第83話「大嘘つき」
空にありったけの炎を撒き散らし、小火竜のボスは地上へ急ぐ。
しかし雷竜小隊は炎をひらりと躱し、翼を畳んで急降下攻撃を仕掛けた。
とはいえ、溜雷を撃ち込もうというのではない。
寸前で体勢を変え、エシトスたちに気を取られているその背中へ蹴りをお見舞いする。
一発、二発……五発。
「ギャアァァァンッ!」
連続する蹴りを受けたボスは堪らず墜落した。
ドォォォンッ……!
先に落された子分たちのように、濛々と上がる大きな土煙。
幸い、肩と首を押さえられていたわけではなかったため、ボスは四肢を地に出すことができた。
とはいっても綺麗に着地できたわけではない。
墜落の衝撃を完全に分散することはできず、腹を強く打ってしまった。
牙の間から苦しみの呻きが漏れ出る。
「……グルルルル……」
先程、ボスが上がってくるのを見た火竜群は、士気を盛り返しかけていた。
ところが、
——ボスでもやられるのかっ⁉
火竜たちの心は折れてしまった。
本当は、攻撃を終えた小隊を上から叩くべきだったのだが、ボスの下へ駆け寄ってしまった。
制空権を雷竜に渡してしまった……
上昇から水平飛行へ移ったレッシバルの眼下で、火竜たちは巣を中心に方円陣を組んでいた。
空を取られ、騎兵が巣を狙っている……と思い込んでいる状況では防御力を高めて凌ぐというのは間違いではない。
ただし、援軍の当てがあるなら、だ。
当てがないのに方円を組んでも、全滅に至る時間が少し延びるだけだ。
これで舞台が整った。
空中班は巣の上空で旋回を続ける。
あとは火竜が上昇しようという気配を見せたら、上から叩いて阻止するだけだ。
今回、空中班は主役ではない。
脇役ですらない。
裏方だ。
裏方の一番大きな仕事は制空権を確保することだった。
空を封じられた火竜は、決闘に応じるしかない。
?
決闘はやらないのではなかったか?
それは空での決闘についてだ。
裏方が勝っても仕方がない。
主役は……
レッシバルは伝声筒で主役に呼び掛けた。
「慎重に行けよ! エシトス!」
「ああ! 後は任せてくれ!」
木々の間から、エシトスが単騎で進み出た。
一斉に火竜たちの注目が集まる。
「グルォアアアァァァッ!」
「ガオオウゥゥッ!」
子分たちが威嚇の声を浴びせるが、彼は一切動じない。
ボスの正面に馬を進め、右手の槍を天高く掲げた。
そして息を肺一杯に吸い込み、
「オオオオオオォォォッ!」
人間の咆哮が森を震わせ、子分たちを黙らせた。
ボスは?
さすがはボスだ。
怯みはしなかった。
むしろ、やっと侵入者共のボスが出て来てくれたか、と戦意が高まった。
空では、誰がボスなのかわからなかった。
全員がボスのような、全員が子分のような。
得体が知れなくて気持ち悪かった。
それに対して、正面に立つあの人間はわかりやすい。
あいつがボスだ。
あいつを倒せば侵入者共が帰る。
ボスは、エシトスを決闘の相手と認めた。
「ガオオオォォォッ!」
申し込みの咆哮に対して、ボスも咆哮を返した。
「受けて立つ!」と。
申込と承諾。
手続きは完了した。
これよりエシトス対ボス竜の決闘が始まる。
***
昔、ピスカータという貧しい漁村に、エシトスという少年がおりました。
少年には夢がありました。
正騎士になることです。
ところが、少年は〈ピスカータ探検隊〉という悪ガキ集団とつるんで悪戯三昧の日々を送り、両親を困らせていました。
お世辞にも、騎士に必要な高潔さと誠実さが備わっているとは言えません。
そんな彼がなぜ騎士になりたかったのかというと、正騎士になれれば裕福になれるからです。
都に豪邸を建てて両親を呼び寄せ、二人に楽をさせてあげたかったのです。
ですが、彼の夢が叶うことはありませんでした。
ある日、村が海賊に襲われ、両親も他の村人たちも皆殺しにされてしまったからです。
……彼は、偶然にも探検隊と村を離れていたため、難を逃れました。
その後、多くの人たちの善意と親切に恵まれながら、立派な大人になることができました。
大きくなったら孤児院を退所しなければなりません。
彼は仕事に就きました。
子供の頃からの夢だった正騎士に?
