魔女狩りの街

@akamura

魔女狩りの街

魔女狩り、あるいはそれに準ずる行為が行われている町があるらしい。

遥に言われ、希とアズラエルは東欧のある田舎町へやってきていた。


村の背後に山が聳え、林のような木々の茂りも見える。ビルなどは見られないその町を、希とアズラエルはぐるりと見回した。


「特に妙な気配とかはないけどね」

「来てすぐソレと分かったら、いくらなんでもヤベェだろ」

「血の匂いもしない」

「だから普通しねぇって」 


小声で言葉を交わしながら、希は前髪をかきあげる。

その時、息を呑むような声がして、希はそちらを向いた。


「ああ、」


日の出ている今、希の目はあまり役に立たない。けれど、あまり良い意味を孕んでいない視線が自分に―自分の目に向けられているのは分かる。

嫌なものを見る目、怖いもの見たさの視線、ちらちらと投げられる視線。慣れてはいるがやはり、良い気はしない。



「俺の目、隠しといた方がいいかな」


魔女狩りの話が本当なら、『ひとと違う』外見は目をつけられかねない。

上げていた前髪を下ろし、希は持ってきていた帽子を目深に被った。


「さて、まずどこに、何を聞きに行こうか」 

「んー………」

「お兄ちゃん達、旅行のひと?」

「「ん?」」


不意に会話に入ってきた声に、ふたりはそちらに視線をやる。

犬を連れた少年が、じっとふたりを見上げていた。

目線を合わせるように、アズラエルが膝を折る。


「そうだけど」

「じゃあ、きょうかい行って!」

「………何で?」


拒否反応が出そうになるのを、アズラエルは何とか堪え、可能な限り優しい声で聞く。


「よそからきた人は、まずきょうかい行くきまりなの!」

「それ、絶対行かなきゃだめか?」

「うん!」

「そっかー」

「行こう、アズラエル」


嫌なのは分かるが、決まりと言われれば従うしかない。

少年にお礼を言うと、希はアズラエルを見上げた。


「なるべく早く帰るから、な?」

「………いや、が、がんばる。これも任務だ」




「すいません。他所から来た者はまずこちらへ、と言われたのですが」

「ようこそいらっしゃいました。ご旅行ですか?」

「ええ、まぁ」


教会へ足を踏み入れたふたりを迎えてくれたのは、掃除をしていた少女だった。

希と同じくらいの背に栗色の髪、ラピスラズリ色の瞳をした少女は、ふたりに一礼すると奥へ駆けていった。


数分も立たず帰ってきた少女は、カソックに身を包んだ初老の男性を伴っていた。


表情筋を総動員して愛想笑いを浮かべるアズラエルと、よそ行きの笑顔を繕う希に、男性も微笑み、頭を下げる。


「妙な風習とお思いでしょう。どうかお気を悪くなさらないでください」

「構いませんが、よろしければなぜこのような決まりがあるのか教えてくださいませんか?」


愛想笑いを崩さぬままに、アズラエルが問う。

男性は少し困ったような、恥じ入るような顔で笑った。


「信じられないかもしれませんが」

「はい」

「私には、ひとの魂が見えるのです」

「………魂」

「はい。

なので、他所から来た方にはまずこちらへ来ていただき、調べさせていただくのです。その方が良き人であるかどうか」

「……なるほど。それで、俺達はどうでしたか?」

「問題ありません」

「そうですか。それは良かった」



安堵の笑みを浮かべ、希はアズラエルの手を引いて、早足に教会を出ていく。

扉が閉まる直前、少女が安堵の表情を浮かべた気がしたが、残念ながらしっかりとは見えなかった。



教会から程良く離れたところで、アズラエルが口を開く。


「クロだろ」

「っぽいね」


とはいえ、あの一言だけで決めつけるわけにもいかない。

とりあえず調べてみようという希の言葉に、アズラエルも露骨に嫌そうな顔をしながら頷いた。



[newpage]



この町へ来てから、約一週間。二人は街の現状を知るべく、あらゆるところを回り、色々な人から話を聞いた。

商店街に、公共施設、住宅街、そして、教会。


町の規模は決して大きくはなく、観光地というわけでもないので人もそれほど多くない。何かの産業が取り立てて活発というようにも見えない、いやな言い方をしてしまえば、どこにでもありそうな町。

