第40話「模神」
始原の魔法——
シグとザルハンスは顔を見合せ、首を横に振り合ったり、傾げたり。
初めて聞く魔法だ。
いまさら仕方がないことだが、ラーダを連れてくるべきだったと後悔した。
トライシオスと女将も顔を見合せているが、こちらは逆に頷き合っている。
本題が控えているから長々と説明することはできないが、まずはそこから説明しなければならないな、と。
「二人共よく聞いてね。わかりやすく簡単に説明するわ」
それまで静かに話を聞いていた女将が口を開いた。
魔法の説明はトライシオスより彼女の方が詳しい。
生涯、研鑽を積んできた大魔法使いが最後に目指す究極奥義、始原の魔法。
それは、本当の魔法だ。
以上、説明終わり。
…………は?
「いやいや、それじゃ全くわからないぞ!」
シグたちが面食らうのも無理はない。
説明は回りくどいより端的な方が良いに決まっているが、何の心得もない二人にそれだけで理解しろというのは酷だ。
隣で聞いていたトライシオスも、
「女将、略しすぎだ」
「そ、そう? それじゃもう少し詳しく」
だが、その次に飛び出してきた話もわかりやすいとは言い難かった。
「実は私も含めて、本当の意味で魔法使いと呼べる者は一人もいないのよ」
ザルハンスは頭を抱えてしまった。
魔女の話は難しすぎる。
余計にわからなくなった。
一方、シグは違った。
さっぱりわからなかったのは友と同じだ。
だが、また〈本当〉という単語が出てきた。
ということは、
「魔法には本物と偽物があるということなのか?」
「ええ、その通り」
たとえば、現代の魔法使いが火球を作り出そうとしたら詠唱を完成させなければならないが、その呪文は誰かが作ったものだ。
では、まだ言葉と呼べるようなものがなかった太古の人類はどうしていたのだろう?
おそらく、ただひたすらに「火球が現れますように!」と願うしかなかったのではないだろうか。
これが始原の魔法だ。
欲や疑心、そういった雑念がない〈純粋な魂〉の持ち主が世界に満ちる〈気〉と一体になり、思うだけで火球を生み出す。
つまり、魔法という名ではあるが、他の魔法のように呪文や術式があるわけではない。
〈純粋な魂〉という境地に達した状態を、始原の魔法と比喩しているのだ。
「思うだけで魔法が完成するなんてすごいな」
「ええ、すごいわね。でもね——」
でも、本当の魔法使いになれる人間は、当時も少なかったはずだ。
太古の人間も、欲や疑心に塗れた者の方が多かったのではないだろうか。
彼らは考えた。
自分たちでも魔法のようなことを起こせたらいいのに、と。
そこで言語の誕生を切っ掛けに、〈気〉に対する合言葉が生まれた。
呪文だ。
呪文や術式の登場により、多くの者が魔法らしきことをできるようになれたのだが……
楽な道が見つかったのに、あえて苦しい本道に戻ろうとする者は滅多にいない。
太古の人間でも〈純粋な魂〉になるのは容易なことではなかったのだ。
以後、魔法〈もどき〉が発達すればするほど人類は本当の魔法から遠ざかっていった。
現代の人間では、その境地に辿り着くどころか、近付くこともできない。
だから皆が魔法と思っているものは本当の魔法ではない。
〈魔法もどき〉だ。
「私の師匠によれば——」
始原の魔法は本来、神や天使が奇跡を起こすための魔法であり、人間が使うことを想定していない。
そもそも常人には無理なのだが、仮にその境地に達することができたら、その人間は奥義の体得と同時に身体や魂が砕け散るだろう。
生身の人間が〈純粋な魂〉になるということは、神や天使に近い存在になるということだ。
人間の小さな器には巨大すぎる。
始原の魔法に手を出してはいけない。
我々には〈魔法もどき〉で十分だ。
「——ということなの。わかってもらえたかしら?」
「ああ、かなりヤバいものだということは理解できたよ」
帝国の二人にもやっと理解できた。
一を聞いて十を知るというが、こんな途方もない話は無理だ。
「始原の魔法は本当の魔法だ。以上終わり」という結論だけで、これほどの内容を推知できるわけがない。
女将は鬼か?
