だい〝よんじゅういち〟わ【天才聖徳太子の証明 その1】
徳大寺さんが語り出す。
「『聖徳太子はいない』という〝説〟を採っている人は『日本書紀』という史料を信用していません。そこで、用いる資料は勢い外国の史料になるほかありません——」
「——その史料の名は『隋書』。中国の史料です。もちろん当時は隋帝国。日本からの使者が『日出ずるところの天子、日没するところの天子に書を致す。つつがなきや』っていう手紙を持って来たという記述があります」
「わりと有名よね」とそっけなく安達さん。
「その続きには手紙を受け取った側の反応も書いてあります。『帝、これを覧て悦ばず——』と。不機嫌になった理由はふたつあると考えられます。ひとつはこの手紙が『日の出の勢いのある天子が落日の刻を迎えつつある天子にお手紙を送ります』という意味にもとれ、自分の国が没落しかかっている国のように書かれていたから。もうひとつは『天子』という名を日本人の側も名乗ったから。これはどういうことかというと『天命を受け地上を治める者は世界に唯一ただ一人である』という中華の価値観に反している、ということです。つまり自分以外の者、それも随帝国からみて、格下の野蛮国としかみなしていなかった国の国主が傲慢にも『天子』などと自称するのは許せないということです。たぶんふたつの理由が複合した結果でしょう」
「それで?」
「この手紙に込められた日本側の意図は『隋に臣下の礼をとらずに外交関係を確立すること』です。結果から言うとこれは黙認された形になりました。つまり大成功です!」
「〝黙認〟で大成功って、単なる勝利宣言じゃない?」
「いいえ。成功の証拠があります。それは無視されてはいないということ。隋から答礼の使者がやって来たんです」
「——これは〝たまたま成功した〟とか〝まぐれ〟とかそういうのじゃなくて、確度の高い計算あっての結果です」
「なんでそう言えるの? あなたの思い込み?」
「遣隋使の派遣回数からです。遣隋使は第一回、第二回、第三回と少なくとも三回派遣されています。『日出ずるところの天子・日没するところの天子』と書いた手紙を出したのが第二回、日本書紀にある『東の天皇、つつしみて西の皇帝に』という手紙が第三回です。するとどんな内容の手紙を持たせたのかも分からず、どこにも記録らしい記録も残っていない第一回目はなんだったのか? ということになりますが、わたしは諜報外交官に使節の肩書きを与えて随へと送ったのだと考えています」
「なるほどね」
珍しい。肯定するとは。
「その結果隋帝国の対外方針が解ったと考えられます。鍵を握るのは『高句麗』という国で、この国は朝鮮半島の北部に存在していました。隋帝国は高句麗征伐に執着していました。現に二代目皇帝煬帝の行った〝三度にわたる高句麗遠征の失敗〟から各地に反乱が起こり、この帝国は滅亡しています」
「——この歴史的事実から考察するに、隋帝国の皇帝煬帝はこう考えたに違いありません。即ち『高句麗を片付ける前に日本とも事を構えるのは得策ではない』と。こう言うと『そんな昔の日本が朝鮮半島に軍事介入できるわけがない』と思う人もいるかもしれませんが、朝鮮半島に『百済』という国が存在している間はその限りではありません。百済に危機的状況が訪れたとき日本が軍事介入する。これは遣隋使派遣からおよそ五十数年後に起こった〝白村江の戦い〟が証明しています」
「それはあくまで『百済』という国の話しで『高句麗』じゃないわよね」
「確かに『百済』と『高句麗』は対立関係にあります。こっち側から見ていると日本が高句麗側に立ち参戦するなんて可能性は無いように思えます。しかし隋の立場からしたらどう見えるでしょう? 軍事介入してこないという保証はあるでしょうか? 重要なのは軍事介入する力があるか無いか。有事の際にどう動くか確証の無い国が攻撃対象の背後、それも海の向こうにあるのは非常に不気味に感じるのではないでしょうか。日本の軍事介入の可能性を排除できない以上、日本を事態の無関係者に留めておくというのは理に適っています。つまりは『中立させておく』ということです。聖徳太子はこの状況を分析し、隋に臣下の礼をとらずに外交関係を樹立しました。金印をもらった頃から比べると隔世の感です」