その町の中で、教会だけはいやに大きく。華美ではないものの、ステンドグラスや、ピアノ、神や天使の像等は、素人目でも良いものだと分かるほどに、高い質を誇っていた。

財源はまず間違いなく、頻繁に寄せられる寄付であろう。中には、『賄賂』と呼ぶべき金がいくつかあったのも、二人はしっかりと確認している。


だが、それだけならば希は特に気にしない。アズラエルは過去の自分の愚行―とアズラエルは思っているが、希や遥達はむしろ善行だと思う―を思い出してしまうらしく何とも言えない顔をしているが、人々の生活を圧迫するような寄付を無理矢理に徴収しているとか、そういうのでもない限りは、取り立てて糾弾する気も介入する気もない。


けれど、そうはいかない理由がこの町にはある。

司教の教えに従わないものへの村八分。教会から悪魔と断じられたものと、その家族への迫害。身内から悪魔が出たものは家も財産も奪われ浮浪者になるしかなく、誰も助けてはくれないという現状。更には、些細な罪でさえ「背信の魔性」として処刑されることもあるという事実。

敬虔な神の信徒の町を支配しているのは、信仰ではない。信仰に背いたものへ与えられる、重すぎる罰への恐怖だ。


「おおよそ予想通り、この町はあの司教が最高権力者らしいな」

「宗教国家か」

「国ではないけどまぁそうだね。でも、それもどうも割と最近みたいだけど」


図書館で借りてきた町史には、今のような絶対的な信仰や、教会については殆ど何も書かれていない。魔女狩りが盛んだった中世の在り方が、そのまま今に続いている、というわけでもないらしい。そもそもこの土地で、そこまで魔女狩りが盛んだったという歴史はない。史実から葬られただけかと、件の世界の狭間の図書館でも調べたので間違いない。


肩をすくめてみせた希へ、アズラエルの返答は舌打ちと、瓶いっぱいの苦虫を噛み潰したような顔。


アズラエルの宗教アレルギーを理解している希は苦笑で済ましながらも、せっかくきれいな顔がこんなに歪むのはちょっと勿体無いな、なんて呑気に考える。


アレルギー源には出来る限り近寄らせないほうが良いのだろう。しかし仕事となるとそうも言ってはいられない。そもそもアズラエルも、宗教絡みを承知で着いてきてくれたのだ。


