第41話「魔法の杖」

 リーベル王国最高機密〈杖計画〉


 トライシオスが明かした〈模神〉を作る計画だ。

 厳重な機密を探るのは困難を極めたが、優秀なネイギアスの密偵たちは見事だった。

 おかげで、シグたちもリーベルの狙いを知ることができる。


 計画立案者はリーベル海軍魔法研究所だ。


 海軍魔法研究所は高品質な呪物を作り出し、魔法艦について研究開発している組織だ。

 昔は単に魔法研究所という名だったが、後に海軍に属することになった。


 ロレッタ卿登場以前、陸海軍及び魔法研究所はそれぞれ独立した組織であり、魔法の実用性を重んじる陸軍と、真理探究を目指す魔法研究所が宮廷で火花を散らし、閑職の海軍は隅っこで大人しくしている。

 当時のリーベルはこのような状態だった。


 その後、魔法艦を得た海軍が急速に勢力を拡大し、魔法研究所は海軍に取り込まれた。

 というより、自分から取り込まれに行ったという方が正しい。


 まだ生まれたばかりの魔法艦という呪物に、研究者としての興味をくすぐられたからというのはある。

 だがそれだけでなく、世界中の未知の生物や魔法を研究したいという知識欲が最大の理由だ。


 そのためには海を渡れる海軍と一つになった方が良い。

 研究材料の入手を任務の合間ではなく、正式な任務とさせるのだ。


 とはいえ、閑職だった海軍の下部組織になるというのは、なかなか屈辱的なものがある。

 いくら真理探究のためでも、彼らの誇りは大変傷ついたことだろう。

 ……と考えるのが常人だ。


 彼らは違う。

 そんな些末なことは気にしない。


 彼らにとって最大の関心事は、自分だけが真理に到達すること。

 そのためなら喜んで海軍の下につくし、邪魔だと思ったら同じ研究所の魔法使いでも簡単に見捨てる。


 彼らがそこまでして到達したい真理とは——

〈生命〉を理解すること。


 魔法使いたちには、どうしてもわからない言葉があった。

〈生殺与奪〉だ。

 意味は「生かすも殺すも思うまま」ということだが、魔法使いたちは「生かす」という部分に引っかかった。


 生かす?

 すでに生きているではないか?

 殺す側が生命を与えて生かしているわけではない。


 生殺与奪の内、人間が意のままに行えるのは〈殺〉と〈奪〉だけだ。

〈生〉と〈与〉は神にしかできない。


 だから生命を理解したい。

 理解できれば、作って与えることができるはずだ。

〈殺し奪う〉ことはすでにできるのだから、後は〈与え生かす〉ことができれば生殺与奪が完成する。

 そのとき、人は真理に辿り着けるだろう。


 真理に辿り着けた人間は、人間を超越した存在になれる。

 人間を超越した者——神だ。


 すべては神になるまでの途中経過にすぎない。

 常識も倫理も人間世界の理屈。

 海軍内でどちらの立場が上かなど、人間同士の競争。

 研究所の魔法使いたちにとってはどうでも良いことだった。


 そんな下らないことより、生命のことだ。

 なぜ人を含めた動物とモンスターは生きて動けるのか?