いいえ。
実は帝国社会において、正騎士は財力のある者しかなれなかったのです。
漁師の子にはそもそも無理な夢でした。
それに……
豪邸に呼び寄せるはずだった両親はいません。
これでは正騎士になっても仕方がない。
彼は、大陸各地を旅して暮らす配達屋になりました。
配達屋は一年の殆どを野外で過ごすことになる過酷な仕事です。
豪邸どころか、自分の住処すら不要でした。
酷い暮らしです。
でも、辛くはありませんでした。
だって、家があっても出迎えてくれる家族はいないのです。
家で孤独を味わうくらいなら、野外の方がいい。
配達屋なら、野外で一人野宿していても不思議はない。
孤独について説明がつきます。
彼は山野を駆け抜け、モンスターが跳梁する内陸近くの集落へも荷を運びました。
毎日、毎日……
そんなある日、彼を含めた探検隊は執政トライシオスと出会いました。
皆で集まって、リーベルの侵略にどう対抗するか話し合うのです。
シグとザルハンスは、帝国に仕える役人と海軍軍人。
ラーダは元リーベル陸軍魔法兵。
トトルは帝国側の商人。
レッシバルは、リーベル派の海賊船を撃破した本会談の主役。
エシトスは首を傾げました。
何の肩書も武功もない一帝国市民に過ぎない自分が、なぜ一緒に着席しているのだろう、と。
しかし彼は〈ついで〉ではありません。
むしろ、レッシバルに並ぶ主役級と言っても過言ではありませんでした。
その自覚をもってもらうため、執政は彼に告げます。
「火竜隊をエシトスが率いるべきだ」と。
無茶です。
竜騎士どころか、準騎士ですらなかったのに。
彼が口を開くまでもなく、レッシバルが反対しました。
本職の竜騎士による指摘です。
説得力がありました。
しかし執政は譲りません。
「友をもっと信頼するべきだ」
もちろん、これはレッシバルに向けられた言葉です。
ですが、エシトスの琴線に触れました。
竜は勇者と認めた者しか背に乗せません。
勇者どころか、軍人ですらないのに乗れるはずがない……
そもそも彼が自分の能力を信じていませんでした。
議題はエシトスについてでしたが、話の当事者は執政とレッシバルです。
その後も彼自身は口を挟まず、二人のやり取りを静かに聞いていました。
すると、執政に妙なものが重なりました。
目にゴミが入ったかと擦ってみましたが消えません。
他の探検隊は何事もない様子。
その妙なものが見えているのはエシトスだけでした。
彼の目にだけ見えたもの——
それは元気だった頃の父親の幻でした。
父親は髭面で厳つい海の男そのものといった風貌でしたが、執政は線の細い優男です。
似ても似つかない……
でも、彼の目には父が重なって見えます。
父の幻は語り掛けてきました。
……息子よ。
おまえは勇者だ。
ザルハンスやレッシバルのような武功がない?
そんなことはない。
僻地だからと諦めていた荷が届いたときの人々の喜び、それこそがおまえの武功だ。
おまえだから山賊やモンスターから荷を守り通せたのだ。
海のザルハンスや空のレッシバルに劣るものではない。
だから自信を持て。
勇者エシトス、おまえならできる!
***
咆哮の後、エシトスは天に向けていた槍の穂先をボスへ向けた。
馬も竜を恐れる様子はなく、主の意に従って距離を詰めていく。
さすがは陸軍の軍馬だ。
シグに手配してもらって正解だった。
戦場は爆発や怒号、大型モンスターの咆哮等の大きな音が絶え間ない。
大型で力強いブレシア馬も、本来は他の馬と変わらない臆病な生物だ。
そこで、陸軍では馬に爆発や大声に慣れる訓練を積ませていた。
この訓練を乗り越えたブレシア馬だけが、陸軍の軍馬になれる。
トットットッ、と常足で少しずつ迫る人馬を、ボスは低い唸り声で威嚇する。
妙だ。
火竜の竜息は、もちろん火炎だ。
雷より有効射程が短いとはいえ、ここはもう竜息の射程内だ。
どうしてお得意の火炎放射を仕掛けてこない?
「グルルルルル……」
ボスは横目で森を一瞥した後、エシトスを忌々しそうに睨みつけるのみ。
炎を溜めようとしない。
一体どうしたのか?
腹から墜落してどこか痛めたのか?
そうではない。
やろうと思えばすぐに大火炎を用意できる。
だが、ここで火を吐くわけにはいかないのだ。
奴らを蒸発させるのは容易いが、森に引火してしまう。
確かに火竜は火の力を宿しているが、火の海に浸かって暮らせるというわけではない。
自らの炎で焼け死ぬことはないというだけだ。
度が過ぎた高温には耐えられない。
たとえば火口に落ち、溶岩に飲み込まれたら火竜も死ぬのだ。
成竜ですら高熱に耐えられないのだとしたら、成竜より弱い卵や稚竜が森林大火災に巻き込まれたらどうなる?
