EP.3

 朝になり、叶奈はゆっくりと起床した。カーテンを開けて、冷蔵庫で冷やしておいたミネラルウォーターをおなかに流し込む。

 ぼんやりと窓の外を見ると、いつもの光景が広がっている。

 今日は、はなんとなく外に出たい気分だった。外出する準備を済ませ、履き慣れたスニーカーを履いて、外に出る。

 叶奈は、植物園で『青いケシの花』を宣伝していたのを思い出し、植物園に向かうことにした。

 電車に揺られ、バスに乗り継ぎ、変わっていく景色をぼんやり見つめる。曇り空のせいか、植物園は人がまばらだった。

 叶奈は、深呼吸をしてのんびりと植物を眺める。目当ての青いケシは、思ったよりも早く視界に入って来た。そして、思っていたよりも大量に咲いていた。

 ふと気付くと、叶奈の周りには誰もいなくなっていた。

 叶奈は、人を探してきょろきょろと辺りを見渡す。すると、少し離れた所に二本足で立つブーツを履いた猫がいた。間違いなく、夢に出てきたあの猫だった。

 叶奈は、自分のいる方向に向かってくるその猫をじっと見つめた。叶奈の視線に気付いた猫は、叶奈の方を見た。猫は、大きく目を見開く。


「君は、あの時の……」


 叶奈は、これが現実なのかわからないまま言葉を返す。


「あの時以来ね」

「君は、ちゃんと戻っていたんだね。それは良かった」


 猫は、にっこり微笑む。


「あなたは、どうしてここにいるの?」


 猫に問う。


「僕は、この花を貰いに来たんだ」


 猫は、青いケシの花を見た。叶奈は、咄嗟に言葉を返す。


「ここの花はダメなんじゃない? だって展示用だし……」


 猫は、きょとんとした顔で叶奈を見る。


「なぜだい?」


 この猫は、植物園の花を持ち帰りができると思っているらしい。


「だめだよ。ここの花はここで管理されているからダメ」


 猫は、不思議そうに叶奈を見る。


「おかしいなぁ……。僕は、ここの人間に、この花を分けて貰えると聞いたのだけれど……」


 猫は、困った顔をする。


「ねぇ、猫君。その話をしてくれた人は、どこにいるの? 花を貰うにしても、その人にひと声かけた方が良いと思うの」


 ふむ、と猫は考える仕草をする。


「たしかに、君の言う通りだね。ここの人間はどこにいるのだろうか? 君は知っているかい?」


 猫は、叶奈に尋ねた。叶奈は、入口で入手したマップをポケットから取り出し、従業員がいそうな建物を探した。

 マップには、近くにグッズ売り場とミニ展示室のある建物が記載されていた。

 叶奈は、猫にマップを見せながら話しかける。


「すぐ近くに、従業員がいそうな建物があるみたい。ここに行ってみると良いかもしれない」


 猫は、ふむふむと軽く頷きながら、地図をまじまじと眺めた。


「君、悪いが一緒に来てくれないだろうか? 見知らぬ猫がいきなり現れるのは、なんだか具合が悪い気がするんだ」


 猫は、叶奈に申し訳なさそうな顔をした。

叶奈は、二つ返事で、猫の頼みを受けることにした。


「ありがとう」


 猫は、嬉しそうに礼を言うと、建物に向かって歩き出した。予想外に近く、一人と一匹はすぐに建物に辿り着いた。


「ここかい?」

「ここみたい」


 猫と叶奈は、地図と建物を見比べる。オルゴールの音が、建物の中から聞こえる。

 叶奈は、深呼吸をして中に入り、中にいた年配の男性に声をかけた。


「すみません」


 男性は、叶奈の言葉に微笑みながら反応した。


「どうかしましたか?」

「実は、この猫が青いケシの花をここの人に貰えると聞いて来たらしいのですが……」


 男性は、叶奈の手が示す先の猫を見ると、目を見開いた。


「おや……。貴方は……」


 猫は仰々しくお辞儀をして、男性に挨拶をした。


「初めまして。僕はツナグと言います。青いケシの花を貰いに来ました」