 様々な魔法を研究してきたが、さっぱりわからない。

 後は〈実物〉を分解して、その仕組みを解き明かすしか……

 そのためなら、残酷な実験も辞さない。


 無益な殺生だ。

 いくら生きながら分解しても、それは〈殺し奪う〉ことを繰り返しているだけだ。

 多くの生命が無駄に散った。


 いや、無駄とも言い切れない。

 殺戮の果て、自分たちの間違いに気付けたのだから。


 順番が逆だった。


 真理に辿り着けたから人間を超越した力が手に入るのではない。

 人間を超越した力を持つことで神になり、真理に辿り着けるのだ。

 理解より力が先だった。


 世界各国から見れば、研究所の魔法の力は絶大だ。

 しかし神を目指すには非力だ。

 世界一といっても、万物の根源たる〈気〉から限定的に力を引き出せる術、〈魔法もどき〉に過ぎないのだから。


 いくら積み重ねても、もどきはもどきだ。

 本物の神の力には遠く及ばない。


 神になるためには、まず自分たちが〈本当〉の魔法使いにならなければならない。

 始原の魔法使いに。


 どうすればなれるのかは、魔法を修行したことがある者なら誰でも知っている。

 術者が〈純粋な魂〉になって〈気〉と一体になれば良いだけだ。

 あとは術者が思うだけで〈気〉が魔法を完成させてくれる。

 どんな大魔法でも好きなだけ。


 まさに神の力だ。

 成功したら生身の術者が死ぬのも頷ける。


 だが研究所の魔法使いたちは、成功後も神として生き続けなければならない。

 そこで考案されたのが〈模神〉だった。


 別に悩むこともなかったのだ。

 要は、始原の魔法が手に入れば良く、自分たちが〈純粋な魂〉とやらになる必要はなかった。

 神や天使専用の魔法だというなら、自分たちの命令に従って神に発動してもらえば良いではないか。


 そこで神を召喚しようという話になったのだが……

 ウェンドアで威張り散らしている真っ当な神官共は天罰云々と役に立たない。

 精霊使いたちも首を縦に振らない。

 神と精霊は別物なので、彼らの呼び掛けには応じてくれないらしい。


 魔法使いたちは段々面倒臭くなってきた。

 神官共の話からすると、神とやらは人間を善良に導きたいらしい。


 欲しいのは力だけだ。

 お導きではない。

 降りてくるなり、「これは善だ。これは悪だ」とやられたら、うるさくて敵わない。


 召喚方法が見つからないのだが、もし見つかっても本物はやめようという話になった。

 物言う神は計画にそぐわない。


 ならば、自分たちの都合に合う神を作ろう。

 本物そっくりに作る必要はない。

 神の力〈純粋な魂〉だけを模した意思なき〈模神〉を作るのだ。


 模神を杖とし、始原の魔法を我が手に!


