第68話「渋いワイン」

 ピスカータ西方、断崖の岩場に小竜がいる——


 トライシオスはそう言うが、俄かには信じられない話だ。

 探検隊の六人は首を傾げる。

 決して知らない場所ではなかったからだ。


 子供の頃、親たちが絶対に行くなと厳命するから何度か行ってみたが、小竜はいなかったように思う。

 もしいたら、かっこいい竜を見たくて足繁く通ったことだろう。


 街道も岩場も、獣が食い散らかした残骸が転がっているだけの気持ち悪い場所だ。

 やがて興味を失い、近寄らなくなった。


 六人の話を聞いていたトライシオスは面白そうに笑った。


「絶対に行くなと言われたから行ったのか。親御さんたちは大変だったな」


 少し笑った後、小竜についての説明を続けた。


 探検隊の記憶は間違っていない。

 帝国領内で活動中の密偵によれば、小竜が岩場に棲み付き始めたのは最近のことだという。


 本来、大型・小型共に竜は人が通わぬ奥地や秘境に棲む生物だ。

 それがなぜ岩場に現れるようになったかというと……


 トライシオスは帝国側右端の席を指差した。

 レッシバルを。


「お、俺っ⁉」

「正確には君一人じゃなくて、〈君たち〉のせいだよ」


〈君たち〉とは、帝国陸軍のことだ。

 具体的には、大昔から連々と続けてきた征西軍を指している。


 征西軍は名の通り、西の旧領をモンスター共から奪還する軍だ。

 奪還するということは、そこに居座っているモンスターを蹴散らすということだ。

 敗走したモンスターは西か南北へ。


 南には山岳地帯があった。

 山は竜の縄張りだ。


 竜たちは侵入者共と戦った。

 竜は最強の生物だ。

 小型竜だったとしても、一対一で敵うモンスターは少ない。


 しかしこれは成竜の話だ。

 卵や稚竜には当てはまらない。


 日々押し寄せる侵入者共は成竜と戦わず、卵や稚竜を狙った。

 これには敵わない。

〈数〉の力の前に、最強の生物も縄張りを明け渡さざるを得なかった。

 ただし、立ち退いたのは小型竜だけだ。


 大型竜は巣の周囲が多少鬱陶しくなったものの、縄張り明け渡しには至らなかった。

〈数〉を誇るモンスターの大群も、一軍を焼き払う大型竜の火力には敵わなかった。


 大型竜は何人も理由の如何を問わず、縄張りに入ることを許さない。

 モンスターはもちろん、小型竜も。


 小型竜はモンスターに追い立てられ、大型竜からも追い払われ、南へ落ち延びていった。

 その落ち延びた先がタンコブ岩の北に広がる森林地帯だ。


 だが、自然は厳しい。

 余程のことがない限り、生物は自分と少しでも違う点があるものを仲間とは認識しない。

 森林地帯には数が多かった小型火竜種が定住し、希少種だった小型雷竜種はさらに追い払われた。


「小雷竜が落ち延びた先が、タンコブ岩の辺りだったというわけか」


 ピスカータ村が滅び、山菜採りに近付く人間がいなくなった。

 小型雷竜種にとってタンコブ岩周辺は、ようやく手に入れた安住の地だったのだろう。


 レッシバルは納得しかけたが、一歩手前で止まった。

 タンコブ岩周辺が小型雷竜種の縄張りだったというなら、親竜や他の成竜たちは?

 そして、フラダーカ以外の卵はどうした?