「どう思う、アズラエル」

「どう、とは?」

「魂が見えるっていう話」

「嘘に決まってんだろ」

「でもほら、俺も似たような能力だしさ。有り得ないとは言えないだろ」

「だとしても殺人教唆は犯罪だし迫害や村八分を見逃す神父なんてロクなもんじゃねぇに決まってる」

「それはまぁ、ね。さて、どこから切り崩そうかなぁ」


ふぅ、と希がため息を漏らしたのと同時、施錠していたはずの扉が乱暴に開かれた。

ドタドタと足音を立てて現れたのは、黒い服に身を包み、レイピアと銃を携えた人々。そして、彼等に守られるようにして現れたのは、今まさに話題の渦中にあった司教だった。


アズラエルを庇うように、希は司教に向かって歩み寄る。


「こんにちは、司教様。何か御用ですか?」

「…………たいへん残念です」

「何の話でしょう」

「神より託宣を賜りました。貴方は、悪魔に憑かれ、無垢な民を唆そうとしていると」

「おや」

「はぁあ?」


何をふざけたことを。

顔をしかめるアズラエルを、希は視線で制する。

司教は希に手を伸ばし、顔を隠す前髪をひっ掴んだ。

顕になった赤い瞳に、信徒等は息を呑む。


「テメェ、何しやがる!」


乱暴なその扱いに、アズラエルが怒鳴る。掴みかかろうとする手を、信徒達が阻む。


「この瞳こそがその証拠です。聞けば貴方は、ここへ来てからずっと顔を隠していたそうではないですか」

「……なるほど」



この目を見せては厄介なことになるだろうと顔を隠していたのが裏目に出た。或いは逆手に取られたと言うべきか。


「ですが、司教様?確かここに来た日に、私は貴方と顔を合わせ、問題ないと言われたはずですが」

「ええ、あの時は間違いなく、貴方は悪魔に憑かれてはおりませんでした。けれど悪魔は常に人の心に付け入ろうとしているのです」

「ふうん」


察するに、司教を怪しみ、イカサマを暴こうとしているのがバレた、というところだろうか。

確かに司教からすれば、希は民を唆す悪魔だと言えるかもしれない。


さぁ、ここからどうしようか。

考えていると、部屋にもうひとり、少女が駆け込んできた。


「司教様!」

「、」

「あの女、」


確か初日に、司教と共に教会で会った少女だったか。

走ってきたのか乱れた息を整えながら、少女は司教に縋った。


「司教様、お待ちください!彼等は」

「貴方は下がっていなさい、リュミエール」

「司教様!彼等は悪魔などではありません!聞いてください、司教様!」

「…………連れて行け」

「司教様!」


リュミエールの叫びを無視して、司教は希を連行していく。

武器を取ろうとするアズラエルに、希は目配せし、「待て」を伝えた。









「相手さんのが一枚上手だったね」

「笑ってる場合か!」

「お前こそ、そう焦りなさんなって」


地下礼拝堂を改造したのだろうか。教会の地下の牢屋に、希の笑い声が響く。


「中世の魔女狩りと違って拷問がないのはありがたいね。何せ痛覚ほぼ死んでるから本気で魔女認定されちまう」

「だから笑い事じゃねぇだろ」

「あれ?拷問て仲間のこととか聞き出すためにやるんだっけ?ほぼ強要と捏造だったらしいけど」

「だーかーらー」

「というか、寧ろ俺に容疑をかけてくれて良かったよ。これで晴れて司教の言ってることは嘘だと分かった」


何故この状況で笑えるのか、アズラエルには分からない。

策があるのだろうが、それにしたって余裕がすぎるのではないだろうか。

心配と苛立ちが混ざった視線を向けてくるアズラエルに、希もふざけすぎたかと口を閉じた。


「申し訳ありません」


不意に、アズラエルと共にいたリュミエールが頭を下げる。

信徒でもないアズラエルがここに来られたのは、リュミエールが密かに手引きしてくれたお陰だ。

見つかった時のことを恐れてか、その表情は固く、暗く沈んでいる。


「司教様は、昔はあんな方ではなかったのです。清く、貧しいながらも正しく、全てのひとに優しくて………まさに、聖人の鑑のような御方で」

「へぇ。今じゃ見る影もねぇな」

「アズラエル」

「別におかしい話でもねぇだろ。人なんか簡単に変になるもんだ。金だ権力だが絡んでりゃ特にな。ああ、あと正義もか」


吐き捨てるように言われた言葉に、リュミエールが肩を震わせる。


こんなことは間違っている。司教さまは間違っている。分かるのに、司教を止められない。悲しみと自責に、リュミエールの瞳に涙が浮かぶ。

ぎょっとした表情を浮かべ、アズラエルは壊れ物でも扱うように、彼女の涙を拭った。


「わ、悪かった。ちょっと言い過ぎた」

「違………私……私は、だって、司教さまの、……司教様は、まちがって………」

「リュミエール」

「、」

「もしよろしければ、我等に御力をお貸しいただけませんか」


司教の『魂が見える』という言葉が嘘なら、崩すのは容易い。ただし、彼女の協力さえあれば、だが。

にっこりと微笑んだ希に、リュミエールは目を瞬いた後、そっと頷いた。






翌朝、日が昇るか上らないかのうちに、司教は地下の牢へ希を迎えに来た。

真っ黒いドレスに身を包み、帽子から垂れる黒いレースで顔を隠したリュミエールが、深々と頭を垂れ、牢の扉を開ける。


希もまた、真っ黒い服を着せられていた。まるで黒ミサでも行うかのような服に、フードを深く被せられ、目隠しと猿轡をはめられている。両手には、銀の枷が冷たく光っていた。

無垢な民が、悪魔に魅入られぬように、処刑の時まで、罪人の目と口は塞がれ、姿もほとんど見えないようにするというのが、処刑の際の取り決めである。


司教が傍らに立つ男性に合図し、希の手枷の鎖を引く。


「リュミエール、部屋に戻っていなさい」


司教が促すも、リュミエールは首を横に振った。

ため息を吐きはしたものの、司教もそれ以上は何も言わない。


罪人を喪服の集団が囲み、広場へ連れて行く。まるで葬列のようだと、希は思った。否、どちらかと言えば引き回しか。


昨日の夕方から夜にかけて、広場に立てられた処刑台の周りには、人だかりが出来ていた。

「悪魔」「魔女」とひそひそと囁く声や、「まだ子供だろう」と憐れむ声が希の耳に届くが、それに対し何ら反応することは出来ない。


やがて、信徒の手により、希は少し高くなった死刑台へ上がらされる。

信徒の手が希のフードに触れかけた時。広場に、大きな声が響いた。



「司教様、どうか慈悲の御心をもって、私の話を聞いてください!

