第34話「跡」

 シグの前に座る二人は、淹れてもらったお茶に口をつけた。


 ザルハンスは何度か訪問したことがあるので、お茶をいただくのは初めてではない。

 彼の妻が上手なのか、貴族は皆上手なのかわからないが、今日もおいしいお茶だ。


 火傷しない程度の温かさで、口を近づけると、お茶の良い香りが鼻の中にほんのりと充満する。

 今日もおいしい。


 カチャ……


 一口つけたシグが器を置いた。


 せっかく和んでくれているところを申し訳ないが、今日は探検隊の仲間を招いたわけではない。


 ラーダに来てもらったのは島の事情を伺うため。

 ザルハンスが来たのはリーベルに関する情報を提供するため。

 三人は本題に入ることにした。


 まずはシグからラーダへ。


「リーベルの狙いは何だ?」


 これがわからなくてずっと困っているのだ。

 仲間相手に探り合いは必要ない。

 シグは単刀直入に尋ねた。

 だがラーダの答えは、


「すまん。俺にもさっぱり……」


 いきなり希望を断たれてしまった。


「そうか……」


 正直、がっかりする。

 しかし、すぐに気を取り直した。


 友は〈外〉に置かれていたのだ。

 あの国は外国人が〈海の魔法〉に触れることを許さない。

 リーベルの狙いに触れることも許さなかったようだ。


 残念だが予想通りだ。

 もし何か知っていたら、島から出さずにどこかで消されていただろう。

 こうして向き合ってお茶を飲んでいることが、余計な情報には関わっていなかったことを証明していた。


 質問を変える。


「島の暮らしで何か気になることはなかったか?」


 これは内政や軍事に限定しない。

 物価、流行、犯罪、どんなに些細なことでも良い。


 ラーダもシグが知りたいことはわかっている。

 腕組みをし、瞑目して島での生活を振り返った。


 何か変わったこと……

 特徴的な出来事……


 天井を仰いだり、下を向いたり、眉間に皺を寄せながら記憶を掘り出す作業を続ける。


 その間に、隣のザルハンスがお茶にもう一口つけた。

 彼も話があって訪問したのだが、関係あるかどうかわからない話より、リーベルでの話の方が大事だ。

 発掘作業の邪魔をしてはいけないので、静かに待っていなければならない。


 やがて一声、


「あっ!」

「何だ? 何かあったか?」


 間髪入れず、シグが食いついた。

 ザルハンスも声こそあげなかったが、リーベルで何を見つけたのか気になる。

 二人の注目の中、ラーダはゆっくりと目を開いた。


 リーベルで陸軍魔法兵として暮らしてきて、物価の変動や犯罪の数や種類に変化は感じられなかった。

 流行り廃りも、帝国とそれほど変わらないのではないだろうか?


 そう前置きした上で、発掘した記憶を披露した。

 関係あるかわからないので、自信なさげに。


「市場に良い奴隷が並ばなくなったような気がする」


 奴隷——

 貧困や戦争等により、家畜や道具のように扱われる人間。

 戦奴や農奴として過酷な環境に投入されることが多く、命を落したり、健康を害する者が絶えない。


 昔は公然と奴隷が売買されていたが、近年は世界中で廃止しようという気運が高まり、各国は奴隷禁止条約を結んでいる。


 これはとても良いことなのだが、残念なことに罰則はない。

 条約が遵守されるかどうかは、その国の心得次第だった。


 奴隷の所有者や、これを黙認している国を条約違反だと非難しても無駄だ。

 何か違う名前を付けて、奴隷ではないと言い張るだけだ。


 知恵を絞り、議論を重ねてきてが、人間は奴隷という便利な道具を手放すことはできなかった。

 ゆえに、今日も世界中に奴隷がいる。


 奴隷は良くないことだが、今日のところは不問とする。

 いま注目すべきはラーダが語った〈良い〉という言葉だ。

 これは、〈活きが良い〉と言い換えるとわかりやすい。

 つまり、若くて健康な奴隷が減り、病気や老いた奴隷しか市場に並んでいないということだ。


 話を聞いたシグは反論というわけではないが、疑問点を指摘した。


 獲物を捕らえるという点で、人攫いと漁師は共通している。

 獲物に遭遇できるかどうかは、運に左右されやすい。

 いつも豊漁とはいかない。

 不漁のときだってあるだろう。


 ラーダが見たときは、たまたま入荷状況が悪かったのではないか?