二人の気も知らず、女将は一仕事終えたといわんばかりにお茶を啜っている。
いろいろ文句が浮かんでくるが、グッと飲み込む。
いまはリーベルの話の方が大事だ。
「つまり、一度位は憧れるかもしれないが、真面な魔法使いなら身の程を知って諦めるわけだ」
女将と代わったトライシオスがここまでの話を総括する。
「そうだな。せっかく奥義を体得しても、死んでしまったら元も子もない」
帝国側の理解もようやくネイギアス側に追いついた。
これで本題に入れる。
「ところが、世の中には諦めの悪い奴らがいる」
「いや、だって、そんなことしたら死んでしまうだろう?」
わかっている。
そのことを教えたのはこちらだ。
度忘れはしていない。
「もし、死なずに済む方法があるとしたら?」
隣り合うシグとザルハンスは目が合ってしまった。
どうやらお互いに同じ思いだったらしい。
——こいつは何を言っているのだ?
たったいま、命と引き換えになる禁断の奥義だという話をしたばかりではないか。
魔法の素人でも、小細工が一切通用しない厳しい奥義なのだとわかる。
その通りだ。
トライシオスはもちろん、女将ですらもそう思ってきた。
結局、術者が命を賭けて挑戦するしかないのだ、と。
だからこそ、リーベルの計画がわかったときには素直に舌を巻いた。
確かに邪法ではあるのだが、誰も思いつかなかった発想の逆転というべき方法だ。
世界最強の座に着いたリーベルが次に目指したもの……
やはり彼らも魔法使いだった。
魔法の奥義を極めたい。
始原の魔法を我が物にし、神になりたい。
しかし、神の力を手に入れたら死が待っている。
死ぬのは嫌だ。
始原の魔法が一番難しいところはここだ。
この矛盾を乗り越えた者にしか、万物の根源たる〈気〉は味方しない。
どうすればこの大きな矛盾を克服できるか?
リーベルの魔法使いたちは来る日も来る日も考え続け、やがて一つの答えに辿り着いた。
始原の魔法は神や天使専用の魔法。
ゆえに人間が手を出せば命を落とすというなら、
「神に発動してもらえば良いではないか」
「…………」
トライシオスの発言の後、誰も言葉を発しなかった。
否定も肯定も、何も。
甲板に沈黙が流れる。
ザルハンスは完全に固まっている。
もはや疑問を感じる思考すら停止した。
シグもそれに近かった。
次々と飛び出してくる難しい話の前に、いまにも思考が麻痺しそうだ。
だから少しでいい。
時間がほしい。
止まりかけている思考を再始動させる猶予をくれ。
本当に僅かな時間だ。
それでも会話の途中の沈黙なので、四人にとっては長い。
やっと思考能力が復活したシグは呻いた。
「……何言ってんだ? おまえ」
全くだ。
女将の説明がなければ戯言にしか聞こえない。
しかしこれは戯言ではない。
元老と女将は真顔だ。
これは二人で情報を繋ぎ合わせて辿り着いた結論だ。
シグに指摘されるまでもなく、すでに散々「荒唐無稽だ、何かの間違いだ」と指摘し合っている。
リーベルは、始原の魔法を発動してもらう神を作っている。
「神なんて、人間に作れるわけがないだろう……正気か?」
正気を疑う相手はリーベルなのか?
それとも平然と話している目の前のトライシオスなのか?
あるいは横で静聴している女将なのか?
発言したシグ本人にも、もうわからなかった。
彼の混乱はよくわかる。
知ったときは自分が元老であることも忘れて、しばらく考え込んでしまった位だ。
しかし、一人で悩んでいても埒が明かない。
ある日、巻貝で女将に連絡を取り、知恵を借りた。
おかげで答えが出た。
この世界に悪者はいても良いが、神はダメだ。
まだ作っている最中なら、完成する前に破壊してしまえ。
密偵によれば、神作りは順調に進んでいるという。
世界には、あまり時間が残されていないのだ。
だから彼の混乱が治まるのを待っている余裕はない。
トライシオスは構わず続けた。
「リーベルではこの神を〈模神〉と呼んでいるそうだ」
「もしん……?」
また聞き慣れない言葉が飛び出してきた。
神を模した神ということか?
ややこしい……
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