第14話「袋の鼠」

 夕方、レッシバルは目が覚めた。

 その日の夕方なのか、翌日なのかは定かではないが。


 まだ命がある。

 寝ぼけた頭が段々はっきりしてくるにつれ、素直に驚いた。

 草原の真ん中でひっくり返っていたのに、よくぞ獣やモンスターに見つからなかったものだ。


 おかげでまとまった睡眠をとることができた。

 身体は重いが、頭の中に充満していた疲労と絶望はもうない。


 ゆっくりと上半身を起こす。

 すると、胸から何かが落ちたのに気付いた。


 ——?


 拾いあげると、それは何かの鱗だった。

 大きさは少年の掌ほど。

 獣かモンスターか知らないが、この鱗の持ち主は相当大きな生物だったようだ。


 それが眠っている間に至近距離を通っていったと思うとゾッとする。

 普通なら。


 レッシバルは違った。

 恐ろしさは感じない。

 むしろ手に取って見ていると、勇気が湧いてくる。


 少し眠って疲労が軽減したのと、謎の鱗に励まされたおかげで、彼は生きようという気力が戻ってきた。

 幸い、浜で回収した保存食と途中で手に入れた木の実などは十分あった。

 きっと帝都までもつだろう。


 彼は立ち上り、皮革ザックを背負った。

 ルキシオへ帰還する。

 もう諦めたりしない。

 必ず生きて帰る。


 落ち着いて考えてみれば、戦隊の全滅を報せるという使命は、すでに果たされているのだ。


 ?


〈便りの無いのは良い便り〉というが、今回は逆だ。

 予定の日時を超えても奇襲が始まらず、また、始められない理由を報告する使者もやってこない。

 征西軍の将軍たちにとって〈便りの無いのは悪い便り〉となった。


 座礁して動けなくなったのか?

 あるいは、クラーケンとか大頭足と呼ばれる大型の海棲モンスターに襲われたのか?


 どちらであっても、北からの奇襲案は潰れたという〈悪い便り〉になったのだ。

 あとは西へ力押しするだけだ。


 他の選択肢はない。

 歩兵隊はすでに消耗している。

 次の救援艦隊を待つ余力はない。

 無言の報告から、西進を決めた将軍たちは正しかった。


 だから後は任せて、己の生還だけ考えれば良いのだ。

 レッシバルは謎の鱗を握りしめながら、東へ向かって歩き出した。



 ***



 レッシバルの病室——


 シグは地獄から生還した友の話を黙って聞いていた。

 壮絶すぎて掛ける言葉が見つからない?

 そうではない。


 友の話が、ある噂と符合するのだ。

 それで話に耳を傾けつつ、考え込んでしまっていた。


 外交官という仕事は、良くない噂に接する機会が多い。

 その殆どが根も葉もない噂なのだが、中には根も葉もある場合がある。

 そうなると、ただの噂で片付けることはできない。

 いま、友が語っている話がまさにそうだった。


 国民たちはまだ知らないが、役人たちの間で囁かれている良くない噂……

 それは、帝国包囲網が形成されつつあるのではないか、という噂だった。


 たとえば、帝国の商人が外国へ交易をしに行きたいと思ったら、どんな進路が考えられるだろうか?


