第36話「ピスカータの子」
後に士官学校の教官となったレッシバルは、どうしても明答できないものがあった。
「海軍小竜隊の基本戦法、急降下と溜炎の連撃はどのように編み出されたのか?」
学生からどんなにせがまれても、これだけは明かせない。
リーベルの無敵艦隊を下したこの必殺技が、まさかフラダーカの育て方を間違えた結果できるようになった技だとは言えない。
真相を知っているのは探検隊だけだ。
秘密は墓へ持って行く。
竜将が竜の育て方を間違えたなんて、あまりにもみっともない……
***
時を戻し、ピスカータ村の様子を見てみよう。
トトルの船が帝都へ向かい、飼育小屋を建て終えたエシトスが村を後にすると、レッシバルとフラダーカだけが残った。
一人と一頭……いや、二人だけというべきか?
これから二人だけの生活が始まる。
今日から育成開始だ。
とはいえ、
「陸軍竜騎士団で学んできた経験を活かし、こいつを立派な竜に育ててみせる!」
と、構えるようなものではない。
毎日小屋から出してやり、自由に遊ばせてやるだけだ。
成長するにつれ、自然と周囲の竜がしていることを真似ていくようになるから、竜騎士は静かに待っていれば良い。
竜騎士側としては、早く一人前の騎竜に仕上げたいと思うが、それは人間側の都合だ。
雑念だ。
強い竜を得たければ、育成に雑念を持ち込んではならない。
都合に合わせて竜を成長させるのではなく、竜の成長に人間が合わせるくらいの気持ちでいるべきだ。
さもないと、歪んだ竜ができあがる。
稚竜の時期はとにかくよく食べさせ、疲れるまで遊ばせることだ。
レッシバルは毎日、フラダーカを遊びに連れ出した。
初めの頃は後を付いてきて彼を中心に狭い範囲内で遊んでいたのだが、慣れてくると先行するようになり、行動半径も広がっていった。
遊びは次第に狩りの真似へと進化していき、獲物を捕まえてくるようになった。
褒めてもらおうと思って、レッシバルへ献上しにくるので、その度に撫でて喜ばせる。
正直、蛇も鼠もいらないのだが……
ここまでは順調だった。
しかしこの後おかしくなっていく。
***
レッシバル教官が間違えたというフラダーカの育て方とは……
一つ目は、ピスカータ村で育てたことだ。
立地条件に問題はない。
問題は、周囲に竜がいなかったこと。
幼竜は、飛び方、竜息の吐き方等、竜として生きていくのに必要なすべてを、親竜や若竜のやり方を見て学んでいく。
飲み込みが早い個体ができるようになると、他の幼竜たちも負けじと続く。
本来、竜は仲間の中で育つべきなのだ。
ところが、ここにはその仲間がいない。
手本となる竜も、競い合う同い年の竜も。
その代わり、この村には同族からは学べないことを教えてくれる師がいた。
浜で遊んでいたフラダーカは、ある日、師匠が狩りをしているところに遭遇し、目が釘付けになってしまった。
師匠は空を自在に飛び回り、空中から獲物の魚を見つけると急降下して捕まえる。
周囲に小竜の正しい手本がなかったので、この狩り方が手本となってしまった。
幼竜の師はガネット——
昔からピスカータ村の近くを縄張りにしているカツオドリだ。
残念ながらまだ幼いので同じような飛行は無理だったが、助走して飛び上がったり、翼を懸命に羽ばたかせてみたり……
何を目指しているのかは、レッシバルの目にも明らかだった。
本当は間違っているのだが、飛ぼうとするのは悪いことではないので好きにやらせておいた。
種族が違うのだから、どうせ出来はしないと油断していた。
それがまさか、出来る日がやってくるとは……
人も竜も明確な目標があると上達が早い。
幼竜から若竜へ向かっていたフラダーカは、早くも少しだけ飛べるようになっていた。
早速、師匠の真似をして空中から魚を探す。
晴天の日、数度旋回しただけで浮上中の魚影がすぐに見つかり、翼を畳んで急降下を敢行した。
火竜は炎を吐くことができる。
これは生まれつき身体に火の力を宿した種族だからだ。
ただ、火は水に弱い。
ゆえに火竜は水が苦手だ。
では、雷と水はどうか?
