第70話「裏切者」

 自分がされて嫌なことを他人に施すなかれ。


 これは国を問わず、親から子へ、子から孫へと伝えられていく人類普遍の教訓だといえるだろう。

 教えを守れない奴にはゲンコツが落ちる。

 親から。

 近所の大人から。

 元陸軍竜騎士から。


 ?

 ……竜騎士から?


「一体、どういう了見だっ⁉」


 人気のない路地裏でレッシバルは一方的に殴られていた。

 相手は、竜を奪われたばかりの元竜騎士だ。


 かつてレッシバルも竜を奪われた。

 竜騎士たちはいまでも気の毒にと思っている。

 同時に、明日は我が身かもしれないと覚悟もしていた。


 ただし、覚悟の相手は正竜騎士だ。

 平民ではない。


 正門前であれだけ嘆き悲しんだ者がなぜ?

 話を聞いてくれというが、戯言を聞くのは報いを受けさせた後だ。


 酒場で暴れたら、親父から出入り禁止にされてしまう。

 元竜騎士は、彼の胸倉を掴んで人気のない路地裏へ連行し……

 とりあえず殴った。


 一人ずつ竜から下ろしていったことは正解だったかもしれない。

 怒れる竜騎士たちが数人がかりで殴ったら、レッシバルが死んでしまう。

 それでも結構な痣と流血だが……


 宿屋号のときと違い、レッシバルは防御と回避のみ。

 反撃はしなかった。

 いや、できなかった。

 怒られて当然の行いだと自覚していたから。


 彼らとは格闘術の訓練で何度も組み合ったが、本気の拳で殴られたのは初めてだった。

 訓練と本気では威力が違う。

 レッシバルは何度も意識が遠のきかけたが、その度に気力で持ち堪えた。


 怒って当然だが、正竜騎士共のように横取りしようと思ったわけではない。

 彼は殴られながら訴え続けた。

 一緒に、帝国を救ってもらいたい、と。


 陸軍でのレッシバルは強兵だった。

 射撃、武器や徒手による近接戦闘は竜騎士団の上位者であり、操竜術は団随一だった。

 その彼が一切反撃してこない異様さと、怒りが多少は発散できたことで、少しずつ話が耳に入り始めた。


「帝国を救う? 一体何の話だ?」


 殴られながら言い続けていた言葉が耳に残っている。

 気になった彼は倒れているレッシバルに尋ねた。


「いてて……」


 ヨロヨロと、レッシバルは立ち上がった。


 ようやく聞く気になってくれた。

 密偵が聞き耳を立てている虞があるので、全てをここで話すことはできない。

 だから、


「……お、俺の故郷に、ガネットの生息地が……あるんだ……」

「そういえば、おまえの故郷は南方の海辺だったな。海鳥は沢山いるだろう……それで?」


 ……後に、彼はこのときのことを振り返る度、苦笑いしてしまう。


 竜将閣下の操竜術は見事だったが、人間相手の説得術はド素人だったと言わざるを得ない。

 ボコボコに殴られた直後に、よくぞあのようなふざけた言葉を吐けたものだ。

 更に殴られかねないし、真面な人間は唾を吐いて立ち去るだろう。


 あんな勧誘に付いて行くのは、それこそ〈我々(準竜騎士)〉くらいのものだ。

 きっと、竜を失った直後で動転していたのだと思う。


 でも、あのとき閣下に付いて行って良かった。

 共に帝国を——

 いや、世界を救うことができた。


 彼は南方、ピスカータに向かって敬礼する。

 罵られ、殴られながらも決して諦めなかった竜将閣下の勇気と粘り強さに。


 更に殴られ、唾を吐かれても不思議ではない勧誘の言葉とは……


「一緒に、ガネットを捕獲しよう!」



 ***



 レッシバルが竜騎士四人の勧誘に成功した頃、トトルもワッハーブに渡すブレシア馬やその他の交易品の仕入れが完了した。

 これから皆でピスカータへ向かう。


 トトルは、隊商を率いて陸路を往く馬商人ということになっていた。

 近頃の帝国では珍しくない。

