1-2.罪人と行き倒れⅠ-②

 細い月が地上を頼りなく照らす。


 その灯りより明るい火の元に、二つの人影が座っていた。

 一人は女。一人は男。

 女は白いローブに、銀色の髪と透き通るような白い肌。

 男は黒みがかった紺色の髪と漆黒の瞳。おまけに着ている服も黒一色という、白い女とは対照的な出で立ちである。

 どちらもまだ若い。女は少女の域をやっと出たくらいだし、男の方も二十を幾らも超えてはいないだろう。

 女はひたすら口と手を動かしており、青年の方は頬杖をついてそんな女を見ている。

 やがて女が手を合わせる、乾いた音が闇に響いた。

「いやー助かった! 礼を言う」

 言って、女は弾けるような笑顔を青年へと向ける。

 月光を束ねたようなつややかな髪が、さらりとローブの上を滑った。

「はぁ、そりゃ良かった」

 対面に座る青年の方は、女の挨拶に呆れたような声を上げた。いや、実際呆れているのだろう。

「まさか行き倒れなんてする奴が本当にいるとはね」

 天を仰ぐ彼に、女はややムッとしたように顔を上げた。

「私としても好きで行き倒れたわけじゃない。三日前にはゼフィラトに着けるはずだったんだ」

 女の文句に、『ゼフィラト』と青年は呟いた。ここからそう遠くない小さな町だ。

 しかしそれなら、こんな道を通らずに素直に街道沿いに行くべきではなかろうか?

「何だってまた、こんなとこから行こうとしてんだよ」

「……初めはちゃんと、街道を歩いていたはずだったんだ」

 口を尖らせ、頬を赤らめた女がぼそぼそと言い訳をする。

 その様子は、存外幼い。青年は女の年を自分と同じ位と予想していたが、もしかしたらもっと若いのかもしれない。

 よくよく見ると気品のある、綺麗に整った顔をしていることがわかる。

 かくいう青年も容姿に関しては並外れたものがあったが、生憎と彼は自分の外見には全く興味のない人種でもあった。

 女は、町の踊り子のような華やかな美人ではない。かといって、深窓の令嬢のような儚さの中にある美しさとも違う。

 透き通るような白い肌と澄んだアクアブルーの瞳は、一見すると神秘的な輝きを与えているが、決して頼り無さげではない。

 むしろ大胆に輝く瞳と表情からは、力強ささえ感じさせる。

 月のような繊細な美しさながら、太陽の強さをも感じさせる不思議な魅力が、絶妙のバランスで同居しているのだ。

 着ている純白のローブもしっかりとした作りをしており、食いっぱぐれた魔術師が放浪しているというわけでもなさそうだった。

 大方、どこぞの貴族に仕える魔術師の弟子か何かが、使いの途中で迷ったのだろう。

 そう予想をつけて、青年は火の傍から立ち上がる。

「さて、それじゃ俺は行くよ。一応ここまで来れたんなら、火さえあれば夜は何とかなるだろ」

「お前の方はどうするんだ?」

 不審そうな女に、青年は苦笑して手を打ち振る。

「俺は先を急ぐからさ。……ゼフィラトなら、この道を真っ直ぐ行けば明日の夕方には着くよ」

「先を急ぐと言うが、こんな夜中に危ないぞ。特にここらは、最近山賊が出るってもっぱらの噂だ」

 女の言葉に青年は顔をしかめた。つい先日もそんな連中と関わった、後味の悪い記憶があるのだ。

 さすがにそんなところに魔術師とはいえ、女性を残していくのも気が引ける。

 かといってあまり一緒にいるわけにもいかない。

 さて、どうしたものかと青年は顎に手をあてた。その時だった。


「そこのお嬢さんの言う通りですよ。明日の朝にした方が良い」


 相槌は意外なところから聞こえてきた。

 二人のすぐ傍の茂み。山中へと繋がるそこに、闇と同化するように一人の男がいた。

 年の頃は三十代後半といったところか。動きやすそうな、よく使い込まれた服を着ている。

 一見すれば、その男も旅人のようには見えただろう。

「ちょっと迷ってしまいましてね。あっしも火の傍に行ってよろしいですか?」

「ああ、どうぞ」

 女性の返事を聞いて、男は茂みから進み出てきた。

 ただし近くには来ずに、少し間を開けて立っている。

「お二方。先ほど、この辺りでは山賊が出ると言っていましたね」

 柔和な態度を崩すことなく、男が切り出す。しかし青年も女性も気づいていた。

 その男の目がまったく笑っていないことに。


 パチン、と小さく火がはぜた。

 炎の赤に照らされ、男の顔に不気味な陰影が刻み込まれる。

「それが、何か?」

 慎重に問いかけながら、青年はあたりの気配を探る。

 ざっと数えただけでも二十はいるだろう。こんな山を根城にしているにしては、結構な数だ。

 どうも彼らも、最近は獲物が少なくて辟易していたようである。

(ったく、何か憑いてるんじゃないだろうな)

 心中で毒づいた青年は、そうだったと苦笑する。

 自分には憑いていたのだ。


 とびきりデカイ凶運が。


 呑気にそんなことを考えているとは知らず、青年の無言は不安からくるものだと思ったのだろう。低い声が響いた。

「両手を上げて金目のもの置いてけってことさ、優男。そっちのお嬢ちゃんもな」

 声は目の前の男ではなく、背後から。

 相当な場数を踏んでいるのだろう、落ち着いた———悪く言えばドスの聞いた声。

「金目のものって、持ってないんだけどなぁ」

 言われた通りに両手を上げながら、青年は他人事のようにぼやく。

「まったくだな。いい迷惑とはよく言ったものだ」

 同じく素直に両手を上げた女性も、迷惑そうに答えた。

 その反応に、青年は「おや?」と目を瞬かせた。普通ならもっと動揺したり怖がったりするものだが。

 青年の反応なぞ気にしていないのだろう。女性のぼやきは更に続く。

「私なんて、ついさっきまで行き倒れてた身の上だぞ。金目のものどころか、水も食料も持ちあわせていない」

 たまらず青年は吹き出した。

「確かに。見事なほどの行き倒れっぷりだったもんな」

「だろう? この上まだ身ぐるみを剥がされるなんて、とんだ災厄だ」

「あんたの場合、言葉通りの意味もあるんだぞ。逃げた方が良くないか?」

「いやまったく、その通り。今夜だけは、男の方が良かったな」

 真顔で女性はそう嘆いた。

 男達をまったく気にせずに会話を始める二人。もちろん、無視されている当人達にとって面白いはずもない。青年の背後から、チャキリと刃を鳴らす音が響いた。

「てめぇら…俺達のこと舐めてやがんのか」

 明らかに怒気の籠った声に、青年と女性は軽く肩をすくめる。

 さらには———。

「「いや真実を言っただけだが」」

 ついには二人揃って真顔でのたまったのである。

 別に打ち合わせをしたわけではない。それに(恐らく)本人達に悪気はなかったはずである。

 が、わざとであろうとなかろうと、二人の言動が夜盗達の神経を逆撫でしないはずもなく。

 ひくり、と初めに現れた男のこめかみが危険な感じに引きつった。

「そういうわけでお引き取り願……えないよなぁ」

 青年の声と顔が、明らかにげんなりとしたものに変わった。

 それは、男達のお粗末な堪忍袋の尾を断ち切る最後の一押しとなる。

「もういい、やっちまえ! おっと、女は殺すなよ」

 怒鳴られた命令に、山賊達が一斉に叫びを上げた。


 パチン、と再びはぜた炎に刃が煌めき反射する———。


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