「そのことなのだが——」


 トライシオスが続ける。


 共に北から落ち延びてきた小型火竜と雷竜だったが、森林地帯は数が多かった火竜が占有した。

 深い森は外敵が少ない。

 親竜たちは安心して産卵と子育てができた。

 稚竜はやがて若竜になり、巣立ちの時を迎えるわけだが……


 北からは獣やモンスターも一緒に流れ着き、彼らの縄張りが森のあちこちに点在していた。

 若竜が自分の縄張りを持つには他の種族から奪い取るか、あるいは……


 若竜たちが選んだのはさらなる南下だった。

 タンコブ岩周辺に展開している小型雷竜の縄張りを奪取する。

 結果は、フラダーカの親たちが孵化寸前の卵を捨て、命からがら逃げることになった。


 レッシバルとフラダーカが出会った日、空を見上げても何もいなかったのは不幸中の幸いだった。

 縄張りの新たな主となった火竜たちは、敗走した雷竜の追撃に出掛けていたのだ。

 二度と戻ってこないように……


 さっきトライシオスが地図を確認していたのは、密偵から得た情報とフラダーカの話をすり合わせていたのだ。



 ***



 レッシバルは、首から革紐で掛けている竜鱗を握りしめた。


 ——そうか、俺たちが……


 以前、征西軍本隊へ北一五戦隊の全滅を報せに行ったとき、行き違いの絶望と疲労の限界で力尽き、その場で眠り込んでしまった。


 大陸の真ん中で寝転がっていたら危険だ。

 獣かモンスターに食われるのは必定。

 だが、無事に目覚めた。

 そのとき、胸の上に乗っていたのがこの竜鱗だ。


 後でわかったことだが、これは小竜の竜鱗だった。

 野生の小竜が、眠っている自分の近くを通り過ぎて行ったらしい。


 気を失い、新鮮な肉と化していたのに、なぜ襲わなかったのか?

 理由はいまでも謎だが、ともかく小竜は見逃してくれた。

 その後、フラダーカと出会い、今日は小竜隊を作ろうという話だ。

 小竜との不思議な縁を感じる。


 以来、幸運のお守りとして身に着けていた。


 それだけに、彼らの穏やかな日常を征西軍が破壊し、自分もその一員だったことが申し訳なくてお守りを握りしめていた。

 トライシオスの言う通りだ。

 元はといえば征西軍のせいだ。

 俺たちのせいで、フラダーカと親竜が別れることになったのだ。


「それで?」


 まだ話の途中だ。

 竜の話は征西軍非難のためではなく、縄張りに行って手懐けてこいということだろう。

 かつて陸軍が山岳地帯へ赴き、大型竜を得たように。


「その通りだ。話が早くて助かる。ただ——」


 ただ?


 話そうとしていたことをレッシバルが予測してくれたので、トライシオスの手間が省けた。

 だが漏れ一つなく、全てを予測できるわけではない。

 策の立案者自らが細部について述べなければならなかった。


「ただ、行くのはレッシバルだけではないぞ」


 小竜が手に入っても竜騎士がいなければ始まらない。

 そこで……


 会談後、レッシバルは陸軍竜騎士団の中から小竜の竜騎士になれそうな者を選抜しろ。

 巻貝で知らせてくれれば、ロミンガンから帝国陸軍に働きかけて退役か、海軍に転向せざるを得ないように仕向ける。

 ……気の毒ではあるが。


 そうやって小竜隊になる竜騎士たちを集めてから、〈皆〉で岩場と森林地帯へ行くべきだ。


〈皆〉とは——

 レッシバル、選抜した竜騎士たち、そして、


「エシトス、ラーダ」

「えっ⁉」


 驚いたのは二人だけではない。

 レッシバルも驚いた。

 なぜ竜騎士ではない二人が?



 ***



 トライシオスが二人を指名した理由は単純だった。

 レッシバルの他に隊を率いる隊長が要る。

 隊長は信頼できる者でなければならない。

 よって探検隊から選出する。


 これから小火竜と小雷竜を集めるのだが、両者の縄張り争いはつい最近の出来事だ。

 しばらくは雷竜隊と火竜隊に分けて運用した方が良い。


 レッシバルは雷竜フラダーカの竜騎士なので、雷竜隊の指揮を執ることになるが、火竜隊は?