 船を出せなくなった交易商人が、馬車を連ねて陸路の交易に転向していた。


 しかし、帝国の支配が及んでいる地から一歩外に出れば、そこはモンスターと獣が鎬を削り合う弱肉強食の世界。

 護衛が必要だ。


 だからレッシバルや元竜騎士たちが隊商に同伴していても、誰も不審には思わない。

 退役した元軍人が、武力を活かせる職に就いただけだ。


 一行は帝都の南門をくぐり、沿岸街道を南へ。



 ***



 帝都を遠く離れ、密偵の心配がなくなった頃、レッシバルは竜騎士たちに明かした。

 フラダーカとの出会い、小竜の生息地、リーベル派のこと、そしてもうすぐ無敵艦隊が攻めてくることを。

 狙いは帝国ではなく、ブレシア人という一つの民族だ。


「帝国ではなくブレシア人? よくわからんぞ」


 そうだろう。

 帝国を占領すればそこの住人も同時に支配できる。

 事情を知らない者にとっては、なぜ領土と住人を分けるのか謎だろう。

 レッシバルは続けて事情を説明した。


 事情……

 杖計画のことを。


「…………」


 四人は、言葉が出なかった。


 荒唐無稽……

 されど話の筋は通っている。

 後は常識に照らすのではなく、そのまま頭に入れるしかない。

 それはわかっているのだが……


 彼らは、少し時間が欲しいと訴えた。

 ピスカータに着くまでには、理解も納得もしておく。


 こんな非常識な話、困惑するのも当然だ。

 レッシバルは首肯した。

 彼もリンネのことがなければ受け付けないところだ。


 話を続ける。


 模神作りには大量の人間が必要だ。

 最初の内は奴隷で間に合っていたが、次第に不足し始めたらしい。

 無敵艦隊が攻め寄せてくるのは、材料不足を解決するため。

 要するに、国を挙げての人攫いなのだ。


 我々は、何としても奴らの大陸東岸上陸を阻止しなければならない。

 だが、大陸東岸は南北に長すぎる。

 東岸のどこから上陸してくるかわからず、発見してから竜を飛ばしても間に合わない虞がある。

 ならば、沿岸から遠く離れた海で奴らを迎え撃つべきだ。


 頼みとなるのは竜だ。

 とはいえ、陸軍の大型竜ではダメだ。

 重すぎて船では運べない。


 そこで小竜隊を組織することにした。

 小竜なら船に乗せても沈まない。

 いま、海軍が母艦を用意しているところだ。


「小竜隊……それで俺たちを……」


 なぜ自分たちが目を付けられたのか、四人はようやくその理由を理解できた。

 しかし、同時に新たな疑問も生じた。


 小竜〈隊〉ということは、まとまった数の小竜たちを海へ運ぶということだ。

 母艦はかなりの巨艦になるだろう。

 昔の戦列艦のような。


 帝都の工廠は建造中の帆船軍艦で一杯だったから、別の場所で作っているのか?


 この疑問に答えるのは簡単だった。

 レッシバルは正直に補給艦を何隻か改造していると答えた。

 できれば、これで納得してほしかったのだが……


 残念ながら、そうはいかなかった。

 補給艦群の改造と聞いて、四人はさらに首を傾げた。


 戦列艦並みの巨大な母艦を新造するより、すでにある補給艦を改造する方が安上がりではある。

 だとしても、ある程度の金はどうしてもかかる。


「海軍によくそんな金があったな?」


 元々、海軍の予算は騎士団のせいで少なく、近年は竜騎士団が加わったことで、より一層削り取られているというのに……


 四人にしてみれば何気ない質問だった。

 しかしレッシバルは返答に窮する。

 トライシオスとの関係について明かさなければならないからだ。


 奴との関係は、単なる打算によるものだ。

 一時的に組んだ振りをしているだけだ。

 末永く付き合っていくつもりはない。


 でも……

 四人にわかってもらえるだろうか?


