だい〝よんじゅうに〟わ【天才聖徳太子の証明 その2】
徳大寺さんは言った。『六割程度の説得力の反論はできる』と。
つまり〝六分の勝ちなら拾える〟と。これは武田信玄か? 『六分』といってももちろん6%じゃない。60%である。
徳大寺さんが語り出した。
「蘇我一族は進取の気質にあふれ、当時の最先端の文化である〝仏教〟に非常に熱心でした——」
「——そしてそういう人たちは、進んだものを積極的に取り入れる一方で得てして古いものをないがしろにする。仏教はもちろん外来宗教です。〝進んでいる〟とされるものが外国にある以上、残念なことに『外国は進んでいる』という価値観に囚われ外国崇拝者になってしまうのです。外国崇拝者に、隋帝国という大国の外国を相手に、『対等になろう』という発想ができるでしょうか? 蘇我馬子はそうしたことのできない人だったと考えます」
「聖徳太子も蘇我氏の血筋よね? 物部氏をいっしょになって滅ぼしていたし。どうして聖徳太子にだけそれができたと考えられるの?」
「端的に言って蘇我馬子にできないのなら、あとは摂政である聖徳太子がやったとしか考えられないからです」
「蘇我馬子じゃないから残りは聖徳太子しかいないって単なる消去法じゃない」
「もちろん根拠ならないことはないですよ」
「そんなものがあるっての?」
「聖徳太子の書いた三経義疏(さんぎょうぎしょ)といわれる三つのお経の注釈書があります」
「ホントにそれ聖徳太子が書いたの?」
「他に該当者もいないということでしょう。これが全てだと思います」
そう言って徳大寺さんは先を続ける。
「——この注釈書には『私釈少しく異なり』とか『今は之をもちいず』とか書き込まれていて、多くの独自の新解釈を含んでいます。仏教が外国から来たからと言って盲目的にありがたがってはいません。こういう人であれば、外国崇拝者とはならず、日本のために対等な外交を指向するであろうと考えられます」
「なんで宗教に熱心だと外国にものが言える人になるわけ?」
「あなたは〝仏教〟を宗教としてしか見ていない」徳大寺さんが不思議なことを言い出した。
「どこからどう見ても〝宗教〟以外の何者でもないでしょ」安達さんの当然すぎるツッコミ。
「あの頃の仏教は文明国を象徴するランドマークです」
はい?
「『ランドマーク』ってなによ?」
「寺院。五重塔、金堂とか。仏教建築のことです。具体的には四天王寺です」
これはまた意外な……
「——四天王寺って大阪にあるんですけど、朝鮮半島や大陸から人が来るとき船で大阪湾につけるんです。つまり人目に付きやすい目立つところに造ったんです。こういう場所に大きな鳥居を建てても朝鮮半島や大陸から来る外国人にとっては得体の知れないモニュメントにしか見えずなにも感心しないでしょうけど、壮麗な仏教寺院が建っていたらいっぱしの文明国に見えるのが当時の国際感覚です。仏教ってなにも仏の教えが素晴らしいとかそれだけじゃないんです」
「——そうした先進文化としての仏教に注釈をつけられるのが聖徳太子です。盲目的な崇拝者にはこういう真似はできません」
安達さんが訊いた。
「蘇我氏を落として聖徳太子を持ち上げるやり方は真っ当なの?」
しかし徳大寺さんは言い切った。
「蘇我氏を落としてはいませんよ。むしろ蘇我氏の方がけっこうありがちな日本人で、聖徳太子はあまりいないタイプの日本人です。ただ素直に聖徳太子をアゲているんです。だから〝天才〟だとわたしは言っているんです」
「〝けっこうありがちな日本人〟ってどういうことよ?」
「この日本という国は外国の優れた技術や制度、時に外国の文化も受け入れていまここにいます。この進取の気質は長所だと言えます。しかし〝全ての日本人〟に進取の気質があるかというと、それは少し違うと思います。ある人と無い人、それぞれいます。ただ、日本人は全体としては雰囲気に流される傾向がある。だから『これは進んでいる』と言われると流されていきます。これがこの国のいまを造っています」
「〝日本人は煽動されやすい〟って、凄いこと言うわね」
「もちろん全ての日本人が流されるわけではありません。ただこれは〝抵抗する人がいる〟という意味ではなく、〝流す側の人がいます〟という意味です。蘇我氏がこの〝流す側の人〟のひとつの例です。いまわたしは『流される人』ではなく『流す人』の方の話しをしているんです」
「それって『煽動者』ってことよね?」
「違います。いまのことばで言うならインフルエンサーです」
「ものは言い様ね」
「ただし、『彼らが常に良い影響ばかりを与えるとは限らない』という話しをしようと思っていたんです。これは日本ならではかもしれませんが、進取の気質が強すぎる人は最初は『これは進んでいる』と言っていても、いつの間にかそれが『外国は進んでいる』に変わっている。そして〝その進んだ考え〟を拒否する者を『遅れた人間』としてマウントをとった上で攻撃する。これではただの〝外国崇拝者〟になってしまいます。そんな彼らが『外国は進んでいる日本は遅れている』という雰囲気を社会に造ってしまう」
