第124話「前座」

 セルーリアス海、昼過ぎ——


 帝国第二艦隊を撃破した後、遠征艦隊は東風を受けて南下を続けていた。

 空には過ぎ去った台風の切れ端のような雲が漂っているが、概ね晴れといえるだろう。


 帝国軍の大型竜が昼行性であることは、リーベルも含めた各国の密偵たちによって知られている。

 夕方の雲に紛れて飛んで来たら、帰りが真っ暗になってしまう。

 そのとき、闇に怯える竜をどう宥めるのか。

 夕方に向かって雲を増していくというが、その頃に飛んでくる竜はいない。

 いまは右舷上方を警戒中だが、午後、遅くても夕方には終わる。

 その頃にはアレータ島が水平線上に見えてくるはずだ。


 あの岩島は大陸から離れた場所にある。

 つまり岩島が見えてくるということは大陸から一旦離れたことになり、艦隊は竜が届かない距離へ離脱したことになる。


 空へ神経を尖らせるのもあと数時間。

 本艦隊旗艦では、総司令官や参謀たちが昼食を囲みながら、今後の予定について話し合っていた。


 議題はアレータ島占領について。

 今夜行うか、あるいは明朝にするかだ。


 もう北で帝国の迎撃艦隊を撃破したのだ。

 あとは南のネイギアス艦隊を叩くだけ。

 それでこの遠征の前半戦はほぼ終わりだ。


 そういえば陸軍竜騎士団が残っているが、帝都攻略のタイミングを征東軍と合わせれば楽勝だと思っている。


 竜が征東軍に向かったら、遠征艦隊が遠くから狙い撃つ。

 竜が遠征艦隊に向かってきたら、引き付けている間に征東軍が帝都を陥落させる

 帝都が陥落すれば、竜も一緒に逃げるしかない。

 どちらにしてもこちらの勝利は動かない。


 アレータ島は、執政がリーベルに領有させまいと粘りに粘った島だ。

 彼の国の艦隊は必ずいる。

 岩島の北側にいないということは、南側に隠れているということだ。

 コソコソと隠れて鬱陶しい連中だ。


 昼食会兼作戦会議は、明るくなってから岩島の南側に誘導射撃を集中させる作戦に決まった。

 隠れていようが、いまいが滅多撃ちにしてやるのだ。


 明朝、アレータ島を占領する。

 遠征の後半戦、ネイギアス連邦攻略に向けて。


 方針は決まった。

 遠征艦隊に静かでゆったりとした時間が流れる……

 それは本艦隊だけでなく、前衛艦隊でもだ。


 前衛艦隊は本艦隊より離れて先行していた。

 その距離は、本艦隊の先頭艦から前衛艦隊の最後尾艦が薄っすらと確認できるほど。


 だから……

 本艦隊から前衛艦隊の先頭艦の緊急事態を見ることはできなかった。


 先頭艦のメインマストの見張り員も右舷上方を注目していたが、何気なく左を見てみた。

 彼は肉眼より遠くを見通せる魔法兵たちを信じ切っていた。

 その彼らが何も言わないのだから、左に何かあるなんて思っていなかった。


 左を見たのは見張り員としての癖のようなもの。

 本当に何気なくだ。

 だがその途端、


「敵襲ぅぅぅっ!」


 カン、カン、カン、カン、カンッ——!


 見張り員は悲鳴のように警鐘を打ち鳴らした。

 甲板中がメインマストの見張り台に注目した後、見張り員が指し示す左前方を見た。

 そこには……


「全騎、撃ち方用意っ!」


 エシトス隊が迫っていた。



 ***



 火竜隊一五騎は縦一列で無敵艦隊に迫っていた。

 南南西に向かっている艦隊に対して、三隊は真北に向かっていたので、攻撃位置は艦首やや左になりそうだった。


 先頭を飛ぶエシトスから第一小隊へ伝声筒で命令。


「第一小隊の目標、先頭艦!」


 もうここまで近付ければ十分だ。

 伝声筒の気配を感知されるどころか、甲板で動いている人影が見えるくらいだ。

 向こうからも目視できているはずだ。


 第一小隊は細かく軌道修正。

 艦首左への連撃で艦中央の核室を破壊できる針路に修正を完了した。

 第二小隊、第三小隊もそれぞれの標的に狙いを定めた。


 先頭艦の警鐘が鳴ったのはそのときだった。


 カン、カン、カン、カン、カンッ——!