 いま、帝国は関税問題で連邦と揉めている最中だ。

 連邦は敵だ。

 なのに、陰で敵の総大将と通じ、支援を受けている。

 歴とした裏切者ではないか。


 できれば触れたくない部分だった。

 一瞬、適当な嘘でも吐いて誤魔化そうかという邪心が沸いた。

 皇帝陛下から極秘のご命令を受け、密かに予算が下りたとか何とか……


 心が傾きかけたのは事実だ。

 だが、邪心を追い払った。


 確かにレッシバルはリーベル派の海賊船に勝利した。

 その勝利を根拠に、トライシオスは魔法艦隊にも通用すると確信しているようだが、当のレッシバルは半信半疑だった。


 だって……

 相手はあの無敵艦隊だぞ?


 戦が始まったら、小竜隊は決死隊になる可能性が高いと思っている。

 だったら、嘘はダメだ。

 嘘がバレれば、決死隊は崩壊するだろう。


 レッシバルは正直に明かす道を選んだ。


 シージヤの集いは、あくまでも探検隊とトライシオスの個人的な付き合いだ。

 厳密には、小竜隊の彼らは無関係だ。

 知らなくても小竜を飛ばせる。


 しかし、ふとしたはずみで〈集い〉のことが発覚したとき、隠していたという事実が、単なる打算を嘘へ昇格させてしまうかもしれない。

 それから慌てて弁解しても手遅れだ。


 ならば最初に真実を伝えておいた方が良い。

 レッシバルは意を決し、集いのことを説明した。



 ***



 シージヤの集いについて説明を受けた四人は……


「…………」


 言葉が出なかった。


 海軍の金について尋ねたのは、ただの雑談のつもりだった。

 まさか連邦という単語が飛び出してくるとは……


 いま国中でリーベルとの戦争が噂されている。

 少し前まで、外務省はリーベルと交渉していたが、現在も海上封鎖が続いている。

 交渉は、絶望的ということだ。


 騎士団は「座して枯れるのを待つくらいなら打って出よう!」と叫んでいるが、敵は海からやってくるのだ。

 海岸でいくら喚き散らしても、射程の外から火球や雷球を撃ち込まれるだけだ。


 レッシバルの言う通り、対リーベル戦の主力は竜だ。

 だが、海上を飛んで竜炎を放射しようにも、大型竜の巨体は遠くからよく見えるだろう。

 放射位置へ着く前に、艦砲射撃で撃ち落とされてしまう。


 仮に犠牲を厭わず突っ込んでいったとしても、戦場海域に長く留まることはできない。

 沿岸から敵艦隊まで遠すぎるのだ。

 多大な犠牲を出しながらせっかく接近できても、一撃離脱ですぐ帰ることになる。

 その一撃も、障壁に阻まれてしまうかもしれない。


 竜の体力を温存させるため、船に乗せて運ぶというのは良い考えだ。

 そして大型竜を乗せることはできないので、小竜を乗せて行く。

 火力不足を補うために〈隊〉を組んで。


 海で戦う小竜隊……

 過去に前例のない新たな力だ。

 こんな奇策、よくぞ思い付いた。

 ……いや、奇策とは言い切れないか?