これは場合によるだろう。
たとえば魔法使いが敵船に雷球を撃ち込む場合、甲板が海水で濡れていると威力が増す。
このような場合は相性が良いが、広大な海に落ちた雷は溶けてしまうので相性が悪い。
雷竜は後者だ。
水と相性が悪い。
だから師匠を真似て潜水しようとしたら大変なことになる。
頭から海へ突っ込んだフラダーカは溺れた。
幸い、トトルが置いていったボートがあったのですぐに救助できたが、しばらくの間、浜辺から師匠たちを眺めるだけになってしまった。
ひどい目に遭って懲りたのだろう。
背中がしょんぼりと寂しそうだった。
——真剣にカツオドリを目指すようなお馬鹿竜を拾っちまった……
それが日頃のフラダーカに対するレッシバルの感想だったのだが、この時はさすがに可哀想になった。
アホな夢でも、夢は夢だ。
夢破れた者の悲しみは痛いほどわかる。
こういうときはそっとしておいてやろう。
親としての優しい気遣いだった。
それに、竜は飛ぶものだ。
心の傷が癒えた頃、自然と飛びたくなるはず。
いつか自分なりの飛び方が見つかるだろう、と簡単に考えていた。
だが……
人は他人のことはよく見えるが、自分自身のことは見えないものだ。
レッシバルも自分たちのことがわかっていなかった。
ピスカータ村の男の子は自分の足で歩けるようになると、探検隊に入隊する。
探検隊はゲンコツを恐れない。
失敗しても諦めない。
別の方法を考え出し、成功するまで挑戦し続ける。
それが探検隊魂だ。
フラダーカもピスカータの子だ。
溺れたくらいで、夢を諦めるはずがないではないか……
しょんぼりして見えたのは背中だけだ。
誰だって、考え事の最中は背中が丸くなる。
頭の中では全く落ち込んでおらず、どうすれば安全にかっこよく飛べるかを考えていたのだ。
しばらく考えていたが、ある日、フラダーカは空に戻った。
答えに辿り着いたのだ。
空中で旋回し、水面近くの魚目掛けて急降下。
ここまでは以前と同じだ。
違うのはここからだ。
ギリギリまで水面に近付いたところで、空中で口の中に溜めておいた雷を放射した。
直後に水面スレスレから反転上昇。
もう海へ突っ込んだりしない。
雷が当たって水面に浮かんだ魚は、ゆっくり飛行しながら戻ってきて拾う。
師匠とは少し違うが、フラダーカは自分なりのかっこいい飛び方を体得した。
これが急降下攻撃の由来だ。
この戦法は、雷竜フラダーカがカツオドリに憧れるお馬鹿竜だったから生まれたのだ。
こんな馬鹿々々しい由来を、学生や海軍竜騎士たちに話せるはずがない。
真相を知ったらガッカリして彼らの士気が下がる。
レッシバル教官が口を閉ざしてしまうのも無理はなかった。
***
レッシバルの間違い、その二つ目はラーダ師匠だ。
フラダーカの急降下漁は順調で、レッシバルのところへ魚を持って行き、芝居ではなく本当に褒めてもらえるという日々が続いた。
だが、それも長くは続かない。
次第に不漁で帰ってくる日が増えてきた。
魚も毎日同じことを繰り返されたら、さすがに学習する。
水面近くは危険だと判断し、浮上してこなくなってしまった。
これでは雷の放射が届かない。
せっかく夢が叶ったのに……
溺れた時とは違い、今回は本当に落ち込んでいるようだった。
目指していたものを諦めなければならないのは気の毒だ。
しかし、いつかやめさせようと思っていたので、レッシバルにとってはちょうど良かった。
忘れてはならない。
フラダーカが目指すものはカツオドリではない。
トトル商会の配達屋だ。
急上昇、急降下、急旋回。
すべて配達屋には不要な動きだ。
そんな乱暴な運び方をしたら客から怒られる。
空を飛ぼうとする動機として役立ったので放置していたが、カツオドリごっこはもうお終いだ。
魚がとれなくなったのだから、続ける意味はなくなったはずだ。
レッシバルは自然の流れでやめさせることができて良かったと、内心安堵していた。
いや、油断というべきか?
きっと運命の神様はこう言うに違いない。
「甘いわ!」
空の配達屋?
そんなことは他の竜でやれ。
フラダーカには使命がある。
野生の小竜は、中型の動物やモンスターを獲物としているので、変幻自在に飛び回る必要はない。
いや、それでは困る。
それでは将来、無敵艦隊を翻弄する飛び方ができなくなる。
普通の小竜に成長してもらっては困るので、群れから離してレッシバルに任せた。
彼に任せれば、育成条件が整っているピスカータ村で育てようとするだろう。
村には昔からカツオドリがいる。
思惑通り、フラダーカは素直にその飛び方を習得した。
これで〈速さ〉が備わった。
リーベル御自慢の誘導射撃でも捉えることはできまい。
次は堅固な障壁を貫ける〈貫通力〉だ。
放射では雷が水面に溶けたり、弾かれたりして魚のところまで届かない?
