第156話 お風呂 乱入 おもてなし

 宰相が討たれ、サイサリアは復興への第一歩を踏み出した。反乱軍は一部を王都周辺の防衛に残して解散、国境に近い領土の者たちから順次戻っていくことになっている。当面は戦後復興が第一だけれど、内乱で弱体化したサイサリアの国土を隣国が狙わないとも限らないからね。

 最低限の防衛戦力の回復と復興のバランスをどうするのか。

 経済をどう回すのか。

 外交は?

 ミローネ王女を中心にした新政府は連日議論を続けているらしい。

 ミローネ王女とライラックさん、二人の疲労がどれほど溜まっているのか想像に難くない。疲れを取りたいと思ってるだろう。

「……だからといって、入浴しにいらっしゃいますか?」

「いいではないですか、ここは気を遣わずにいられてリラックスできるのですよ」

「城の入浴施設は修繕中ですからね。マイには我儘を言いますが」

 【マイホーム】内の浴場でミローネ王女とライラックさんが羽を伸ばしている。ライラックさんの口調が余所行きなのは、フリーデ王女として来ているからだ。

 いやー、最初城に呼び出された時はなんだと思ったけれど、まさか王女様直々に「お風呂に入れてほしい」なんてお願いされるとは思わなかったよ。ミローネ様には【マイホーム】の使用回数が最後だと伝えたはずなんだけど、どうやらライラックさんが口を滑らせたらしい。顔を合わせるなり謝罪された。

 【マイホーム】が設置してあるのはおそれ多くもミローネ様の私室だ。人払いしてあるので誰もいないけれど、いつ火急の用件で呼ばれるかわからないので【マイホーム】の扉は開けてある。

 最初はミローネ様とライラックさんだけで楽しんでもらおうと思ったんだけど、一緒に入浴して構わないと言われたので全員で入浴中だ。クロは気にしていないけれど、ヨナはガチガチに緊張している。前回とは状況が違うしね。

 ヨナとクロの髪をわしゃわしゃ洗っていると、湯船に浸かっているミローネ様がこっちを見てふんわりと微笑んでいた。

「どうかしましたか?」

「いいえ、姉妹のようだな、と思いまして」

「家族ですから」

 お決まりの返事を返す。奴隷とか使い魔とか、元日本人にはピンとこない。だから家族として扱う。

「孤児院にいた時、生まれも育ちもバラバラな子供たちと一緒でしたけど、生まれも育ちも関係なく一緒に過ごせば家族じゃないですか? 私はそれでいいと思ってます」

 日本で施設にいた時もそうだった。一緒に過ごせば家族だ。

 私の言葉にミローネ様は目をしばたたかせた後、隣のライラックさんと顔を見合わせて笑った。

「一緒に過ごせば家族、ですか。確かに」

 ライラックさんは困ったように笑っただけだった。

「さあ、マイ様。今度は私が洗う番ですから」

 ヨナの髪を洗い流すと、なにやら張り切ってヨナが背後に回る。そして楽しそうに私の髪を洗い始めると、ミローネ様が悪戯っぽく笑った。

「あらあら、私の髪はそんなに楽しそうに洗ってくれなかったわね」

「お、おおおそれ多くも王女様の髪を洗うなど緊張してしまってっ!」

 王女だけあってか、ミローネ様は一人で身体を洗ったこともなかったようだ。前回のミローネ様は、疲労からヨナに洗われるままになっていたようなんだけど、今回は色々とヨナをからかったりして慌てさせていた。そりゃ緊張するよね。

『ミローネ様、起きていらっしゃいますでしょうか』

 と、浴場内に扉をノックする音、続いて聞こえてきた声は侍女のようだ。ミローネ様の私室に待機してもらっているシルフが音を中継してくれているのだけれど、どうやらミローネ様に用事があるようだ。

「どうしました?」

『はい、北に向かった者から緊急の報せが。大臣たちにも伝令が走っております』

「わかりました、すぐに行きます」

 シルフのお陰で浴場からでも声が届く。侍女を下がらせたミローネ様は湯船から出る。ヨナが急いで脱衣所からバスタオル持ってきて渡し、自分もバスタオルを巻く。ミローネ様は一人でドレスが着れないから手伝うんだろう。

 ライラックさんも追うように立ちあがるけれど、それをミローネ様が制した。

「あなたは貧血が回復していないでしょう? 体調が万全になるまでは無理はさせないと各部署に伝えてありますから、今日のところは大人しくしてなさい。……お別れの時間は必要でしょう」

