EP.25

 目覚ましが鳴って、叶奈は目を覚ました。正しく言うと、まだ頭は起きていない。

 まだ覚めていない頭で、時刻を確認する。


「あと五分……いや、十分……」


 眉間に皺を寄せながら、布団を頭から被る叶奈。スヌーズを設定して潜り込んだ布団の中は温かい。

 鳥がピーピー鳴きながら窓の外を通り過ぎていく。叶奈の耳に、うっすらその音が届く。しかし、彼女は起きない。

 どこかの誰かの日常音が聞こえ始めた頃、目覚ましがもう一度鳴った。

 叶奈は、もう一度眉間に皺を寄せる。目覚ましを止めて、のっそりのっそりと起き上がる。しかし、彼女の頭はまだ起きない。

 寝ぼけまなこのまま、ベッドからゆっくり立ち上がり、大きく伸びをする。

 半目の状態で、洗面台へと向かう。水道の蛇口を捻ると、冷たい水が出てきた。

 叶奈は、何度か流れる水に一瞬ずつ指をつけてから手のひらに水を溜め、一気に顔を洗った。ほんの少し目が覚めると、軽く口を濯ぎ、顔を拭いて台所へ向かう。

 グラスに、冷蔵庫を冷やしておいたミネラルウォーターを注ぐ。そして、一気にその水を飲んだ。

 食道、胃へと、冷たい感覚が移動していく。それと同時に、叶奈の目が開いていく。


「よし、起きた」


 おまじないかのように言葉を発して、食パンをトースターで温め始める。それとほぼ同時に、電気ケトルでお湯を沸かし、紅茶を作る。

 缶から、ティーバッグを取り出す。種類は、イングリッシュブレイクファストティー。

 ティーポットは持っていないので、そのままマグカップにティーバッグを入れる。紐だけ外にかけるように出し、お湯を入れる。

 お湯をたっぷり入れると、雑貨屋で見つけたマグカップ用の蓋で蓋をして蒸らす。

 今日は、砂糖を入れて飲む。風味や香り、コクが強い種類なので、鼻腔や舌を刺激して目をさらに覚ましてくれると、叶奈は思っている。根拠はない。

 紅茶を蒸らす間に、トーストが焼き上がる。


「あちちっ」


 耳たぶで指を冷やしつつ、皿にトーストを載せる。

 冷蔵庫からマーガリンを出し、椅子に座る。

 良い感じに三分紅茶を蒸らしたところで、ティーバッグを取り出す。紅茶の良い香りが、叶奈の鼻をくすぐる。


「いただきます」


 叶奈は、そっと手を合わせて言うと、マーガリンを食パンにつけ始めた。

 部屋に、あたたかい香りが充満する。

 黙々と食べながら、今日の予定を考える。


「今日は、悟さんに会いにいく。覚えてくれてるかな? 元気かな?」


 ほんの少しの不安が、叶奈をつつく。しかし、そんな不安を払拭するかのように、空は晴れている。

 あっという間に朝食を終えると、叶奈はさっさと準備を済ませて、玄関を出た。

 前回同様、バスと電車に揺られて、植物園へと向かう。

 叶奈は、久しぶりに会う緊張感と闘いながら、悟のいる植物園へと向かう。


「大丈夫。大丈夫」


 植物園に着くと、土曜日ということもあり、以前来た時より、人が多くいた。

 忍者のように人の間をすり抜け、目当ての建物へと向かう叶奈。

 しばらく植物園の中を進んでいくと、その建物は、思ったより早く目の前にやってきた。


「あった……」


 深呼吸をする叶奈。心臓の音が、自分の耳に入ってきそうな感覚が叶奈を襲う。

 叶奈は、さっきより大きな深呼吸をして、足を前に動かした。


「すみません」


 ほんの少しざわついてはいるものの、以前と変わらず、静かな場所だった。

 叶奈は、悟の姿を探して、あたりを見渡す。


「いらっしゃいま……おや、叶奈さんではないですか」


 奥から、悟が顔を出す。


「悟さん。ご無沙汰しております」

「お久しぶりです」


 互いに、相好を崩す。二人の空白時間は、あっという間に埋まった。


「前回よりお顔の色がよろしいですね」

「そうですか? あ、でもこんなことがあったんです」


 叶奈は、ことの次第を話そうとする。そんな叶奈を、悟は手で制した。


「ここで立ち話もなんですし、椅子に座って、ゆっくりお話しましょうか」


 悟は叶奈を静止し、前回話したテーブルにお菓子を置き、コーヒーを用意し始めた。

 ほんの少しいた客は、いつの間にかいなくなっており、その一瞬の隙をついて、悟は「CLOSE」の板をドアノブにかけた。

 コーヒーの香りが、フロアに漂う。叶奈は、大きく鼻から息を吸い込んだ。


「さて、それではお話をお伺いいたしましょうかね」

「はい。実は……」


 叶奈は、ゆっくりと自分の身に起きた出来事を話す。

 悟は、驚きつつも、叶奈の言葉を信じて言葉を発した。


「そうですか。林太郎に会ったんですね。楽しそうにしているようで、安心しました。お聞かせいただき、ありがとうございます」


 悟は目尻に皺を作りつつ、ニコニコと叶奈の話を聞いていた。ツナグの様子にも、安堵の表情を浮かべていた。

 叶奈は、一口コーヒーを飲み、喉を潤して一息ついた。

 二人の間を、静かな時間が流れる。コーヒーの湯気は、ゆっくりと立ち昇っている。

 二人の間は、時が止まっているようだった。

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