「!」


 皆で右を向いていたのだろうか。

 警鐘の鳴り始めが遅い。


 これで奴らは小竜隊を見た。

 襲撃だと理解し、迎撃態勢を整える。

 ……これから。


 遅すぎる。

 その前にこちらは先制攻撃を撃ち込める。


 パァンッ! パンッ!

 パ、パパンッ!


 苦し紛れか、銃兵がこちらを牽制するように銃撃を放っている。

 当たりはしないが念のため、身体を低くする。

 少し遅れて砲撃も飛んできた。


 ドン、ドン、ドンッ!


 砲弾は赤くも青くも光らない。

 通常弾だ。


 エシトスたちは知らないが、ほぼすべての魔法艦で付与弾が不足していた。

 特に、帝国第二艦隊を返り討ちにしていた前衛艦隊で欠乏が顕著だった。


 誘導射撃でも何でもないただの通常弾が、低く飛ぶ小竜に当たるはずがなく、周囲に水柱を立てただけだった。

 乱立する水柱の間を抜けて、イルシルトたちがあぎとを開いた。


 攻撃の直前、エシトスが呟いた。


「すまんな、レッシバル」


 元はと言えばこの〈漁〉は、レッシバルとフラダーカが始めたことだ。

 なのに、無敵艦隊に初めの一撃を加えるのは彼らではない。

 そのことを申し訳なく思う。


 だが、剣王四隻を水精艦に固定させて一気に倒すためだ。

 そのための時間差攻撃だ。

 一番を争う競争ではない。

 だから一番ではなく前座、二番ではなく真打と考えるべきだ。


 火竜隊は前座だ。

 前座の務めは真打が登場する前に場を盛り上げていき、温めておくことだ。


 温めてやる。

 小火竜の溜炎で!


「一番、てぇぇぇっ!」



 ***



 エシトスの号令と共にイルシルトが溜炎を撃った。

 艦首へ発射すると、命中まで見届けない。

 すぐにその場を退かなければ、二番手の溜炎を発射できないからだ。

 発射直後に手綱を引き絞り、仰角四五度で上昇する。


 火竜隊はなるべく上昇しないという作戦だったが、仕方がなかった。

 第二小隊は敵二番艦を狙い、第三小隊は三番艦を狙っている。

 発射後、左旋回では敵艦に激突する虞があり、右旋回では味方の射線を遮ってしまう。


 第一小隊は、撃っては斜め上に離脱し、次の竜も撃っては斜め上に……


 これが、南航路でリーベル派の海賊船が消息を絶った真相——

 溜炎の連撃だ!


「くっ……防げ!」


 先頭艦にいた三人の魔法兵が障壁の緊急展開に成功した。

 一人は熟練魔法兵で、二人は新米だったようだ。

 艦首左に透明な三層の壁が現れた。

 範囲は狭いが、五つの溜炎を受け止められる……はずだった。


 竜が吐く火炎とはいえ、小竜の小さな火の玉……

 大きさも自分たちが作る火球と違わない。

 初めて見る攻撃だったが、大きさで威力を判断してしまった。


 竜の炎が人間の火球と同じ大きさだとしたら、どれほど圧縮されているのかを計算していなかった……


 ボォン! ボォゥン! ガァン! ドガァッ!


 溜炎の一発目は一番外側に展開していた熟練兵の障壁を爆破した。

 二発目は新米二人の障壁を二枚纏めて破り、三発目以降が艦体を穿つ。

 そして五発目が核室に届いた!


 ドカァンッ!

 バキバキバキッ!


 核室は小まめな点検が欠かせない呪物だ。

 繊細で壊れやすく、そして僅かな傷も許されない。

 その繊細な呪物に溜炎が直撃したら……


「核室破損!」

「おい、どうするんだっ⁉」


 艦内を抉られ死傷した兵は多かったが、免れた水兵たちもまだ多かった。

 生存者たちの悲鳴があっという間に艦内に充満していった。


 核室に入っていたのは火精サラマンダーだった。

 大きく空いた穴から這いずり出てくる。

 このままでは炎を撒き散らし、強制転移が始まってしまう!