徳大寺さんは、すっとひと呼吸した。
「蘇我氏以降で解りやすい例は明治維新直後、文明開化の頃です。この時の『流す人』は明治政府の主流派。福沢諭吉に代表される開明派民間人の一部も入るのかもしれません。『西洋文明は進んでいる!』と、西洋の価値観をどんどん日本社会に取り入れ世の中の価値観がどんどん変わっていきます」
「文明開化なんだからそんなもんじゃないの?」
「でも江戸時代中期以降は良い意味で内向きでなんとなくのほほんと過ごしてきたのに、開国後明治維新を経て『国際関係は弱肉強食』という西洋の価値観が広く市民権を得るようになっていくんです。強くあるために西洋の技術を学ぶのが文明開化というわけです。幕末の黒船ショックの当然の帰結とも言えます。そうした西洋の文明を丸ごと日本に輸入する行為に対し批判的精神を忘れずに持ち合わせていたのは西郷隆盛くらいのものです」
これは確か……ういのちゃんの——、とまで思ってチラとういのちゃんを見てみると両手の平をぎゅっと胸の前で交差させて徳大寺さんを見つめている————
「それ、誰かに教えてもらったでしょ?」安達さんが何事かを察したらしい。
たぶん『南洲ノ会』という名前からの当て推量か? だとすると安達さんはあの話しを知っていたということになるが。
「そうです」徳大寺さんは言った。
「あっさりと認めるのね」
「けどこれは、いまも、です」
「いま?」
明らかに安達さんは意表を突かれたように見えた。
「いま現在、アメリカの社会制度や価値観が〝進んだもの〟として次々日本に導入され続けています。『この制度を取り入れるのはやめておこう』、『この価値観を受け入れるのはやめておこう』といった取捨選択の議論など聞かないし、どんどん推し進めるのが〝改革〟であり〝進歩的〟ということになっている。アメリカ崇拝者が幅をきかせアメリカ崇拝がずっと続いています。そして大多数はその価値観にただ流され続けている」
「もうそれって〝歴史〟の話しじゃないじゃない」
「いまが積み重なって歴史になるんです。いま現在わたしたちがいる時間軸もじきに当然過去になります。過去になったらそれは歴史です」
「ものは言い様だけどその言い分、排外主義者だとレッテルを貼られるのがオチなんじゃない?」
「では解ってもらえるよう具体的指摘をしてあげます」
〝あげます〟と来るか、徳大寺さん。
「——アメリカの制度を取り入れて日本が悪くなった代表例は『非正規雇用制度についての規制緩和』です。この〝改革〟の結果格差社会が生まれたと言っても過言は無いのに、誰も『間違った行為を〝改革〟と呼んでいた』と自己反省を口にしません」
さらに徳大寺さんは続ける。
「——アメリカ発の価値観で日本が受け入れた結果おかしなことになったのが『先住民族の権利』です。『先住民族の権利』とはインディアンを迫害してきた移民国家アメリカでは通用する価値観です。その価値観を無批判に日本に導入し『日本の先住民族』という概念がこの日本でも生まれたわけですが、その結果なぜか大昔の縄文弥生の頃から日本列島に住んでいるほとんどの一般日本人が先住民族でなくなりました。縄文弥生の頃から住んでいる移民なんているでしょうか? もしこれを肯定するのだとすると先住民族という概念自体が不確かなものになります。もうメチャクチャです。アメリカの価値観をそのまま輸入した結果日本がこんなおかしな事になっています。そして誰もこれについて批判をしません。アメリカ崇拝者、つまり外国崇拝者ばかりです」
「——これらは『日本において外国崇拝者はいつの時代も存在します』というお話しです。別に蘇我一族だけを『外国を崇拝する特殊な人たち』とはできないというお話しです。やっぱり彼らも日本人なんです」
「——こういう事例と対比すると聖徳太子の外国に向き合う姿勢、外交における天才ぶりが、いかに際立っているか解るでしょう」
安達さんはもはや茶々を入れなくなっていた。そして僕も思う。徳大寺さんとはここまでデキるのか……同じ事を僕ができるかといえば……
しかしこれで終わらないのが徳大寺さんでもあった。
「実は聖徳太子には予言者伝説というものがあるんです。ものすご〜く胡散臭い現物の存在しない予言の書『聖徳太子未来記』というモノもあるんですけど、実は本物の予言は『隋書』に書いてありました。あの『日没するところの天子』、という部分です。実は煬帝は揚州の江都というところで暗殺されてしまったんです。つまり日は没した。隋の煬帝さんに送ったこの予言、当たりました。やっぱり聖徳太子は天才です」
う〜ん、こーゆーところ、いかにも徳大寺さんらしい。
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