EP.11
男は、唐突に目を覚ました。
「ここはどこだ……?」
寝ぼけ眼で、状況を把握しようと辺りを見渡す。じっくり考えると、自分が今どこにいるのかを思い出した。
「そうだ……。俺は、やっとこの世界に来たんだ。やっと、自分の居場所を見つけられるんだ……」
男はベッドから降りて、窓から外を眺めた。満天の星空に、男は思わず涙を零した。
男は、所謂エリート家系に生まれながらにして、〝普通〟の人間だった。世間から見るとごく普通の人間である。しかし、エリートだらけのこの男の家庭の中では、『普通=落ちこぼれ』であった。
エリートの兄からは蔑まれ、エリートの両親には失望され、エリートの親戚付き合いの中では、いつも腫物扱いであった。大学に入る頃には、まるで存在すらしていないような扱いを家族から受けていた。
そんな彼にとって、唯一の楽しみが読書だった。文字を辿るだけで、自分も主人公になれる。そんな時間が、彼にとって心安らぐひとときであった。
「やっと、俺は自由だ……」
男は、言葉を噛み締めた。さーっと風が吹いて、森の木々と男の頬を優しく撫でた。心地良い感触に、男は思わず目を細める。
「おや、目を覚ましたのかい?」
不意に、男の背後から声がした。男が振り返ると、ツナグが入口に後ろ足だけで立っていた。
「あんたは……」
「僕はツナグ。一応、この家の主だ。とは言っても、君とは一度会っていたよね? そうそう、君は僕の館に辿り着いたとたん気を失うように眠ってしまったんだよ」
ツナグは、苦笑しながら状況を説明した。
「それはすまない。助けてくれたこと、感謝する。やはり、あんたはあの時の猫か……」
男は、ぶっきらぼうに言葉を返す。ツナグは、気にせず単刀直入に言葉を投げた。
「君は、本来ならこの世界にはいないはずの人間だ。どうやって、この世界に来たんだい?」
ツナグの言葉に、当時を思い出そうと男は天井を見上げた。
「そうだ……。ここにいるあのカフェの男を見張っていたんだ。この世界来るには、あのカフェの店員について行くのが早いと思って……。それで、見張りの途中でコンビニに行ったんだ。そして、男の家に戻ろうと横断歩道を渡ろうとして……ダメだ、そこから先が思い出せない……」
男が苦悶の表情を浮かべる。ツナグは、男の言葉から、この男は事故で死んでこの世界にやって来たことを悟った。
男は、必死に思い出そうと、頭を抱える。ツナグは、男に近付くと、彼の手にそっと触れた。
「もういいよ。もういい。何はともあれ、君はもうあの世界に戻る理由がなくなった。君が嫌でなければ、ここに住めば良い。どうするかは、君の自由だ」
「ここにいて良いのか……?」
男は、思わぬ提案に驚き、顔を上げた。ツナグは、にっこり笑うと、男を歓迎した。
「もちろんだ。今から、ここが君の居場所だ」
男は、ツナグの言葉を噛み締めて礼を言った。
「ところで、君の名前を教えてくれないかい?」
ツナグは男に問う。男は、しっかりとした口調で名乗った。
「俺の名前は、
ツナグは、手を差し出す。
「さぁ、『しぇいくはんど』をしよう! 僕達の再会を祝して!」
ツナグは、にっこり笑って、前足をずいと差し出す。剛は、ぎこちなく笑いながら、その手をしっかりと握り返した。
「ようこそ! 僕の館へ!」
ツナグは、はち切れんばかりの笑顔を浮かべて、剛を歓迎した。
剛はというと、長年の孤独のせいか、眉間の皺が完全に消える事はなく、ぎこちない笑顔のままだった。
いつの間にか、残りの三人も集まっていた。そして叶奈は、思い出したように、皆に提案をした。
「そう言えば、皆まだ晩ごはんを食べていないんじゃない? みんなで楽しくディナーにしましょうよ」
他の全員が大きく頷く。ツナグは、「僕は、ディナーの準備をしてくるよ」と言い残し、ダイニングキッチンへと向かっていった。叶奈は、その後を慌てて追い、三人は少し気まずい雰囲気の中に取り残された。
そんな中で口火を切ったのは、涼太だった。
「僕は、ここに『自分の軸』を探すために来たのだけれど、林太郎さんはどうしてここに?」
林太郎は、顎に手を当てて考え込んだ。
「ふむ……。実は、わからないんだ……。眠るために目を閉じて、気付くとここにいた。ツナグたちの話では、大往生を迎えてはいるようなのだが……」
林太郎は、自分の今際の際を思い出そうと考え込む。
「うむ。やはり、思い当たるような出来事は思い出せないな。どうやら、死んでここに呼ばれたらしい。大好きな妖にでもなるためにここにいるのかもしれんな」
林太郎はそう言うと、豪快に笑った。剛は、少しあっけにとられつつ、林太郎を見た。
「涼太君。君は、自分の軸を見つけられそうかい?」
林太郎が涼太に問いかけた。涼太は、見えない霧の向こうにあるであろう『自分の軸』を頭で追いかけてみた。霧が晴れる事も、欠片を掴む事もできなかった。
「どうでしょうね……。僕は、当分暗中模索状態になりそうです」
涼太はそう言って、肩を竦めた。そんな涼太の様子に、林太郎は「まあ、焦らずとも良い。おのずと軸は見つかるものさ」と言って、肩をぽんぽんと叩いた。
「そうですね」
涼太は微笑むと、ツナグ達の手伝いをしようとダイニングキッチンへ去って行った。
「君は運が良い」
林太郎は、剛に話し掛けた。剛は頷き、同意した。
「確かに。俺はこの館がなければ、その辺で行き倒れていただろう」
「以前ツナグが、この世界にも『死』はあると言っていた。もしここで死ぬと、どうなるのか私にはわからない。しかし、二度と向こうの世界で、『生』を全うすることが出来ないような気がする。君は向こうの世界を良くは思っていないようだが、向こうの世界も捨てたもんじゃないぞ」
林太郎は、剛に語り掛けた。剛は、ただただ顔を顰めるばかりで、返事をしなかった。林太郎は、気にせず言葉を続ける。
「もちろん、今の君の立場では、しんどい思いをたくさんしてきたのだろう。しかし、来世ではまた違った人生になるかもしれない」
林太郎は、優しい目で剛を見る。すると、ここでようやく剛が言葉を発した。
「俺は、もう十分人間の醜さを見てきた。家柄に惹かれて近付いて来る者、兄貴たちと繋がりたくて近付いて来る者、両親に取り入るために近付いて来る者。俺は、もうたくさんだ。向こうの世界には、もううんざりしている。だから、この世界を俺は求めたんだ」
剛は、落胆と疲労の混じった顔で、林太郎を見た。林太郎は、返す言葉を探したが、咄嗟に気の利いた言葉は出て来なかった。
林太郎が言葉を探している事に気付いた剛は、「良いんだ」と、その一言で言葉を拒絶した。林太郎は哀れみの目を向ける以外の選択肢を失くしてしまった。
二人が、なんとも言えない表情で向かい合っているちょうどその時だった。涼太が二人を呼んだ。
「ディナーの準備ができましたよ」
林太郎は、申し訳ない表情を浮かべながらも、助け船に乗って、話を終わりにした。
「すまないね。さて、ディナーに行こうか」
剛は首を振って、二つ返事で同意した。
「気にしないでくれ。そうだな、せっかくのディナーだ。呼ばれることとしよう」
二人は、さっきまでの空気を隠すかのように、努めて明るい様子で、部屋を後にした。
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