……火を吐くには、敵との距離が近すぎる。
ボスは火竜最大の武器、竜炎を封じられてしまった。
「…………」
見上げると、雷竜たちが円を描くように空を旋回している。
空は完全に奪われた。
それでも何とか制空権を取り返そうとこの場から飛び立ったら、騎兵共が巣の子供たちを殺しに戻ってくる。
ボスは翼も奪われていた。
捕獲隊は見事だ。
巣を守らなければならないという弱みに付け込んだ巧妙な作戦だった。
卑怯者ここに極まれり、だ。
ボスは侵入者のお望み通り、地上戦に応じるしかなくなった。
されど、ボスは全く戦意を喪失していなかった。
火と翼を封じられても、竜にはまだ武器がある。
鎧ごと生命を噛み砕ける強靭な牙が!
「ガアアァァァ……ッ!」
「お望み通り、食い千切ってやる!」とエシトスへ顎を目一杯に開き、ずらりと並ぶ牙を見せつける。
恐ろしい光景だが、エシトスは一切動じない。
静かに、そしてジワジワと間合いを詰めていく。
「…………」
軍馬が動じないのは訓練されているからだとわかったが、軍人ではない彼まで竜を恐れないとは大したものだ。
本当に勇者だったか?
違う。
ずっと忘れていたことを思い出したのだ。
いや、忘れたことにしていた。
勇者……
勇者といえばレッシバルだ。
共に親からゲンコツを貰いながら育ち、同じ孤児院で大きくなった。
それがいまでは〈短剣同盟〉の中心人物だ。
現在の流れは彼が作り出したもの。
すごい奴だ。
だが、誰もが彼のように生きられるわけではない。
果たせる見込みが薄い復讐心を保ち続けられるほど、人間は強くない。
いつしか薄れていく。
諦めていく。
そして非の打ち所がない言い訳を編み出す。
「昨日のことにいつまでも拘っていてはダメだ。もっと明日に目を向けなければ!」と。
エシトスもそうしてきた。
でなければ、村の焼け跡の片付けなどできはしない。
片付けがすべて終わった日、彼は過去を乗り越えることができた。
自分ではそう信じて疑わなかった。
でも、ボスと対峙して気が付いた。
過去を乗り越え、未来への希望を胸に生きてきたが、心の奥底では探していたのだ。
村を焼いて逃げた海賊へ〈届く〉裁きの〈火〉を。
認めよう。
自分は、恨みを忘れた振りを続けられるような強い人間ではなかった。
だから自分に嘘をついてきた。
大嘘つきだ。
本当は、自分もレッシバル側の人間だった。
〈火〉がどれだけ熱いか、海賊共にも味わわせてやりたい。
〈火〉が手に入ったら、どんなに〈遠く〉ても〈届け〉てやる。
配達屋なのだから。
眠りから覚めた彼の恨みは、怒れるボスの恐怖を凌駕していた。
目の前にいるのは恐ろしい小火竜ではない。
探し求めていた〈火〉だ。
配達の品だ。
必ず届けてやる。
無敵艦隊に。
リーベル王国に。
***
ジワジワと間合いを詰めていくエシトスとボス竜。
やがて一気に踏み込めば、互いの攻撃が届く距離に入った。
戦いは先手を取った方が有利だ。
エシトスから仕掛けたい。
しかしボスを中心に左へ弧を描くように移動するのみ。
睨み合いが続く。
地上から見上げてもわからなかったが、近くで見てわかったことがある。
ボスとはいっても、まだ古竜になるほどの歳ではなかった。
他の火竜たちも同様だ。
この群れに人語を解する個体はいない。
それでも……
彼は戦いの前に、火竜たちへ謝罪した。
「すまんな……おまえらにとっては全くのとばっちりだ」
これから小竜たちは、窮屈な〈巣箱〉に詰め込まれて海の真ん中へ連れて行かれる。
そして軍艦も大頭足も木端微塵にする〈海の魔法〉と戦わされるのだ。
いくら詫びても足りない。
作戦が成功して帝国が生き延びられたら、おまえらをずっと大事にする。
陸軍が大型竜にするように。
そんなもの要らないと怒鳴られそうだが、自分たちにできる精一杯の詫びと感謝だ。
誠意は将来だけでなく、いまも尽くす。
手を貸してもらうのだから、おまえらのやり方に合わせる。
決闘で勝利し、力で従わせろというならそうする。
〈火〉が手に入るなら、喜んで竜の流儀に従おう。
だから、
「だから、俺の復讐を手伝えぇぇぇっ!」
「ガオオオォォォッ!」
互いの叫びが「始め!」の合図となった。
ボスは噛み付きに飛び掛かり、エシトスは槍を繰り出す。
ついに始まった。
人が竜を下し、主従となるか。
あるいは竜が人を噛み砕き、稚竜の糧とするか。
果たして……
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