貴方は誤解しています!その子は悪魔でもその使いでもありません!」


人々の視線が、声の主に、アズラエルに集まる。

処刑台の下に立つ信徒に阻まれながら、アズラエルは何度も司教を呼んだ。

痛ましげに目を伏せ、司教は頭を振った。


「認めたくないお気持ちは分かります」


ざわめきが響く広場に、司教の声はよく響いた。


「けれど、この子供は紛れもなく悪魔なのです。

私の目にははっきりと見えます。穢れた魂が。

昨夜も言ったはずです。彼の赤い瞳こそが、何よりの証拠です」


今にも処刑されんとする希を指し示し、司教ははっきりと告げる。

アズラエルは助けを求めるように辺りを見回すが、異を唱えるものは誰もいない。


「赤い目なんて、気味が悪い」「普通ないよな、赤い目なんて」「悪魔だから」「赤い髪は悪魔の子という話がある」などという心無い囁きさえ聞こえる。

「司教様が言うんだから間違いない」という声に、アズラエルの表情が焦りに歪む。


「そんな………間違いはないのですか⁉」

「ええ、残念ながら」 

「本当に、本当にその子が悪魔だと…?」

「ええ、ええ」

「なら、証拠を見せてください。あなたの言うその赤い目を」

「いけません。あれは、人を惑わす魔性です」

「…………もう一度だけ聞かせてください。本当に、彼は悪魔なのですか!?」

「本当です」

「神に誓って、本当だな?」


悲痛な表情から一転、嘲笑じみた笑みを浮かべたアズラエルに、彼を取り押さえていた信徒達と、司教がたじろぐ。

その一瞬の隙に、リュミエールは希へ歩み寄ると、目隠しと口枷を外した。

立ち上がった希の―――否。希のフリをしたリュミエールの瞳は、美しいラピスラズリブルー。


傍観していた民衆が、にわかにざわめいた。


「リュミエールが悪魔?」

「有り得ない、だってあの子は」

「でも司教様は………」

「なっ…………り、リュミ、リュミエール………!?」

「はい、司教さま。私です」

「ならば、そのリュミエールは………⁉」


震える指で、司教はリュミエールに寄り添う「リュミエール」を指す。

くつりと笑い帽子を脱ぎ捨て、リュミエールに扮した希は赤い瞳で司教を見据え、それからリュミエールに頭を下げた。


「ご協力ありがとうございました、リュミエール」

「いえ、お安い御用です」

「さて、司教様。よろしければ、先のお言葉をもう一度お聞かせ願えませんか?『私には魂が』なんでしたっけ」

「貴様…………」

「おかしいな?魂が見えるなら、俺と彼女が入れ替わっていることくらい分かっただろうに」


睨むように司教を見据え、希は司教に一歩歩み寄る。気圧されるように、司教は後退った。


司教を守るように立っていた信徒達も、民衆も、何が起こっているのか分からないというように司教と希を見つめている。


『魂が見える』という司教の言葉は、希とリュミエールの芝居により嘘だと暴かれた。

人々の心に、さざなみのように疑念が広がっていくのが見える。


司教もそれを感じ取ったのだろう。

汗をにじませながら、声を張り上げる。


「ち、違う!これは罠だ!私を欺き、陥れようと―――」

「もうやめて、やめてください―――おとうさん!」


司教の言葉を遮ったのは、リュミエールの悲痛な声。


びくりと体を震わせた司教に歩み寄り、リュミエールは彼の手を握った。



この手が自分を抱き上げてくれた日のことを、リュミエールは今も覚えている。

教会の前に捨てられていた自分を、司教は抱き上げ、笑いかけてくれた。

名前のない自分に『リュミエール』という名前をくれた。

怖い夢を見たときには、一緒に寝てくれて。下手くそなリュミエールの料理を「美味しい」と食べてくれた。

頭を撫でてくれる手は、温かくて、優しかった。


去りし日の、眩い日々のことを、リュミエールは今も、何ひとつ欠かさず覚えている。


「昔の貴方に、優しかった貴方に、戻ってください、おとうさん!」


慟哭とともに、リュミエールは涙を流す。

その涙に、司教はまるで洗脳が解かれたかのように、はっと目を見開いた。



この町を良い町にしたいだけだった。

罪を背負った人に、悔い改めてほしかっただけだった。

罪なき人々が、安心して暮らせるように。そう願っていたはずなのに。


警察が釈放した容疑者が、教会に通う子どもを辱め殺したあの日。警察が何もしてくれないなら、自分達が罪人を裁かなければと思ってしまった。

そうして罪人を捕らえ、裁いていくうち、人々は感謝のしるしにと教会に寄付をしてくれるようになった。そのお金で服と、いつもより豪華な料理を出すと、リュミエールは喜んでくれた。