 それに対して、ラーダは首を横に振った。

 各国の市場はどこも似たようなものだ。

 リーベルの市場だけいつも品揃いが悪いということはあり得ない。

 もしそうだとしたら、他国の奴隷商人が目を付け、良い奴隷を並べに来るはずだ。


 シグは腕組みをして唸ってしまった。

 確かにラーダの言う通りだ。


 すると、沈黙してしまったシグに替わり、ザルハンスから追加の反論が出た。


「それ、売れ残りだったんじゃないのか?」


 人気商品というものは、販売開始と同時に人が殺到して一瞬で売り切れる。

 活きの良い奴隷も同様だったのではないだろうか。


 だが、ラーダはこれも否定した。

 早朝、必要な品を求めて市場に行った時に見たのだ。

 最初からあまり良くない奴隷が並べられ、待っていた客が溜め息を吐きながら帰っていく光景を。

 それも一度や二度ではない。


 さらにラーダ自身が別の可能性についても言及した。

 奴隷商人がお得意様へ先に売ってしまった場合だ。

 取引が成立したら直接島内の農村へ納品するので、活きの良い奴隷が市場から消えても何ら不思議がないことになる。


 陸軍魔法兵は沿岸街道を巡回している。

 その途中には農村がいくつもあるので、そこで農奴として納品された者たちを目にすることができるはずだ。


 ところが、耕しているのは平民ばかり。

 試しに「奴隷を使わないのか?」と尋ねてみたら、「そんな金がどこにある?」と笑われてしまった。

 ごもっともだ。


 では、リーベルは殊勝に条約を遵守しているのかというと、そんなことはない。

 良い奴隷がいないだけなのだ。

 どこにも。


 不思議には思ったが、リーベルの事情について他国の者がとやかく言うべきではないと思い、深く詮索しなかった。


 これがシグの仕事に関係あるかどうかはわからない。

 気になった話というより、強いて挙げるならば、という話だ。

 とにかく、気になるようなことは何もなかったのだ。


 ——元気な奴隷と王国の敵対心……


 シグは余計にわからなくなってしまった。


 帝国商人がウェンドアの奴隷市場を独占し、〈粗悪品〉を高値で売りつけていたというなら理解できる。

 だが、そんなことはなかったし、仮に帝国が値をつり上げたら、その分だけ他国の商人が値を下げてくるだろう。

 帝国商人が儲け損なうだけだ。


 それに帝国だけでなく、他国からの元気な奴隷もいないというのが不可解だ。

 なぜ他国はウェンドアへ売りに来ない?

 王国がわざわざ海上封鎖して、帝国商人を市場から締め出してくれているのだ。

 普段より儲ける好機ではないか。


「……やっぱり関係なさそうだな」


 話し終えた後、ラーダ自身がポツリと呟いた。

 困っているシグのため、必死に思い出した情報だったのだが、彼の仕事に必要な情報ではなかったようだ。


「いや、それはわからない」


 本当だ。

 現状では、その話が関係ないかどうかも判定できない。


 シグは礼を述べ、頭の片隅に記憶しておくことにした。

 いまはそれで良い。


 次はザルハンスの番だ。

 提督たちが臨時休暇を装い、極秘にリーベル担当部へ伝えたい情報とは?


「シグ、おまえも俺も嫌だが、ちょっとピスカータ村が焼かれていた日のことを思い返してほしい」

「……うん」


 レッシバルのように激昂はしないが、シグにとっても腹が立つ思い出だ。

 冷静でいられなくなるので、普段は思い出さないようにしていた。

 それはザルハンスも同様だろう。


 それでも思い返してくれ、というのには理由があるのだろう。

 気分は悪いが大人しく従った。

 目を瞑り、あの日の光景を思い浮べる。


「……改めて見直したくない光景だな」

「ああ、すまない。もういいぞ」


 わざわざこんなことをさせたのには訳がある。

 これからする話は、あの日の光景と比較しながら聞いてほしい話なのだ。


 海賊が村を襲撃する。

 モンスターが村を襲撃する。


 この二つは襲撃という点が同じだが、現場に残る〈跡〉に違いが見られる。

 襲撃者によって目的が異なるからだ。


 海賊の狙いは財物の奪取だ。

 ゆえに金目の物と若者や子供を奪い、軍への通報を阻止するため、それ以外の大人たちを殺害する。

 これが海賊の〈跡〉だ。


 モンスターの狙いは縄張りの奪取や肉の入手だ。

 ゆえに財物は手付かずで残っている場合が多く、大人も子供も皆殺しにされる。

 これがモンスターの〈跡〉だ。


 ザルハンスは海軍に入ってから、毎日、ネイギアス海賊の討伐に励んできた。

 急行したが間に合わず、かつてのピスカータ村のように焼かれた後、という経験もしてきた。

 そのような経験を積んでいる内に、彼は〈跡〉を見れば、襲撃者が何者だったのかわかるようになった。


 それで気が付いたのだ。

 最近、ネイギアス海賊の〈跡〉が二種類あるということに。


 一つは従来通りだ。

 漁村に火を放ち、若者たちを含めた財物を奪い、他の大人たちは口封じに殺しておく。

 ピスカータ村のように。


 もう一つも途中までは同じだ。

 違うのは、金目の物に興味はなく、老人以外の者たちを全員攫っていくところだ。


 一口に海賊といっても沢山の一家や派閥があるので、奴隷の仕入れに注力している一派なのだと解釈していた。

 ところが、他国の市場でブレシア人奴隷が豊富になったという話を聞かない。

 では、攫われた村人たちはどこへ?


 不思議な話だ。

 だが、その一派が暴れているのは南の海だ。

 リーベルの海上封鎖に何の関係が?


 それはザルハンスにも、臨時休暇をくれた提督たちにもわからない。

 ただ、この一派の出現時期と帝国船が消え始めた時期が符合するのだ。

 単なる偶然かもしれない。

 だが、提督たちはこの二つには何らかの関連性があると判断した。

 だからこそ、ザルハンスを急遽上陸させたのだろう。


「…………」


 残念ながら、二人の話の中にシグが求めている明確な答えはなかった。

 しかし、二人のおかげでリーベルの敵対は、奴隷が関係しているのかもしれないという手掛かりが得られた。


 ザルハンスの話の後、二人でやってきたのは待ち合せていたわけではなく、家の前の通りで互いを見つけて一緒になったのだという。

 すごい偶然だ。


 別々の場所にいた二人の人間が、同じ日、同じ時間に来訪し、どちらも〈奴隷〉に関する情報を語った。

 これは偶然などではなく、天の意思に導かれて起きた必然だったのではないだろうか?


 海、奴隷、新たなネイギアス海賊、リーベル……

 並べただけなのに、不穏な空気が漂う。


 シグにはまだこれらを綺麗に繋げることはできないが、うまく繋がったときには、きっと恐ろしいものを見ることになるだろう。

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