 探検隊に軍人は二人。

 レッシバルの他にはザルハンスしかいない。

 だが、彼にはソヒアムをはじめとする母艦群を率いるという大事な仕事がある。


 トトルは……

 後で説明するが、トトルには別途やってもらうことがある。

 そちらが済んだら、ワッハーブ単独の三角貿易から本来予定していた二点間貿易に戻す。

 ワッハーブは西方とロミンガン間、トトルはピスカータとロミンガン間だ。

 よって、彼も選から外す。


 シグは今日まで暇だったかもしれないが、リーベル担当部はこれからまた忙しくなっていく。

 竜に騎乗している場合ではないので除外する。


「こうして削っていくと、火竜隊の指揮を執れるのはエシトスということになるのだよ」


 ここまで、トライシオスの話は筋が通っていた。

 だが、すんなり「なるほど!」と頷くことはできない。


「無理を言うな」


 レッシバルは反対した。

 竜騎士になるのは難しい。

 孵化に立ち会って親になるか、成竜から認めてもらえる勇者になるか、その背に乗るにはどちらかしかない。


 なぜ民間人のエシトスなのだ?

 火竜隊の隊長は、選抜した陸軍竜騎士の中から任命すれば良いだろう。


 また、エシトス以上に謎なのはラーダの名が挙がったことだ。

 急降下しながら詠唱させる気か?

 絶対に無理だ。

 実際に急降下を体験したので断言できる。


「いや、そんな無茶は望んでいないよ。ただ——」


 ただ、彼も小竜に乗れるようになる必要がある。

 エシトスのように隊を率いる竜騎士になれとは言わないが、小竜隊に同行できるくらいになってほしい。

 なぜなら、


「セルーリアス海は広すぎるのだよ」


 帝国は大陸東岸を南北に縦断する大きな国だ。

 無敵艦隊がどのような航路をとり、大陸東岸のどの辺に上陸部隊を下ろすつもりなのかわからない。

 帝都に強行上陸とは限らないのだ。

 下手をすれば迎撃に出た母艦群と無敵艦隊が行き違いになる虞がある。


 そこでラーダの出番だ。

 魔法艦隊は常に探知魔法等で〈魔法〉の気配を撒き散らしながら航行している。

 彼が小竜隊と同行できれば、魔法艦隊の気配を感知して小竜隊を正確に案内することができる。



 ***



 広大なセルーリアス海で魔法艦隊の正確な位置を知る小竜隊の〈目〉や〈耳〉になれ。

 これがトライシオスからラーダに望むことだった。


「…………」


 彼の言う通りだ。

 無敵艦隊がセルーリアス海を西進してくるといっても、北寄りの航路か?

 それとも南寄りなのか?

 一つ間違えれば、いま来るか、いま来るかと待ち構えている間に水平線の向こう側を素通りされるかもしれないのだ。


 敵を撃退することばかり必死で、敵を〈見つける〉ということを失念していた。


「でも……」


 レッシバルも索敵の必要性に異論はないが、そんなに首尾良く事が運ぶだろうか?

 エシトスは配達屋だし、ラーダは陸の魔法兵だぞ?

 竜とは無関係の道を歩んできた二人だ。


 どうしてもこの二人を竜に乗せたいなら、孵化立ち会いから順にやらせるべきなのだが、リーベルは若竜になるまで待ってはくれまい。


 そうなると、やはり成竜を手懐けてくるしかないという話になる。

 でも……

 野生の竜を手懐けることの難しさを痛感しているだけに、レッシバルはどうしても不安を拭い去ることができなかった。


「なるほど……」


 無知な者は彼を意気地なしと嗤うかもしれない。

 だが、トライシオスは嗤わない。


 嗤うはずがない。

 仲間の安全を心配する美しき友情ではないか。

 団結こそが本作戦の成否を分ける最重要な要素なのに。


 でも、心配するということは裏を返せば、相手にその能力がないと見積もっているということでもある。


 トライシオスはレッシバルに反論した。


「君は二人をもっと信頼するべきだ」


 仲間としてだけでなく、その能力も。

 さっきの喧嘩から、レッシバルとザルハンスが飛びぬけて強いのはわかったが、エシトスとラーダだって見劣りするものではない。


 帝国に放っている密偵から様々な情報が入ってくるが、その中に迅速丁寧と評判の凄腕配達屋の情報があった。

 配達屋の名はエシトス。


 急斜面を駆け下り、崖を飛び越え、時には馬を全速で走らせながら、モンスターや野盗を迎え撃つ。


 軍人ではないから武名が轟くことはなかったが、彼もザルハンスやレッシバルに比肩する勇者なのではないか?