 ……これがリーベル王国の最高機密〈杖計画〉の骨子だ。



 ***



 杖計画は、限られた者たちだけで密かに進められた。

〈密かに〉ということは、相手に知られないようにする、ということだ。

 その相手は、他国だけではない。

 計画に関係ないリーベル王国の者も含む。

 神に命令できる者はなるべく少ない方が良い。


 ネイギアスの密偵はよくぞこの情報を入手した。

 敵の密偵、仇の密偵ではあるが、すごいものはすごい。

 シグは素直にその優秀さを褒めた。


 だがトライシオスは誇らなかった。

 誇るどころか、その表情に僅かな鋭さが差す。


「……簡単に言ってくれるね」


 研究所は魔法王国の心臓部と言っても過言ではない。

 王宮より重要な場所だ。

 様々な罠や障壁が張り巡らされ、一日中間断なく探知魔法が展開されている。


 そんな要塞のような場所へ潜入するのは、世界中で暗躍してきたネイギアスの密偵たちでも困難を極めた。

 この情報をロミンガンへ持ち帰るまでに、多くの密偵たちが散った……


「……まあ、いい。いまは杖計画の話だ」


 連邦には他国のような正規軍がなく、有事の際は各都市国家が兵を出し合って連邦軍を結成する。

 装備と練度は高いが士気は非常に低く、戦場で先陣を譲り合っているような弱兵だ。

 無敵艦隊とは戦えない。


 連邦が生き残るには、帝国に勝利してもらうしかない。

 帝国海軍が全滅覚悟で突撃し、少しでも魔法艦を減らす。

 あとは大陸沿岸に上陸してきたところを陸軍で叩くのだ。

 これしかない。


 現在、連邦と帝国は不仲だ。

 にも関わらず、密偵たちの命と引き換えに入手した情報を提供しているのは、戦う覚悟を決めてもらうためだ。


 戦うしかあるまい。

 リーベルの狙いはブレシア帝国ではなく、ブレシア人そのものなのだから。


 トライシオスは話を続けた。


「杖計画は主原料を集めるところから始まる」

「主原料?」


 神の主原料、〈純粋な魂〉だ。

 これを大量に集めなければならない。

 その集め方なのだが……


 まず、生きている人間から魂を抜き出す。

 次に、魂から名前や記憶、性別等の〈個〉を削ぎ落し、〈純粋な魂〉を抽出する。

 一人の人間から採れる〈純粋な魂〉は少ないが、あとは所定の量に達するまでこの作業を繰り返していけば良い。


 この作業には外法の他に、神聖魔法が用いられている。

 神聖魔法の一つ、〈浄化〉だ。

 本来は呪いやゾンビの毒等、穢れを浄めるための魔法なのだが、これを悪用し、〈個〉を穢れに見立てて消滅させた。


 神をも恐れぬ所業ではあるが、技術的な点だけに着目するなら、研究所にとって然程難しい作業ではない。


 難しいのはここからだ。

 神を作るという無理を通そうとしているのだから、当然障害が起きる。


 始めてみると、抽出できる〈純粋な魂〉には個人差があるということがわかった。

 当たり前だ。

 一人一人の心は違うのだから。


 とはいえ、量の大小が障害になったわけではない。

 魔法艦のように納期限があるわけではないし、所定量到達までの作業回数が増えるだけだ。

 当初はそのように楽観視していたのだが……


 ここで障害が立ち塞がった。

 奴隷禁止条約だ。


 現在はただの口約束と化してしまった条約であり、実際には世界中で闇取引が行われている。

 各国はお互い様だ。

 もし違反を見つけても、白日の下に晒すようなことはしない。

 せいぜい目に余る違反国に対して懸念を表する位だ。

 程々にしとけよ、と。


 その懸念が、王国に対して投げかけられてしまった。

 研究所が荷揚げされた者たちを買い占めているところを、他国の密偵に見られていたのだ。

 以後、ウェンドアで堂々と仕入れることができなくなってしまった。


 これからは仕入れる人数を減らさなければならないので、抽出量が多い者を厳選しなければならない。

 若い者、健康な者、より純粋な者を。


 また厳選の理由は条約だけではなく、国内にもあった。

 抽出後の〈抜け殻〉を島内の人里離れたところに埋めていたのだが、どうやら〈蘇った〉らしい。


 本当は火葬にすべきだったのだが、頻繁に死体を焼く煙が上がっていると余計な詮索を招くと思い、深く掘って埋葬することにした。


 ところが、現場の者たちが作業を億劫がり、辛うじて隠れる程度にしか掘らなかった。

 後で蘇らないように弔う役目だった神官も、少し離れたところで終わるのを待っていたらしい。

 理由は、死体が多すぎて気持ち悪かったからだそうだ。


 蘇るのも当然だろう。

 職務怠慢のとばっちりを受け、埋葬場付近の村が襲われてしまった。


 このままではイスルード島がゾンビの島になってしまう。

 条約違反の懸念だけでなくゾンビ増加の問題もあって、抜け殻を減らす必要に迫られてしまった。


 島で行き詰ったら海へ出ろ——

 ロレッタ卿以来続いているリーベル人の伝統だ。


 研究所もこの伝統に従い、海に活路を見出した。

 リーベル艦と空の補給艦を待機させておき、奴隷商人の船と海上で取り引きする。

 これなら密偵に見られる危険はない。


 通りがかりの交易船に見られる可能性はあるが、そのときには船も人も海底へ行ってもらうだけだ。

 そのための魔法艦だ。


 活きの良い奴隷が市場に並ばなくなるのは当然だろう。

 取引後の補給艦はウェンドアから遠く離れた浜で荷揚げし、そのまま島内奥地の作業場へ奴隷たちを運び込んでいるのだから。


 所定の量に達するまでの日数が多少延びることにはなったが、これで計画を進めていくことができる。


 研究所は主原料調達の問題を克服した。

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