EP.20

 悟は、ティーカップをそっと持ち上げて、紅茶を一口飲んだ。


「そうですか……。林太郎に会いましたか……。林太郎は、元気でしたか?」

「元気そうでしたよ。いつも、穏やかな笑顔で、私たちを見ていました。ただ、一つ不思議な場所ならではの現象が起こりまして……。林太郎さん、とってもお若かったんです。ツナグくん曰く、“一番幸せだった時の姿になる“とのことだったのですが……」


 叶奈の言葉を聞きながら、悟はティーカップを置いた。かちゃりと音がした。

 今度は、叶奈がティーカップを持ち上げる。


「ツナグくんと林太郎さんの話によると、ツナグくんと林太郎さんが出会った頃のお姿だそうです」

「そうですか……」


 叶奈は、そろりと少し熱い紅茶を口に含む。

 悟は、叶奈の言葉を反芻しているのか、カップを見つめている。そんな悟の様子を、チラリと叶奈は覗き込む。


「林太郎にとって、ツナグさんとの時間は一番幸せだったのかもしれませんね。とは言え、同じ頃くらいに結婚して、その一年半後くらいにこどもが生まれたらしいので、幸せが一気に押し寄せた時期だったのかもしれません」


 悟は、またティーカップに手を伸ばす。その表情は、嬉しそうでもあり、少し切なそうでもあった。

 叶奈は、その表情が居た堪れなくて、話を進めようとした。


「私は、やりたいことを見つけた時、突然景色が天井に変わりました。周りの人の話では、私は、事故で昏睡状態に陥っていたそうです。起きた時、水面に映った通り、弟がくたびれた様子で、俯いていました。それからは、慌ただしい日々でした。あれは夢だったのかと、とても不安になりました。でも、今日悟さんと話ができて、あれは現実だったのだと思えました。とても、ほっとしました。私を、覚えていてくださってありがとうございました」


 叶奈の言葉に、悟は微笑む。叶奈も微笑みながら、ティーカップを口元へ運んだ。

 静かに時が流れる。どこからか、さらさらと草木が擦れる音がする。窓から夕焼けが差し込む。日差しが、二人の顔を照らす。


「私は、叶奈さんが以前ここを訪れてくださった時も、今もお会いできて良かっと思っていますよ」

「本当ですか?」


 悟の言葉に、叶奈はティーカップを置いて、俯きかけた顔を上げる。悟は、にこにこと微笑んでいる。

 風が、さらさらと流れる。夕焼けは、どこか冷たい。空気もより一層冷たくなってきた。


「私は、叶奈さんとこうしてお話できていることを幸せに思いますし、叶奈さんと出会えたことが幸せです」

「悟さん……」


 悟は、変わらず微笑んでいる。夕焼けのせいか、少し叶奈の顔が赤い。

 日が暮れていく。ますます空気が冷えてくる。


「叶奈さん、今夜は泊まりますか? もうそろそろバスが最終なはずですが……。すみません。私が、時間を忘れてお引き止めしてしまったがために……」

「え? もうそんな時間ですか? どうしよう……。でも、泊まるにしても、良いんですか?」


 思わぬ悟の言葉に、叶奈は慌て戸惑う。


「もちろん構いませんよ。暖炉に火を焚べてきますね」

「あ、はい。すみません。じゃあ、お世話になります」


 悟は、ゆっくり立ち上がると、暖炉に火を焚べ出した。


「そろそろ電気も点けましょうかね」

「あ、私が点けます」


 叶奈は、慌てて立ち上がる。叶奈が電源を入れると、白い蛍光灯ではなく、黄色の落ち着いた光が、部屋を照らす。

 ぱき、ぱち、と、暖炉から音が聞こえ出した。まだ温まらない空気のせいか、冬の足音のようにも聞こえる。


「さて、時間はまだありますし、先に夕食にしましょうか。叶奈さんは、何か食べたいものはありますか?」


 悟は、にこにこと暖炉の薪をいじりながら、叶奈に問う。


「そうですね……。シチューが食べたいです。というか、私が作ります!」

「シチューですか。良いですね。いえいえ、叶奈さんはお客様なので、ここでゆっくりしていてください」

「でも……」

「良いんです。久しぶりに人と夕食を食べられる私のわがままを聞いてください。さ、座って」


 悟の言葉に、叶奈はすごすごとさっきまで座っていた椅子に座る。紅茶は、すっかり冷めてしまっていた。

 叶奈が不意に窓の外を見ると、一番星が輝いていた。

 叶奈にとって、温かく優しい夜がやってくる。

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