ならば工夫すれば良いではないか。
そのための師匠も用意してある。
***
現在、ピスカータ村にやってくるのはエシトスとトトルだけだ。
他に訪ねてくる者はなく、人の流れといえば巡回隊が通り過ぎていくか、レッシバルが隣村へ買い出しに出かける位だ。
だから村にとっては久しぶりの来訪者だった。
ラーダが帰ってきた。
帝都に到着したトトルから、レッシバルが村にいると聞き、彼も墓参りに帰ることにした。
久しぶりに見たレッシバルは心身共に回復しており、竜舎の前で騒いでいたのが嘘のようだ。
安心すると、隣に寄り添っている竜が気になった。
「竜を飼ってるのか。でも、陸軍の許可は?」
「いや、こいつは小型種だから許可はいらないんだよ」
レッシバルはフラダーカのことを説明した。
出会ってから今日までのことを。
話を聞いたラーダはトトルたちと同じく爆笑した。
「そいつは大変だったな……くっくっく」
笑いながら、フラダーカの頭を撫でてやり、
「おまえも変な名前にされなくて良かったな」
「…………」
話の内容はわからないが、初めて見るこの人間は親しい仲間のようだ。
親の様子を見て、敵ではないと安心したフラダーカは大人しく撫でてもらった。
互いの近況報告が終わると、二人で墓に花を供えて祈りを捧げた。
墓参りが始まった。
レッシバルの場合は、陸軍を除隊されたことの報告だったが、ラーダは魔法使いの道半ばで国外追放されたことの報告だった。
追放のことは帝都で聞いていたが、詳細を聞いたのは今日が初めてだ。
——そんなことがあったのか……
隣で聞いていて、レッシバルは恥ずかしい気持ちになった。
夢を取り上げられたのはラーダも一緒だ。
病室に来てくれていたとき、彼は苦しみの只中だった。
それなのに、自分だけが竜舎の前でメソメソと……
——みっともなかった……すまん、ラーダ。
彼の報告を妨げてはいけないので、レッシバルは心の中で詫びた。
墓参りが終わると、ラーダはフラダーカと一緒に留守番をすることになった。
本来、今日は隣村へ買い出しに行く予定の日だ。
その間、フラダーカは小屋で大人しく留守番しているはずだったのだが、ラーダのおかげで自由に遊べることになった。
「それじゃ、頼んだぞ」
「ああ、いってらっしゃい」
レッシバルは馬上から手を振り返していたが、正面を向いて馬腹を蹴り、あっという間に見えなくなった。
「行ったか……」
振っていた手を下ろし、一緒に見送っていたフラダーカを見る。
「クルルル?」
レッシバルは失念していた。
ラーダが、探検隊で最も好奇心が強い奴だったことを。
好奇心が強かったから師匠のインチキ芸に強く興味を引かれ、魔法使いの道を歩むことになったのだ。
そんな奴と珍しい小型雷竜種を二人きりにさせたら……
「さて、と……何をして遊ぼうか」
探検隊を育んだピスカータの潮風が、さっきまでのしんみりとした雰囲気を跡形なく吹き飛ばしていた。
レッシバルよ、迂闊なり。
いたずらというものは、親に見つからないようにやるものだ。
留守番など、親が出掛けている間に好きなだけいたずらしなさいと言っているようなものではないか。
ラーダの顔が、いたずら大好き探検隊に戻っていた。
***
レッシバルが買い出しから戻ると、ラーダたちの姿が見えなかった。
——どこへ行ったのだろう?
留守番といっても盗まれるような物はないので、どこへも行かずに村を警備していろと言うつもりはない。
近場の散歩なら別に構わない。
ただ、この一帯にはフラダーカの親たちを追い払った大型竜が生息している可能性がある。
そのことをラーダに注意しておくのを忘れていた。
まだ目撃したことはないが、だからといって、いないと決めつけることはできない。
何も知らずに遠出するのは危険だ。
レッシバルは急いで探しに行くことにした。
馬を小屋の前で止め、荷を中へ運びこんでいく。
終わると、身軽になった馬に跨り、馬首を村の入口へ向けた。
そのとき、
バチィッ!
バジジジィッ!
浜から風や波に混じって別の音が聞こえてきた。
「何の音だ?」
馬を謎の音がする方へ走らせた。
その間も謎の音はずっと続いている。
二度ずつ、一定間隔で。
浜に着いたレッシバルが見たものは二つの影。
ジジジッ!
一つは、掌の上で作った雷球で遠くの岩を狙うラーダ。
もう一つは、
バチィィィッ!
口の中で作った雷の塊を岩に向かって発射するフラダーカだった。
ゴガァッ!
雷の塊は見事命中し、岩を砕いた。
小竜は大型種に比べて非力だ。
火も雷も、すべて劣る。
その非力なはずの小竜の雷撃が岩を砕いた……
この攻撃法は後に、火竜種なら〈溜炎〉、雷竜種なら〈溜雷〉と名付けられ、海軍小竜隊で引き継がれていくことになる。
だが、
「ラーダ! 俺がいない間に何やってんだ!」
レッシバルが怒るのも無理はない。
トトル商会で空の配達屋になるつもりだったのだから。
カツオドリのような飛び方はしない方が良いし、溜雷など全くいらない技だ。
しかし、彼の意向に反してフラダーカは着々と小竜隊らしく育っていった。
レッシバル教官は間違った育て方だったと振り返るが、世界にとっては正しかったといえるだろう。
歴史が証明している。
このように、障壁を破る貫通力と魔法兵を翻弄する速さは、ピスカータの自然と少年探検隊によって育まれたのだ。
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