 西はダメだ。

 大陸では、モンスターの内陸部占拠によって人間の生活圏が東西に分断されたことを〈大分断〉と呼ぶ。

 大分断の前、帝国は西へ、西へと版図拡大に明け暮れていた。

 西側諸国はいまも恨んでいるだろう。

 仮に内陸突破に成功したとしても、そんな国々へ丸腰の商人がノコノコ出向いて行ったら……


 帝国は、西側諸国と仲直りし、モンスターを挟撃したいと思っているのだが、和平交渉どころか、交渉したいという申し入れすらできずにいた。

 何せ、誰も辿り着けないのだから。


 では、西以外を目指すしかなさそうだ。

 西以外となると、すべて海路ということになる。


 南は、ネイギアス連邦と手下の海賊共が待ち構えている。

 人目も憚らずに堂々と襲って来ることはないが、他国の船から見えなくなったら何をするかわからない奴らだ。


 あとは東と北。

 北はどこへ向かうにも遠回りになるし、征西がうまくいかないので、港を再建することもできない。

 北で補給できないとなると、食料や水を多めに積まなければならず、その分だけ交易船の収益は下がる。

 他になければ通るしかないが、好き好んで通りたい商人はいないだろう。


 残るは東。

 まっすぐ東へ向かえばリーベル王国、北東へ向かえば北方の国々に辿り着く。


 ネイギアスより西を目指すにも東の海は重要だ。

 海賊の出没域を避けるため、東へ出てから南下し、その後、西へと回り込んでいくことになる。


 セルーリアス海の安全な航行に、帝国の命運がかかっているといっても過言ではないだろう。

 だから王国が「セルーリアス海はリーベルの庭」と豪語しても異議を唱えなかった。


 ところが最近、その〈庭〉が不穏だ。

 東や北東へ出航した帝国船団が帰ってこない。


 セルーリアス海は元々、危険な海ではあった。

 嵐が多発することに加え、クラーケン、もしくは大頭足と呼ばれる大型海棲モンスターが多く生息している。

 そこをどうにか切り抜けても、沿岸では海賊が待ち伏せている。


 昔はこれらに沈められる船が多かった。

 いまもなくなったわけではない。

 だから帝国の被害だけを声高に訴えようというのではない。


 嵐はどうにもならないが、それ以外の海の脅威に対抗しよう——

 これが古のロレッタ卿がリーベルで唱えた〈海の魔法〉だという。

 それに基づいて海軍魔法兵と魔法艦が生まれ、現在もリーベル船団の護衛として活躍している。


 彼らの進路上に立った海賊や大頭足は悉く撃退され、おかげで他国の船も安全に航行することができる。

〈庭〉と豪語しているのも、この活躍ゆえにだ。


 その〈庭〉で、なぜか帝国船ばかり消える……

 他国の船が災難に遭っていないとは言わないが、帝国船だけが圧倒的に多い。


 考えたくはない。

 でも、どうしても考えてしまうのだ。

 東のリーベルと、南のネイギアスは一緒に組んで、帝国を包囲しようとしているのか?

 だから帝国の船だけが東の海から帰ってこないのか?

 ——と。


 外務省と商務省は、この噂について調べていた。


 いままでは沿岸の海賊を退治するだけで良かった。

 それならガレーで十分だ。

 しかし、これからは外洋を走れる帆船が必要になる。

 帝国も、ようやく帆船の軍艦建造に着手し始めた。


 そんな乳幼児のような海軍しかない帝国が、リーベル王国と敵対関係になることだけは、何としても避けなければ。

 何か誤解によって恨まれているなら、その誤解を解かなければならない。

 まずは、その誤解が何なのかを特定する必要がある。


 シグがいま取り組んでいるのは、そういう仕事だった。



 ***



 レッシバルの話は終わったが、友は俯いたまま。

 終わったことにも気付いていない様子なので、声をかけた。


「シグ?」


 名を呼ばれて我に返る。


「あ、ああ。すまない。大変だったな」


 上の空なのは一目瞭然だ。

 話の中で最も重要だったのは謎の敵についてだ。

 彼は、その辺りから考え込んでいたようだった。


 ——シグは謎の敵について心当りがあるのか?


 友の仕事は機密が多い。

 それを根掘り葉掘り聞き出そうというのではない。

 だから話せる範囲で構わない。

 レッシバルは、何か知っているなら教えて欲しい、とせがんだ。


「…………」


 対する友の口は固く、目は伏せたまま………

 その様子を見て悟った。


 友は、北一五戦隊の相手が何者だったのかを知っている。

 知っているが、たとえ兄弟同然の自分に対しても明かすことは許されない。

 そういう敵だったのだ、と。


 シグはただ一言、「……すまない」と詫びた。


 食い下がるつもりはなかったが、そう言われてしまっては、大人しく詫びを受け入れるしかない。


「……そうか」


 レッシバルとしても、そう返すしかなかった。


 友達甲斐がないと詰る気はない。

 別に、「知らない」と嘘を吐いても良かったのだ。

 そうはせず、正直に詫びてきたところにシグの誠実さが表れていた。


 外はもう暗い。

 面会時間の終わりが近付いていた。


「また来るよ」


 シグはそう告げると、病室を後にした。


 通路を歩きながら、彼の顔つきは探検隊隊長から帝国の外交官に戻っていった。

 十分に病室から離れた頃に、一人呻いた。


「リーベル海軍が北に……」


 レッシバルの生還は友として嬉しかったが、それだけではない。

 外交官としても助かった。

 友の報告によって、自国の置かれている状況が明らかになったのだから。


 帝国はすでに南と東を塞がれている。

 ネイギアスとリーベルが結託しているのは間違いない。

 そこで自国船に対して、南と東を避け、北に出てからそれぞれの目的地へ向かうよう、注意しようとしていたのだが……


 友のおかげで、北も危険だと確認できた。


 ?


 妙な言い回しだ。

 危険だと〈わかった〉のではなく、〈確認できた〉というのはどういうわけか?


 実は、レッシバルの読みは当たっていた。

 シグは、謎の敵について心当りがあった。

 少し前に、舅殿が教えてくれた情報と合致する。


 せがまれても明かせなかったのは、教えてくれた舅殿から口止めされていたからというのはある。

 でもそれ以上に、言葉することが恐ろしかったのだ。

 言葉にすることで、自分たちは袋の鼠になったのだと認めてしまいそうで……


 謎の敵の正体、それは——

 リーベル海軍セルーリアス艦隊。

 通称、無敵艦隊。

 友を襲ったのはその一隊だろう。


 無敵艦隊が、なぜ大陸の北に?

 知らない者は首を傾げてしまうが、シグは傾げない。


 舅殿は、陸の大国ブレシア帝国の外務大臣だ。

 嫌でも顔が広くなっていく。


 帝国と西側諸国は、かつて領土争いを繰り広げた歴史があり、直接の交流はない。

 だが、そういう遺恨がない国はどちらとも交流できた。


 舅殿はそういう第三国の商人と親交が深く、そのおかげで、ある情報を得ることができたのだった。


 ある情報——

 日頃のシグを信用し、口外秘を約束させた上で教えてくれた外交機密。

 それは、大陸北西に位置するフェイエルム王国とリーベル王国が同盟を結んだという情報だった。


 シグたち外務省は、この情報の真偽についても調べていたところだった。

 だが、もうこれ以上調べなくて良い。


 生き証人の報告によって、すでに大陸の北にはリーベル艦隊が展開し、帝国船を一隻も通さない構えであると確認できたのだから。


 レッシバルは、お手柄だった。

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