第15話「竜騎士レッシバル」
帝都西門で倒れてから二週間後、全快したレッシバルは病院を退院した。
傷は、担ぎ込まれた日の内に神聖魔法で治癒していたが、消耗した体力を回復させるのに時間がかかった。
いよいよ退院の日、迎えに来てくれたシグと病院の正門を出た。
若く体力が有り余っているレッシバルにとって病院暮らしは収監されているも同然。
釈放された囚人の気持ちはこんな感じか、と両腕を天に向け、大きく伸びをした。
そんなレッシバルへ、シグは微笑ましそうに声をかけた。
退院した人へ、まずはこれを言わねば。
「退院おめでとう」
「ありがとう。でも頻繁に来てくれていたのに、わざわざ変な感じだな」
「いやいや、こういうことはちゃんと言わないと——」
二人の若者は賑やかにそんなことを言い合いながら、大通りの人混みに溶けていった。
歩きながら、レッシバルは元の所属だった騎兵第七一戦隊に戻ってからのことを話していた。
若い準騎士は体力が回復してくるにつれ、退屈し始めていたのだ。
「やっと明日から身体を動かせるぞ!」
「…………」
さっきまで一緒にワイワイ話していたのに、シグは俯き、押し黙ってしまった。
——何か気に障ったのだろうか?
様子を窺いながら話した内容を振り返るが、悪いことは言ってないはずだ。
あえて言うなら、退屈から解放された嬉しさで、一方的に話し過ぎたことくらいか。
しかし、シグはそんなことで怒るような男ではない。
一体何だろう、と訝しんでいると、不意に歩みが止まった。
「ど、どうした? 俺、何かしたか?」
何か気に入らないことがあったなら、言ってもらわないとわからない。
レッシバルは、たまらず尋ねてみた。
正面を向いていたシグは、横に並んで歩いていた友の方に向き直り、
「なあ、レッシバル」
「お、おお」
次だ。
次で何か言われる。
やはり「うるさい!」と怒られるのか?
それとも「病み上がりが無理するな」と説教されるのか?
だが、友の口から飛び出した言葉は意外なものだった。
「おまえ、元の騎兵第七一戦隊じゃなくて、竜騎士にならないか?」
今度はレッシバルが沈黙してしまった。
そんな話が飛んでくるとは予想していなかった。
「……はぁ?」
停止していた思考がやっと動き始めて、出た言葉がそれだった。
随分と間の抜けた返事だが、仕方あるまい。
あまりにも唐突だ。
「いや、『はぁ?』じゃないだろ。竜騎士になる気はないか、と尋ねているんだ」
シグの話はこうだった。
帝国は海と相性が悪い。
南はネイギアスから睨まれ、東も様子がおかしい。
現在、外務省と商務省が協力してリーベルとの交渉に当たっているが、どうなるかわからない。
残るは北だが、この度、謎の敵に封鎖されていることが判明した。
帝国の海洋進出は難しい。
そこで苦手な海は諦め、原点に立ち返ろうという機運が高まっていた。
帝国の原点——
則ち陸軍による征西だ。
海軍は再び沿岸防備に専念してもらい、浮いた資金で今度こそ征西を成功させるのだ。
そのために、陸軍を増強する。
話を聞いていたレッシバルの片眉が下がった。
「陸軍の増強?」
彼が疑問を抱くのも無理からぬことだった。
いままでだって散々増強してきた。
それでも征西の成果が上がらなかったから、海洋進出を目指していたのではないのか?
実際に見てきたからこそ、断言できる。
大陸北岸から征西軍本陣跡までも大変だったが、本陣跡から帝都までもあちこちにモンスターが蔓延っていた。
あれは、騎兵や歩兵の数を多少増やしたくらいで、根絶できるようなものではない。
もっともな反論だった。
しかし、話は最後まで聞くべきだ。
いままでの征西も真剣だったが、どうしてもダメだったら海がある、という甘さがあった。
ところが今回のことで、宮廷のお歴々も思い知った。
帝国は八方塞がりになりかけているのだ、と。
事ここに至り、何が何でも征西を成功させなければならなくなった。
いま、宮廷内では前例の有無に囚われず、有益なことは何でもしようという空気が流れているのだという。
だから、いままでのように漫然と騎兵や歩兵を増やそうというのではない。
真に、征西の役に立つことに注力しようとしているのだ。
そうして持ち上がった計画が、陸軍竜騎士団の創設だった。
シグはその計画に参加してみないか、と提案しているのだった。
***
一年後、リューレシア大陸中西部——
どこまでも続く弱肉強食の世界。
いまも四匹のゴブリンが仕留めた鹿を解体していた。
幸運だった。
食料を求めて偵察に出たら、すぐに群れからはぐれた一頭を見つけたのだ。
直ちに毒矢で仕留めたのは良かったが、問題はここからだ。
重いので丸ごとは運べないから、分解しなければならない。
そうすると、血の匂いを嗅ぎつけて他の肉食獣がやってくる。
四匹は解体作業を急いだ。
傍目には、寄ってたかって八つ裂きにしているようにしか見えないが、彼らは真剣だ。
真剣に急いでいる。
怖いのは陸上の肉食獣だけではない。
他にも……
急に解体の場が薄暗くなった。
雲が日差しを遮った?
