春の青さを知る人へ

@hilinker

春の青さを知る人へ

 一体、春のどこが青いというんだろうか。


 そんな疑問を隣の席の女子に投げかけて、苦笑と困惑を買ったのがつい15分ほど前。


 くるくると指先でクルトガを回しながら、俺は意味も必要も無い疑問符を頭の中で回し続けていた。既に焦点すら合わしていない黒板にはずらっと数式が並んでおり、もう5分もしないうちに左上の数式から順番に消されていくだろう。

 ただ、せっせとノートに数式を書き写す気分にもなれず、俺はまた指先でシャーペンを弄び始めた。俺は今授業を受けているけれど、きっとこの教室の中で宙ぶらりんに浮いている。


 高校三年の春。正確に言えば、春も終わって初夏に片足を突っ込みつつある5月頭。高校の最高学年であると同時に、大学受験を控えた受験生としての日々が始まっていた。

 と言っても、受験生の自覚なんて芽生えてもいないし、高校最後の一年だとか力説されても「あー、あと1年で終わってしまうのか」以上の感想は出てこなかった。ここで二度と戻ってこない高校生活を振り返り、最後の一年を実りあるものにしようと華々しく前を向ける人間であれば、先ほどの疑問にも答えられるんだろうか。


 俺の春は、何色でもない。


 もし1つだけ春を表す色を答えろと言われればピンク、桜色をあげるかもしれないけれど、心のそこからその色に納得したことはない。春は憂鬱だ。出会いを強制され、始まりを要求され、前を向くことだけが良しとされる。誰もそのことを疑問に思わないままに春を謳歌する。春を謳歌する自分に酔いしれる。


 そんなものは幻想だ。

 春に鮮やかな色なんてない。


 開け放った窓から入ってくる春の風が、それは違うと訴えかけてきているようで、鬱陶しくてなんとなく髪をかきあげた。


 その仕草が良くなかったのだろう。俺が集中していない様を見咎めた数学教師が、俺を名指しして問題の答えを問うてきた。それまで俺だけが授業から疎外されていたというのに、一種で授業という枠組みの中に取り込まれてしまう。周囲からの注目が少しだけこちらに集まる。この瞬間が俺は嫌いだ。

 だから、さっさと抜け出すためにも黒板に書かれた数式を見て適当に答える。数学教師は「……はい、そうですね。授業に集中するように」と淡白に言い残すと授業を再開した。

 それを見届けると俺はまた授業という枠組みからはじき出される。一瞬だけこちらに注目を向けた学友たちも、既に興味を失って黒板の数式にかじりついている。


 彼ら彼女らの春は、何色なんだろうか。


 斜め前に座っている派手な女子は彼氏の一人や二人いるだろう。友達にも恵まれ恋愛も楽しんできたはずだ。けれども、その春は青色というよりは、黄色の方が適当かもしれない。


 俺の真ん前の席で隠れて早弁に勤しんでいる坊主頭の男子。もしかしたら彼は部活のマネージャーとねんごろな間柄になっているかもしれない。そうでなくとも仲間たちと服を汚して1つの球を追いかける日々は、さぞ充実しているだろう。けれど、その色も青というよりは赤色。もしかしたら引退を目前にして少し霞んだ色をしているかもしれない。


 彼らでさえ、青い春には手が届かない。届いていないはずだ。


 一体、どうして春は青いのだろう。


 どうして、春だけが青いのだろう。


 夏が青くても、秋が青くても、冬が青くてもよかったはずだ。同じように、春が青くなくてもよかったはずだ。


 自然界の春は、青くはない。もちろん、春には青い草木が芽吹くけれど、だからと言ってそれは春の青さを意味はしない。そこにあるはずの、否、あったはずの春は青くないはずだ。きっと、人が何十年も、何百年も、何千年も春を迎える中で、春を青く染めてしまった。何色でも無かったはずの春を、青という色に沈めてしまった。


 そして、その春はついに俺たちを侵食してきた。

 俺たちの日々さえも、青く染め上げようとしている。


 だから、俺はクルクルとペンを回しながら抵抗するのだ。

 きっとこのペンが回り続けている限り、俺の春は青くはならない。


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