三十代男性が出産する話

第1話

 三十代も後半に差し掛かったころ、急激に腹が出てきた。年をとったせいか太りやすくなったなあなどと悠長に構えていたらあっという間に風船のように膨らんできたので、これはおかしいと慌てて病院に駆け込んだ。


「信じられないかもしれませんが、ご懐妊です」

「ゴカイニン?」

「妊娠してます」

「はあ」


 言われたことのあり得なさに気づいたのは帰路についた後だった。

 妊娠? まさか。どうして。相手もいないのに。

 そもそも俺は男だぞ。


 俺が混乱から覚めるよりも、腹の子供が産まれるほうが早かった。

 その日の夜、急激な腹痛に襲われた。ふっと意識が遠のいたかと思うと、次の瞬間には激しい泣き声が部屋にこだましていた。股間に違和感が残っていたので、そのあたりから出てきたらしいとかろうじて推測できたものの、実際どこから出てきたのかはいまだにわからない。

 赤ん坊を腕に抱きながら俺は途方に暮れた。どうやって育てたらいいのかまったくわからない。産まれた子が女の子だったということくらいしか理解できなかった。

 途方に暮れていても尿意は催すのが人の性だ。子供を恐る恐る布団に寝かせ、急いでトイレへ行き、戻ってきた時には赤子は幼児へと成長していた。近ごろの子供は成長が早いなと現実を受け容れるしかなかった。


 娘はまるで俺に似ておらず可愛らしい顔をしていた。母親似なのだろう。母親が誰なのかは、知らないけれど。


 翌朝、「公園に行きたい」と娘が言うので連れていくと、同じように小さな子供を連れた中年男性がたくさんいるのが目についた。みんな新米パパなのだろうか、頑張れ、俺も頑張るから。そう内心で応援しつつ、ぱっと見る限りはうちの子が一番可愛いな、なんてことを思った。


 数か月後には、独身男性の妊娠・出産という不可思議な現象は珍しいことでもなんでもなくなった。

 下世話なワイドショーや週刊誌はお約束のように、原因はウィルスかあるいは放射線の影響による突然変異かと、当初は面白おかしく騒ぎ立てたものの、MCの男性タレントや大物プロデューサーにも同様の事態が多発して以降、揶揄する論調の報道はすっかり目にしなくなった。

 都合のいい連中だと呆れたが、静かである分には悪くはない。こちらは初めての育児で手いっぱいなのだ。世の中にやかましく言われても気にかける余裕などなかった。


 なぜこんなことになったのか、誰にもわからない。

 ともあれ、子供は産まれてしまったのだ。

 産まれた命は育まねばならない。

 当たり前にそう考えた。

 俺だけではない。誰もがそうだった。


 赤子から幼児になるまでは一瞬の出来事だったが、そこからの成長は個人差が大きく表れるらしかった。中学生くらいまで一気に成長する子もいれば、娘のように女性が産む子と変わらない速度にまで落ち着く子もいた。成長が遅くなったからといってどうということはない。娘らしく健やかに大きくなってくれればそれでよかった。

 無事に一歳の誕生日を迎えた娘の成長度は六歳児相当と認められ、次の春には小学校へ入学することになった。

 唐突に訪れた何十年ぶりかのベビーブームに、小学校の受け入れ態勢は追いついていない。そんな中で、娘が無事に入学できるのは幸運だった。

 明るい彼女のことだ、きっとたくさん友達を作って、楽しい学校生活を送るに違いない。そうなるように祈る。


 そしてやってきた入学の日の朝。娘は体調不良を訴えた。

「なんかおなかいたい」

 言い切るより早く娘は子を産み、かくして祖父となった俺は、母となった娘と孫を連れて小学校の入学式へ参加した。

 式典中、娘は頭をきょろきょろと巡らせ、俺たちの姿を見つけると大きく手を振ってきたのでとても目立っていた。

 俺は苦笑しながら孫に目をやった。みるみるうちに成長し娘よりも大きくなった孫も、笑って俺を見た。

 そうして俺たちは、ふたりで娘(孫にとっては母親)に手を振り返した。

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三十代男性が出産する話 @akatsuki327

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