いや、そんな緩やかなものじゃない。
もっとこう、ビュン、と何かが通り過ぎるような速さだ。
驚いて見上げたゴブリンの目に映ったものは、三頭の大型竜だった。
「ホッギャ! ジゴギャ! ギャージジギャ!」
たぶん「やばい! 竜だ!」とか「早く隠れろ!」と言っているのだと思う。
四匹は一斉に茂みの中へ隠れた。
鹿より自分の命の方が大事だ。
ゴブリンにとって、大きな獲物を解体しているときが一番危なかった。
作業に熱中していると、空から竜が飛び掛かってくるのだ。
仲間がどれほど犠牲になってきたことか……
しかし今日は違ったようだ。
竜たちは悠々と西へ飛び去って行った。
…………
三頭の竜は野生の竜ではない。
軍竜だ。
それぞれの背には竜騎士が乗っており、どちらへ向かって飛び、何に向かって炎を浴びせるかを指示する。
彼らは帝国陸軍竜騎士団第六戦隊。
隊長を先頭に、他二騎が斜線陣で続く。
その最後尾、三番の竜の背にレッシバルの姿があった。
***
退院後、レッシバルは竜騎士に転向した。
いや、待ってくれ。
南方砦の司令官になる夢はどうした?
そう問いたくなるが、彼は目標を見失ったわけではない。
むしろ目標達成に向けて集中を増しているくらいだ。
司令官になりたかったのは、海賊共から平和な村を自分の手で守りたかったからだ。
そのために準騎士になったのだが、騎兵では海の敵に手も足も出なかった。
その点、竜ならブレシア馬より速く、遠くまで飛んでいき、敵を空から攻撃できる。
〈遠く〉まで〈届く〉のだ。
ただ、この頃の軍竜はまだ大型種しかなく、竜騎士とはこの大型竜の乗り手を指していた。
竜将の騎竜は小型種だ。
これじゃない。
それでもとにかく、レッシバルは竜騎士としての一歩を踏み出したのだった。
***
帝国陸軍には昔から竜騎士がいた。
竜騎士だ。
竜騎士〈団〉ではない。
強力な兵科だったが、〈団〉を形成できるほどの数を揃えることができなかったためだ。
だから他の隊に属し、偵察や支援を担っていた。
卵の入手、稚竜の育成……
いくつかの難題を解決しなければならなかったが、最近、帝国軍はようやくその目処がついた。
よくぞモンスターより弱い人間が、モンスターより強い竜を手懐けた。
さすがは大陸最強の騎兵たちだ、と感心するが、実はそうではなかった。
一部の勇者を除き、常人が竜を従わせるのは無理だ。
それでも竜を欲するならば、竜の卵が孵化するところに立ち会って、親だと刷り込むしかない。
帝国陸軍はこの方法をとった。
陸軍と竜が出会えたのはまったくの偶然だった。
竜は世界中にいるが、主な目撃者は人跡未踏の地に踏み込んだ冒険者一行だ。
普段は人里に近付かない生物だ。
ところがある日、大陸東部の山岳地帯に大型種の生息が確認された。
元からいたものではない。
どこからか移り住んできたのだ。
なぜそんなところに?
原因は、人間が永年続けてきた征西だった。
まず征西軍が西へ突進していく。
すると、そこにいたモンスターたちが退散する。
落ち延びていった先には竜の生息地が……
竜は最強の種族だ。
縄張りを侵す者に対しては容赦しない。
だが、これは成竜の場合の話だ。
幼竜はそうはいかない。
侵入者たちは隙あらば、卵や幼竜を奪おうとする。
いくら親竜が高熱の竜炎で侵入者を追い払おうとしても、侵入者たちは日々増えていった。
とうとう侵入者の増加が焼き払える数より上回った日、竜たちはその地を後にした。
征西軍がモンスターを退かしたことが原因で、竜が退かされるという結果が生じたのだ。
そして退かされた竜たちが新たな定住の地としたのが、帝国の支配地域内の山岳だったのだ。
帝国軍はこの機を逃してはならじ、とすぐに行動を開始。
全竜騎士を集めてこの群れを服従させようとしたり、餌を与えてどこにも行かないように機嫌をとったり……
悪戦苦闘の日々は続き、多くの者が犠牲となった。
しかし努力は実を結び、ついに帝国軍はこの群れを手懐けることに成功した。
以来、陸軍によって山岳は厳重立ち入り禁止区域に指定された。
——ここの人間たちは巣を守る手伝いをしてくれるし、餌も持ってきてくれる。
竜たちは安心し、卵を産み始めた。
将来の騎竜の卵だ。
こうして、帝国陸軍はようやく、竜騎士〈団〉創設の目処がついたのだった。
これである程度まとまった数の騎竜を用意できる。
次はその背に乗る竜騎士を増やさねば。
レッシバルが退院した日、シグが竜騎士転向を提案したのには、そういう経緯があった。
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