、女性の答えを待って黙っていた。
息苦しくはないが、居心地が良いとは言えない沈黙の中で、女性がにこりと笑った。
「クロス」
「は?」
「私の名だ。そういえばまだ名乗っていなかったからな」
悪びれなくそう言う女性に、今度こそ青年は頭を抱えたくなった。
もしかしたらこの女性は、先程の青年の『何者』という問いを名前を聞かれたとでも思ったのか。
「あんた……わざとだろう。絶対わざとだろ」
「お前の聞きたいことは理解しているが、人には誰しも言いたくない秘密の一つや二つあるものだ。特に女はな」
堂々と『言いたくないから隠します』と言う女性に、青年は苦笑した。
「なるほど。一理あるな」
「そうだろう。納得したところで、私もそろそろ命の恩人の名前くらい聞きたいな」
女性――いや、クロスの言い分に青年はちょっと口の端を釣り上げた。
「アッシュ・ノーザンナイト。あんたは? まさかさっきの名前で全てじゃあるまい」
思わぬ意趣返しに、クロスはちょっと目を瞬かせた。
「よくわかったな。――長い方の名前は、クロスマリア・レインベル」
「やっぱりな。何となくあんたには、もっと立派な名前がある気がしたんだ」
このご時勢だ。苗字のない者も大勢いるだろうが、彼女はなんとなく違うと感じたのである。
「随分と良い勘だ」
感心したように頷いたクロスの目がきらりと光った。
「では、私からも一つ質問させてもらおう。さっきの追っ手は何だ?」
「それこそ、さっきあんたが言ったことだぜ。――人には一つ二つ秘密があるもんだ。男でもな」
「そうだな。だが、お前は理由もなく追われるような人間には見えないから聞いている」
「それはどうだか。人は見かけによらないぜ」
ましてや二人は夕方に会ったばかりだ。いったい何がわかるというのか。
しかし、クロスは首を横に振る。
「見かけの印象じゃない。追われているという人間にしては、見ず知らずの行き倒れを助けたり、身ぐるみを剥ごうとした山賊を逃がそうとしたり、ずいぶんなお人好しみたいだからな。そんな人間が追われるなんて、いったい何が理由なのかと思っただけさ」
そう言ってクロスは探るように青年を見るが、断固として言うつもりは無いらしい。
困ったような苦笑を返され、早々に諦めて話を変えた。
「それで、お前はこれからどうするつもりだ?」
「とりあえずこのまま森を通って、ゼフィラトまで行くつもりだが」
「なら丁度いい。一緒に行こう。これ以上迷いたくは無いんだ」
「喜んで、と言いたいところだけどさ。あんたはさっきの状況見てそう言ってるのか?」
「もちろんだ」
会って何度目かになる溜息をつきそうになり、アッシュは額をおさえた。
そんな相手に、クロスはやんわりと微笑む。
「言いたいことは分かってる。けどな、こんな森の中で女性一人の方が危ないだろう?」
「どの口が言うかね」
「この口だが?」
しれっと返すクロスに、アッシュは真っ白い目を向ける。だが、これ以上は時間の無駄だ。自分の荷物を持つと、彼は首だけで振り返った。
「俺は今から出発する。あんたとはこれっきりだ」
「夜通し歩くつもりか? 睡眠は大事だぞ」
「あいにくと、俺には大事じゃない」
「仕方ない、じゃあ私も行くから火を消さないとな」
「だから何でそうなる……ああ、ったく!」
まったく話が嚙み合わない。調子が狂う。
彼女は決して頭が悪いわけでは無いだろうに、どうしてここで別れてくれないのか。
何か理由があるのか、はたまた『彼ら』からの変種の追手か。単に馬鹿なのか。
クロスを見やるが、特に何をするでもなくアッシュのほうを見上げている。
撒くか、とも考えたが彼女のことだ。茂みに入って身を隠したところで、焼き払ったりしそうである。
そこまで考えたアッシュは、諦めて肩を落とした。
「…………ゼフィラトまでな」
嬉しそうに笑ったクロスが人差し指をたてた。
「お人好しなところその三。自分の味方になってくれそうな腕の良い魔術師がいるのに、わざわざ巻き込まないように離れようとしている」
マイペースな女性に、苦い声と顔でアッシュは答えた。
「……単にあんたを疑ってるだけだ」
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