 奇策は斬新で意外性に優れる反面、実を伴わない机上の空論であることが多い。

 だが、レッシバルはアレータ海で魔法兵同伴の海賊船を撃沈している。

 実を伴わない奇策ではない。

 だからこそ〈老人たち〉が出資を決めたのだろう。


 レッシバルが小竜隊を創設するのに足りないものは、金と竜騎士だけだ。


 まずは金——


 小竜隊創設は私設軍隊を一つ作るようなものだ。

 まとまった資金が要る。

 豪商でもない一個人の力では無理だ。

 そうなると、帝国に出してもらうしかないのだが……


 海軍には金がない。

 陸軍、特に騎士団は金の亡者だ。

 いよいよ国が滅ぼされる段になっても、握った銭を手放しはしないだろう。


 それでも民たちをどうしても救いたいと思ったら、差し伸べられた手を掴むしかないではないか。

 たとえネイギアスの手でも。


 連邦が抜け目ないのではない。

 帝国が暗愚なだけだ。

 竜騎士団増強を唱えて割り増しで予算を要求しているくせに、結局その割り増しの大部分は騎士団に集められているのだから。


 そして竜騎士——

 小竜の数を増やすだけでなく、竜騎士も必要だ。

 世間でもリーベルとの戦争が近いと噂になっているのだから、竜騎士志願者を募り、一から育てている時間はない。

 竜騎士団から引っ張ってくるしかないだろう。


 しかし……

 我々がその話に耳を貸すことはない。

 いま乗っている竜をどうするのだ?

 せっかく懐いてくれているのに。


 それこそ、「竜から下りろ!」と命じられない限り、レッシバルに付いて行こうとは思わない。


 レッシバルを裏切者、卑怯者と罵るのは簡単だ。

 ならば、自分たちならどうやる?

 裏切者にも卑怯者にもならず、如何にして必ず来襲する無敵艦隊を凌ぐ?


 …………

 ……無理だ。


 彼と同じ決断をするしかないだろう。

 いや、違う。

 決断できない。


 我々は竜騎士だ。

 最近では正騎士の次に子供たちが憧れる存在だ。

 ゆえに、裏切者や卑怯者と罵られる勇気はない。

 彼のような決断はできない。


 物事の表面しか見ない者たちは彼を「ネイギアスと通じた裏切者め!」と罵るだろう。

 文字だけなら、愛国心の塊のように聞こえる。

 だが、もっと掘り下げて考えると、実は国も民も一切顧みていない言葉なのだと気が付く。


「裏切り者め!」ということは、自分は潔白だということだ。

 たとえ全ブレシア人が攫われることになっても、自分は騎士道に恥じるところはなかったと胸を張るつもりなのだろう。

 皆のことを第一に考えているようで、実は民より自分の名誉が第一なのだ。


 騎士たち軍人が日々訓練に専念できるのは、民たちが税を納め、生活の糧を与えてくれているからだ。

 危険が迫ったら軍人たちは血と泥に塗れても、私たち民を守ってくれると信じてくれている。


 なのに、いざ本番が迫ったら、汚れるわけにはいかないと尻込みする。

 これは民たちに対する裏切りではないか?


 ずっと食わせてくれた民を血と泥に塗れさせ、自分一人高潔であり続けようという卑劣さ。

 たとえ「騎士だった者にあるまじき!」と皆から蔑まれても、その皆の命を救うためにネイギアスの金を受け取る卑劣さ。


 国と民にとって、どちらがより卑劣だろう?


 何がかっこいい騎士だ。

 何が勇敢な竜騎士だ。

 国や民のため、泥を被る度胸も覚悟もない臆病者ではないか。

 ……我々に、レッシバルを非難する資格はない。


 四人の心は決まった。


〈集い〉について語り終えたレッシバルは少し不安気だ。

 共に命を賭けてもらう仲間に隠し事はしない。

 だから正直に明かしたが、通報されても仕方がない内容だった。

 果たして……


 青痣・黒痣が残る不安顔を見て、四人は苦笑した。

 馬鹿正直すぎる、と。

 苦笑の後、彼らは一斉に——


「! お、おまえら……」


 レッシバルは驚いているが、形に囚われている帝都の石頭共と一緒にされては困る。

 通報などするわけがないではないか。

 我らの新しい〈隊長殿〉を。


 隊長の勇気に対し、総員——


「敬礼っ!」

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