Lex Aeterna

八ッ夜草平

第1節

 目を開くと、私は白い雲の絨毯の上に立っていた。


 頭上は抜けるばかりの青い空に、この世の終わりまで決して沈むことのない太陽。


 祈りの声のような風の音が、時折、耳朶をかすめていく。


「おじさま! こっちよ!」


 遠くから澄んだ声が呼ぶ。小柄な少女だ。大はしゃぎで両手を振る彼女に軽く手を上げてこたえると、私は雲の上へと歩みを進めた。


 雲の白、空の青、それだけしかない漠然とした空間の真ん中に、たったひとつ、異物がでんと構えている。大仰なデスクとワーク・ステーションだ。


「おじさま、ようこそ天国へ! 何千年ぶりになるのかしら?」


 少女は目を輝かせて口上を述べると、華麗に一礼して見せた。


「……さあ? 相変わらず殺風景な場所だね」


 意図せず、とげとげしい声が出る。


「ごめんなさい、たいしたおもてなしはできないの。今は天国のシステムが何も動いていなくて。その、緊急事態だし」


 すまなそうに言った彼女を、私はすこしまぶしそうに見つめた。

 変わらないな……。



 愛らしい顔立ちだ。

 金色の睫が、黄金の宝珠のような美しい瞳を縁取っている。ふわりとカールした豊かな髪の毛は長く伸び、肩にかかってハチミツ色の輝きを添えていた。

 白ずくめの格好は、正装でのお出迎えということらしい。

 『ソロモンの栄華だに……』そんな言葉が口をつきかけた。


 そして、彼女の頭上に浮かぶ――天使の輪。

 まばゆく輝いている円環に濃い緋色で刻まれた複雑な紋様が、彼女が第一位の天使へと昇格したことを示している。


 彼女はガブリエル。つい先日まで、天上第二位の天使だった少女だ。


 昇格おめでとう。そんな皮肉を我慢したのは我ながら自制が効いていた。彼女には嫌われたくない――いや、この言い方は語弊がある――彼女のことは嫌いじゃない。


「おじさまが来てくれて、ほんとうに良かった! あたしだけじゃ、絶対に手に負えないと……。

 でも、おじさまがいてくれれば、このプロジェクトはきっと上手くいくと思うの!」


 興奮気味に上気したガブリエルの顔にはあどけない笑みが浮かんでいる。


「さあ、それはやってみないとわからないね。

 それにしても、ずいぶん大がかりなモノを用意したなあ」


「そう! できる限り最新のワーク・ステーションを取りそろえたわ」


 自慢げに言って、ガブリエルはデスク上に並ぶ威圧的なデザインをしたケースのひとつをポン、と叩いた。


 その奥にはアームに吊されたごく薄いディスプレイがずらり。そしてキーボード、キーボード、キーボード……。


「つまり……遡航可能だった時点で最新の、ということだけど」


「ふうん」


 及第点だな。設備上、機材上の不都合が起きることはなさそうだ。問題なのはむしろ……。


「聞きたいんだけどさ、ガブリエル。君、そもそもこういう仕事をしたことはあるの?

 あいつのメッセンジャーって役割ばかりだっただろ、君って」


「え? べつにそういうわけじゃ……あたしだってパソコンの一つや二つ……その、触ったことくらいは……」


 すかさず私は冷笑を浮かべた。


「天国の連中はさ、そういう前時代的な意識だから今度みたいなことになるんだよ。ミカエルだって」


「兄さんと一緒にしないで!」


 笑顔から一転、ガブリエルはキッと私を睨み付けてきた。肉食獣もかくやという剣幕だが、彼女の小動物然とした顔つきでは、可愛らしいと言う表現の方がよく当てはまってしまう。


「わかったわよ! 悔しいけど、認めます。あたしがパソコン素人だってこと。

 さあ、おじさま。あたしにレッスンを! 早くあたしを一人前のプログラマにしてちょうだい!」


「若干、タームに違和感があるが……君の努力次第ってところかな、一人前になれるかどうかはね」


 私はオーバーな仕草で肩をすくめてみせた。

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