 そう告げてヨナと一緒に浴場を出ていく。その背を見送るライラックさんは、なんとも複雑な顔をしていた。

「……まいったなあ」

「ライラックさん?」

「マイちゃんは……リトーリアに戻るのよね?」

「そのつもりです」

「……寂しくなるわね」

 呟くライラックさんは私の方を見なかった。なんと返答していいか言葉に迷う。

「なーんて、しんみりしてちゃダメね。こっちの都合に付き合わせちゃったんだし、ようやくマイちゃんの日常が戻るんだものね、笑って送り出さないと」

 バシャバシャと乱暴に顔を洗って、拭きもせずにライラックさんは笑顔を向けた。

「……本当にありがとうね。マイちゃんがいなかったらもっと苦労してたと思う。ヨナちゃん、早く奴隷から解放してあげてね」

「ライラックさんも……その、フリーデ様として頑張ってください」

 もっと気の利いた返しはなかったのか自分。ほら、ライラックさんも苦笑してるじゃないか。

「フリーデ様として、か。本当、そうだよね、ミローネ様も言ってた」

「え? 言ってた?」

「あはは。……実は別人だって、すぐにバレたの」

「はあっ!? いつですか?」

「救出されたミローネ様が反乱軍の隠れ家に到着して、二人きりで会った時ね。あなたは誰? が第一声で冷汗が出たわ」

 うっわー、反乱軍の誰もがフリーデ様だと信じて疑わないのに、初見で別人と見破るとか恐ろしい人。……いや、それだけ妹姫を大切にしてたってことなんだろうか。腹違いでも仲は良かったってリリロッテさんも言ってたしな。姉妹でしかわからない、なにかがあったのかもしれない。

「正直に答えるしかなかったのだけれど……あの時の沈黙は思い返しても胃が痛むわ。でも、しばらくしてから、これからはあなたがフリーデになりなさい、と言われてね」

「そうですか……」

「とはいえ、しばらくは気まずくてね」

 あー、思い返してみれば、ミローネ様とライラックさんが和やかに談笑しているシーンは無かった気がする。もちろん、内乱中なので気は抜けないけれど、それでも穏やかな時間がなかったわけじゃない。気が重かっただろうな、二人とも。

「でも、さっきの笑顔は随分と自然だったように見えますが」

「それは多分、マイちゃんのお陰かしら」

「私?」

「さっき言ったでしょ、一緒に過ごせば家族だって。亡くなったフリーデ様は戻ってはこないけれど……うん、これからミローネ様と家族になればいいんだって、そう思ったわ。きっと、ミローネ様もね」

 照れくさそうに微笑むライラックさん。さきほどのミローネ様の笑顔を思い出し、多分、ふたりは大丈夫だと思った。


『────』


 ……ん?

「マイちゃん、どうかした?」

「いえ、なにか声が聞えたような……。クロ、聞こえた?」

『なにも聞こえないニャー』

 キョロキョロと浴場を見回す。誰かが隠れられるような場所もないし、そこまで広くもない。まあ、一般家庭の浴室よりは広いだろうけど、銭湯ほどじゃない。

 ミローネ様とヨナは着替えのために私室に戻っているはずだ。となると、あれは────。


『……マイさん、私を呼んでください』


「……アンシャルさん?」

 今度はハッキリと聞こえた。アンシャルさんの声が頭の中に。ってことは魔法か?

 と、目の前に小さな光球が現れた。で、気づいた次の瞬間には爆発的に光が広がり、浴場を満たした。って、眩しい、なにも見えないじゃん。これが聖光だったら死んでるわっ。いや、下手したら閃光弾みたいに気絶するぞこれ!

 幸いにも光はすぐに収まり、光球が出現したところには────。

「マイさん、応えていただきありがとうございます」

「……アンシャルさん?」

 白の神官服をまとったアンシャルさんがいた。なんだ、テレポートか? というか、私が応えた? ひょっとしてさっきの呼びかけに応じたって意味!?

「ところで、ここは一体どこで……」

 混乱している間にアンシャルさんは周囲を見回す。そして湯船の中で呆然としているライラックさんを認めた。うん、認めちゃった。

「え……、フリーデ様? え、ええっ!? ここはもしかして城の浴場? でも、どうしてマイさんがここに……って、そうじゃなくてっ。も、ももも申し訳ありません、決して悪意があったわけではなくっっ!」

 慌てて膝を折って頭を下げるアンシャルさん。あ、土足だ。外からテレポートしてきたのかあ。しかしマズイな、こんな形で乗り込まれるとは思わなかったから【マイホーム】について誤魔化しようがないぞ。

『マイ、精霊樹についてなのだが……』

 そこに扉を開けてドリアードが入ってきた。いや、ドリアードだけじゃない、サラマンダー以外の精霊がぞろぞろと入ってきて、跪くアンシャルさんを見て首を傾げた。扉の開く音に顔を上げたアンシャルさんも、精霊たちを認識して固まった。

「……これはもう、誤魔化せないわね」

「ソウデスネー」

 こうなったらしょうがない。誤魔化せないならアンシャルさんに口外しないようにお願いするしかないっ。

『みんな、お客さんだよ。……もてなしてあげて』

 その言葉に精霊たちが楽しそうに微笑み、アンシャルさんは顔を青くした。

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