「——ただ、大昔の外国の史料なので『聖徳太子いない説』を採る人たちが反論する余地がどうしても出てきてしまいます」
「それは?」
「手紙を出した日本人の名前が誰だか解らない〝謎の名前〟になっているという問題があります」
「よく調べたわね。確か、『九州の豪族が出した手紙だ』っていう学説を主張する人もいたかしら」
「知ってるならわざわざ人に説明させなくてもいいんじゃないですか?」
「わたしはあなたの口から聞きたいの」
「さっきの〝九州の豪族〟がどうとかいう話しなら『それはどうでしょう?』という答えになるほかありません。海があるとは言え九州北部からは意外に大陸は近いです。手紙の内容が単に友好を求めるものなら『あるかも』と思いますが、手紙の中身は相手を怒らせる可能性が限りなく高い内容です。このリスクを考えたら地方豪族程度の力では、たとえ海の向こうであっても大国相手に出せる手紙ではないと思います」
いかん、なんか着いていくのがいっぱいいっぱいになってきてるぞ。
「確かにそこはそうよね」
「だから手紙の差出人は中央政府になるしかない、と考えます」
徳大寺さんは話しを続けていく。
「——さっきわたしは『推古天皇を叔母に、蘇我馬子を大伯父に持つ人物が摂政をやっていた』と言いました。摂政とは天皇の代わりに政治を行う人、今現在のポジションで言うと内閣総理大臣に該当します。つまり一国を背負う政治の最高責任者です。特に外交では全ての責任を引き受けなければならない立場です。失敗すれば政治責任を問う一方で成功したときに〝成功〟を認めないという人はおかしいと思います」
「——日本と中国の関係はそれまでずっと日本が格下でした。しかし、聖徳太子の時代に実際の国力はどうあれ、政治的に初めて対等関係になった。外交の天才と言っていいと思います。だから『天才貴公子聖徳太子』で間違ってはいないと考えます」
なるほど! 聖徳太子は外交の天才だった! 完璧じゃないか、徳大寺さんっ‼
ぱちぱちぱちぱちぱち、と拍手が鳴る。まとめ先輩だった。
「いーじゃない! さすが会長! じゃこれから『天才貴公子聖徳太子・の会』になったってことで」
「まだ少し早いです先輩」と安達さん。
「なに? まだ納得してないの?」まとめ先輩が訊いた。
それに安達さんが返す。
「それ聖徳太子がやったんじゃなくて蘇我馬子がやった、って言える余地があるんじゃないですか? 大伯父ってことは聖徳太子なんて孫の世代ですよ」
「……」
まとめ先輩もう沈黙。
「つまり聖徳太子は蘇我馬子の傀儡だったって言いたいの?」今度は徳大寺さんが尋ねた。語調もやや強くなる。
「そう。だからその外交の功績は蘇我馬子にあるってこと」
「そこまで来るともう〝言いがかり〟じゃないですか?」
「それくらい来ると想像しないと。そうそう、確か、崇峻天皇って蘇我馬子に暗殺されてなかった? 天皇すら暗殺するような人物が若造の摂政の言うことなんてきくのかしら?」
徳大寺さんの表情がより厳しくなった。しかし安達さんはどこ吹く風。
「わたしは史実を言っただけ。それとももう反論の種は尽きた?」
なんとかして徳大寺さんに加勢したいがこのレベルになってくると僕にはもう難しい。
だが徳大寺さんは言った。
「いいえ。ただし、ここまでの段階になるとどう分析して解釈するかという次元の話しになってくる。もう意見の相違、見解の相違としか言いようがない」
「いいんじゃない? 史実を元にしてるなら」
「それだったら、五割……いえ、六割程度の説得力の反論はできると思います」
言い切った。この不利な状況から立て直せるってのか? 徳大寺さんは。
そう思っているだけの僕は立ちすくんだまま。
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