 男性は大きく目を見開き、じっとツナグを見つめた。ツナグも彼を見つめ返す。


「これは失礼。私は、山崎やまさき さとると申します。貴方の話は、私の祖先から聞いていました。まさか、お会いする日が来ようとは……」


 悟は、感慨深そうに話しかけた。


「山崎……? ひょっとして、君の祖先に林太郎りんたろうという者はいなかったかい?」

「そうです! 林太郎です! 当時は、祖先の林太郎が大変お世話になりました」


 悟は、深々と頭を下げる。二人の様子を、叶奈はぼんやりと眺めていた。


「まさか、林太郎の子孫に出会えるとは……。言われてみれば、目元が彼によく似ている。優しい目元だ」


 ツナグは、懐かしそうに目を細めた。


「僕は、林太郎にとても良くしてもらったんだ。本当に感謝している。彼のおかげで、今僕はここにいる。彼に貰った『ツナグ』という名前は、今でも大切な贈り物として使わせてもらっているよ。本当にありがとう」


 ツナグはそう言って、にっこり笑った。


「こちらこそ。林太郎は大往生だったそうです。私は当時生まれておりませんで、伝え聞いている限りでしかお伝え出来ませんが……。ただ、代々、貴方と出会った時は、林太郎の最後の言葉と様子と感謝を伝えるよう聞いております」


 悟はそう言うと、林太郎の晩年の様子と最後の言葉を伝えた。


「林太郎は、よくツナグ様のことを話していたそうです。貴方に会えた時は、『あの時は、ありがとう。また会いに行くよ』と林太郎が言っていたと伝えるように伝え聞いておりました」

「そうなのか……。ありがとう……」


 ツナグは、涙を零しながらにっこり笑った。


「おっと、いけない。僕は、青いケシの花を貰いに来たんだ。悟、あの外に生えている青いケシの花を一輪僕に分けてくれないか? ここの人間には、もう伝わっているはずなんだ」

「もちろん、ご用意しておりますよ。少しお待ちください」


 そう言うと、悟は席を外した。残された叶奈達は、無言で待っていた。


「お待たせ致しました」


 一分も経たないうちに、悟は戻って来た。彼は、植木鉢を抱えていた。


「さあ、どうぞ。こちらが、貴方の分の花です」


 悟は、そっと植木鉢を差し出す。ツナグは植木鉢を受け取ると、嬉しそうに目を細めた。


「そうだ。持ち運びにはこれを使ってください。きっと、楽に運べるはずです」


 悟は、背負うタイプの籠を手渡す。


「山崎の人間は、代々優しい人間が多いね。君達のことは、決して忘れない。本当にありがとう」


 悟は、優しく微笑みながら頷いた。


「どうか、お元気で」

「悟、君もね。心優しき山崎の人間に、幸多からんことを」


 青いケシの花が入った籠を背負って、ツナグは外へ向かう。叶奈は、無言で会釈をしてツナグの後を追おうとした。


「お嬢さん」


 悟が、叶奈に声をかける。


「なんですか?」


 叶奈は、咄嗟に足を止めた。


「彼をここまで連れてきてくれて、ありがとう。貴方のおかげで、私は代々伝わる役目を全うすることができた。そして、林太郎の言葉を、親族を代表して伝えることが出来た。本当にありがとう」


 叶奈は咄嗟に手を振って、謙遜する。


「そんな! ただのなりゆきですから……」

「成り行きでも、貴方がここに一緒に来てくれたおかげだ。本当にありがとう。これも何かの縁だ。また来る時は、お茶でも出そう。それから、体に気を付けて」

「ありがとうございます。山崎さんも、どうぞご自愛ください」

「ありがとう」


 互いににっこり笑うと、叶奈はツナグを追いかけて行った。悟は穏やかな笑顔を浮かべながら、一人と一匹の後ろ姿を眺めていた。

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