 これを止められる、もしくは艦外に強制排除できるのは、


「召喚士っ!」


 艦内にいた士官の一人が召喚士の姿を探す。


 精霊艦というくらいなので、魔法艦には核室の管理をしている召喚士がいる。

 呼び出した張本人なのだから、いま直面している危機を解決できる唯一の術士だ。


「ええい、召喚士! 何をモタモタし……」


 そこまで叫んだところで止まった。

 下からの視線に気付いた。

 召喚士だ。

 仰向けで、虚空を見つめている。


 士官は召喚士の目を見てわかった。

 しっかりしろ、などと無駄なことは言わない。


 核室の近くにいたから、溜炎五発目の直撃に巻き込まれたのだ。

 口、耳、鼻。

 穴という穴から血を噴き出して、ずっと瞬きをしない。

 召喚士はすでに死んでいた……


「くっ!」


 火精を呼び出した術士が死亡し、破損した核室からその火精が逃げ出しつつある。


 水兵たちが長い棒状のもので核室へ押し戻そうと必死だが、木製の棒は焼け、鉄製は赤く溶けてしまう。


 士官はこの艦が置かれた現状を正しく理解した。

 精霊の暴走による強制転移は止められない。

 総員退艦だ。


 彼は伝声筒で艦長たちに報告した。


「艦長! こちら核室——ゴオオオォォォッ!」


 丁度、報告している最中に火精が吐いた業火に呑まれた。

 彼は肝心な核室がどうなってしまったのかを報告できなかった。


 核室から完全に脱出できた火精は自由を得た。

 これより火の精霊界へ帰る。

 鬱陶しい召喚士はもういない。

 この世界に留めようとする邪魔者はいなくなった。


 ただ、帰るにも〈旅費〉が必要だった。

 なのに……


 精霊にこの世界へ来てもらう時、人間は核室内で焚火をしたりして〈旅費〉を用意するが、用事が済んだら空中に放り出して知らんぷり。

 自力で帰れ、ということらしい。


 今日も「どうぞ、これでお帰り下さい」と〈旅費〉を渡されたわけではないが……

 近くにあるものを使っていいのだろう?

 普段、強制排除された先に漂っている風の〈気〉を燃やすしかないが、今日は船の中だ。


 まずは船を焼き、火薬に引火させて火の〈気〉を増大させる。

 この船を帰りの〈旅費〉にする!


 ゴオオオォォォッ!


 火炎放射第一射目が士官に向かって放たれたのは偶然だった。

 しかしこれによって、艦内の被害状況が艦長に伝わらなかった。


「おい! 核室がどうした? 誰か応答せよ!」


 艦長と士官の伝声筒は繋がったままだが、誰も命令に従わない。

 艦長の伝声筒には凄まじい断末魔の叫びが流れ続けていた。


 ……さっきの五連撃か?

 五連撃で核室をやられ、そのせいで誰も応答どころではないのか?

 艦長の顔が青ざめていく。


「見て参ります!」


 見えぬ状況に苛立った副長が、甲板下へ通じる扉を開いた。

 その途端、


 ドカアアアァァァッ!


 扉から爆炎が勢い良く飛び出し、副長を海へ吹っ飛ばした。

 彼はくるくると回転しながら宙を舞った後、着水。

 うつぶせに浮かんだまま二度と動くことはなかった。


 扉が開かれたことで外気をよく取り込み、艦内がよく燃える。


「そ、総員——」


 甲板のあちこちで炎が噴き出しているのを見て、艦長はついに決断した。


「総員退艦! 退——」


 ずっと最強で居続けたことの弊害か。

 自分たちが負けて退艦する場合があるということを、いつの間にか忘れていた。


 もちろん平時において、かかる状況を想定した訓練が行われていたが、気怠い慣例や行事と化していた。

 だって……


 リーベル海軍は遠距離・近距離共に無敵なのに、一体誰が退艦させ得るというのか?


 若い水兵はもちろん、慢心を戒めなければならない士官や艦長ですらも内心では嘆息が尽きなかった。

 決して本番がやってくることのない、永遠の予行練習に過ぎないのだ、と。


 それがまさか今日、本番がやってくるなんて……!


 すべてが遅かった。

 熟練魔法兵たちの障壁を突破されたとき、総員退艦を命じるべきだった。

 爆発や業火に艦のすべてを包まれてからでは遅すぎたのだ。


 先頭艦は転移消滅した。

 誰一人避難できないまま……

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