正義と、金。それらにかられて、いつの間にか狂ってしまっていた。



「罪人は、私だ………すまない、リュミエール。私は……私は、取り返しのつかないことをしてしまった………」

「おとうさん………!」


崩れ落ちた司教を、リュミエールが抱きしめる。


司教に逆らうことが罪とされるこの町でなぜ、リュミエールはあの時、司教を止めようとしたにも関わらず告発されなかったのか。

「リュミエールも悪魔だ」と言えばこの場は収まっただろうに、なぜそうしなかったのか。

正直不思議だったのだが、なるほど、そういうことかと、希は頷いた。

いくら堕落しても、聖職者としてあるまじき歪みを抱えていても、娘は可愛いのだろう。例え血はつながっていなくても。


「一件落着か?」


希の肩を抱き寄せ、アズラエルが問う。

司教とリュミエールを見つめ、希は小さく頷いた。







遥から調査を頼まれた「魔女狩り」の元凶は取り払えた。この後どうするかは町の人々が決めることだ。

これ以上いても自分達は邪魔でしかないだろうと、アズラエルと希は早々に町を立った。


「マジで改心するとはな。正直ちょっと意外だった」

「まぁ、根っからの悪人なら捨て子にリュミエールなんて名前つけないよ」


リュミエール。フランス語で光の意味を持つその言葉を、司教が何を思ってつけたのかは分からない。けれどきっと、そこには愛があったのだと希は思う。


「しかしどうすんのかね、あの司教サマ」


改心したからといってハッピーエンド、とはいかない。本質が善人であればあるほど、犯した罪に苦しむことになるだろう。

それに街の人々だって、彼を許すかどうか。大切な人を奪われ、辱められ、殺された人だっているのだ。それを、そう簡単に許せるのだろうか。

既に遠くなった街の方角を見つめ、アズラエルは目を細める。


「そこまでは俺達も介入できない。街の人たちと司法、それから本人の心に委ねるしかないね」

「まぁな」

「リュミエールさんがいるんだ。最悪なことにはならないと思いたいけど」

「………」


希の言葉に、アズラエルの肩が小さく跳ねる。



思い出すのは、町を出る前にリュミエールと交わした会話。


「本当に魂を見れるのって、アンタじゃねぇの?」


アズラエルの問に、リュミエールは目を見開いた。Yesと言っているも同然の表情を思い出し、アズラエルは苦笑する。


「どうして、」

「アンタの目、あいつのにちょっと似てるからな」


何もかもを見透かすような、それでいて何も、どこも見ていないようにも見える、或いは、ここではない世界を見ているかのようなその瞳。リュミエールの場合は、『何もかも見透かすよう』というところだけだが、同じだ。


司教が改心したのも、リュミエールがあの男に触れたからではないだろうか。あくまで想像の域は出ないが、アズラエルはそう思っている。


射抜くように見つめてくるアズラエルに、リュミエールは目を泳がせる。

長い沈黙の後、リュミエールは微笑みをたたえ俯いていた顔を上げた。


「どれほど汚れた魂でも、善き行いによって浄化する事ができると、私は信じています。

人は、罪を償い、やり直すことができます」


それはアズラエルの問の、直接的な答えにはなっていない。

けれど、言わんとすることは分かる。共感はあまりできないが、理解はできる。


小さく息を吐くと、アズラエルはリュミエールの前に膝をついた。

目を丸くした彼女に向かい、アズラエルは十字架を切る。


「どうか、この町も。良い形で、過ちをとりもどせますように」

「ありがとうございます。ええ、きっと、この町も、私達も、やり直します」

「そうか。ま、勝手に頑張ってくれ」


膝についた土を払い、アズラエルはリュミエールに背を向けて歩き出す。

アズラエルは知らないが、リュミエールはその背に向かい、祈りを捧げていた。





「大丈夫か、アズラエル」

「、」


希の声に、アズラエルは我に返る。希を見れば、彼は心配そうにアズラエルを見つめていた。


「やっぱり、神とかそういうのに関わる件は嫌だったか?ごめん」

「違ぇよ。ちょっと考え事してただけだから気にすんな」

「なら良いんだけど」

「お前こそ疲れたんじゃねぇの」


悪魔と謗られ、好奇や忌避の目を向けられて、心が疲弊したのでは。

口には出さなかったものの、希はアズラエルの言わんとすることを理解し、微かに目を伏せた。


「まぁ、ちょっとだけね。本当にちょっと」

「寝ろよ。ついたら起こしてやるから」


自分の足を叩き、照れ隠しなのかつっけんどんな口調で、アズラエルは言う。

アズラエルの向かいから隣に座り直すと、希はお言葉に甘えてアズラエルの膝に頭を預け、目を閉じた。


「お疲れさん」

「お前もね」

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