 小竜もきっと勇者と認める。


 レッシバルだって元々は準騎士だったが、後から上昇と下降に慣れることができた。

 エシトスも上昇と下降に慣れれば竜騎士になれるのではないか?


 そして、ラーダもだ。


 リーベルには研究所だけではなく、島内各所にも密偵を放っている。

 ラーダについても陸軍に潜入中の密偵から報告を受けていた。

 疾駆する馬上で探知魔法を発動できる稀有な魔法兵がいる、と。


 不規則に揺れる甲板と比べれば、馬の揺れは規則性がある。

 慣れが必要だったかもしれないが、やがて基礎的な魔法を発動できるようになった。

 さすがは馬に慣れているブレシア人だ。


 ならば、空でも可能なのではないか?

 何も強風の中を飛べと言っているわけではない。

 小竜が問題なく飛べる日の風なら、波や馬の揺れより小さいはずだ。


「…………」


 レッシバル、エシトス、ラーダは目が合った。

 考えもしなかったことだ。

 でも、できっこないとは思わなかった。

 すぐには無理だが、訓練を積むことができれば。


「そうだね。前例がないことをやるのだから訓練は絶対に必要だ」


 トライシオスも首肯する。

 そこで、さっき少しだけ触れた〈トトルにやってもらう仕事〉が登場する。


 一度に大量の小竜を手に入れるのは難しい。

 岩場や森林に何度も通い、竜騎士も小竜も少しずつ増やしていくことになるだろう。

 補給艦も怪しまれないように少しずつだ。

 少しずつ迎撃艦隊を作っていく。


 艦隊が完成するまでの間……

 フォルバレントには母艦の代わりを務めてもらう。

 積荷はないのだから、竜騎士と小竜を数組乗せることができるだろう

 ピスカータ沖とネイギアス海の間を遊弋し、リーベル派を相手に訓練を積むのだ。


 奴らの動向は巻貝で逐次知らせる。

 帝国と連邦だけでなく、世界にとっても有害な連中だ。

 もし小竜隊が仕留めそこなったら、待機させておいたロミンガン海軍に始末させる。

 だから遠慮せず、奴らを練習台にしてやれ。


 ……以上がトライシオスの策だ。


 全員、異議はない。

 よくぞ短期間にこれだけの策を練ったと感心する。

 さすがは〈老人たち〉だ。


 明日からそれぞれの仕事に取り掛かる。

 だが、今日くらいは酔っても良いだろう。

 せっかく話がまとまったのだから。


 女将が合図すると、給仕たちがそれぞれの前にグラスを置き、ワインを注いでいく。


 給仕たちは準備が良い。

 会談が終わる頃合いを見計らっていたのだろう。


 全員に酒が注がれるのを確認すると、女将が明るく、


「それじゃ、乾杯しましょう!」


 何に乾杯しようか?


 帝国と連邦、両国の益々の繁栄を?

 ……嘘も大概にしておけ。


 探検隊とトライシオスたちの友情に?

 ……親しくないのに馴れ馴れしくするな。


 なかなか決まらずに困っていると、女将が一つ思い付いた。

 グラスを掲げて強引に宣言する。


「シージヤ(投げナイフ)の集いに!」

「はぁっ⁉」


 抗議の声を上げたのはレッシバルのみ。

 残りは手に手にグラスを掲げて女将に続く。


「シージヤの集いに!」

「…………」


 掛け声と共に皆、一気に呷る。

 これから頑張ろうと場が盛り上がる中、レッシバルだけは白けていた。

 舌打ち混じりでちびちびと。


 ……上等なワインだったが、彼の口には渋かったようだ。

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