第115話 ひと泡噴かせるために

 ゲハールがちょびっと株を上げたけれど、今までが今までだったのでゼロになったかどうかってところかな。

 ナンチェは自分が処罰されないことに驚いていたけれど、特に喜ぶ様子はなかった。フリーデ王女に報告がいけば処分は間違いないと思っているのか、すべてを諦めたような顔をして大人しくしている。ヨナが気にしていたけれど、根拠のない慰めは逆効果だろうから、そっとしておくように言っておいた。

 さて、その後は奴隷商人の尋問が始まった。まあ、【魅了】されているので、訊かれたことには素直に応じたので無駄な時間はかからなかったけれどね。で、わかったことがいくつかある。

 まず、奴隷商人はやはり宰相と繋がっていたということ。それも政変が起きる前からだ。手段は問わないので、片っ端から人を集めてくるように命じられていたそうだ。奴隷の何人かはナンチェのようにスパイとして売られたようだけど、健康な少女は宰相が買い取り、他の者は北方の砦に送られたというのがどうにも不気味だ。宰相の目的は当然だけど奴隷商人は知らず、言われるままに人を集めていただけのようだ。

 その奴隷商人、服従蟲の存在自体を知らなかった。リーナさんは黒獣騎士団から譲渡されたもので、仲間が奪い返しにくるなら逃がしてもよいと命じられていたそうだ。

 あー、黒獣騎士団の罠にはまった件といい、よほど宰相にとって紅い風は目障りな存在だったんだろうなあ。リーナさんの行動と発言からして、彼女は紅い風のリーダーを殺すためのトラップにつかわれたわけだ。胸クソだわ。

 そして最後に、とても重要な情報が手に入った。なんとこの奴隷商人、サイサリアとリトーリアを行き来しながら奴隷を集めていたというのだ。

 国境が閉鎖されているのにどうやって、と不思議に思ったけれど、なんと国境の大河は一日の決まった時間に水位が下がり、特定の場所は徒歩でなら渡ることができるのだそうだ。そんな隠しルートがあったなんて……。

 どうやら違法奴隷商人の間では知られた話らしく、昔からそこを利用して国境を越えていたのだという。難点があるとすれば狭い地下通路を通らなければならないため、馬車を両国に用意しておかなければならないことらしい。地下通路の入り口を聞き出しておいたので、あとで潰さないといけないだろう。

「……いや、逆に利用させてもらうのもアリか」

「マイ様?」

 寝具を整えていたヨナが不思議そうに首を傾げる。

「ヨナ、ちょっと寝るのは待って。誰かが来ても部屋に入れないように」

「あ、はい。わかりました」

 奴隷商人から情報を聞き出した後は、さすがに夜も更けたので就寝することになった。なにか行動を起こすにも明日になってから。いや、もう今日かもしれないんだけどね。

 私は【マイホーム】を設置すると、自室に戻って紙とペンを用意する。そして考えをまとめながら、用件をしたためていく。

 手紙を書き終えて別荘の一室に戻ると、【索敵】に別荘から出ていく反応が一つ。窓から外を見れば、暗闇の中を頼りない足取りでふらふらを進んでいくキースが見えた。

「ヨナ、先に寝てて」

「いえ、そういうわけには」

「夜更かしは肌に悪いよ」

「マイ様こそ」

 まあ、そうなるよね。しかたないのでヨナを連れてキースを追った。

 キースは別荘の庭の片隅────リーナさんを埋葬した場所────に座り込み、なにをするでもなく夜風に吹かれていた。その背中がとても小さく見えた。

「風邪ひきますよ」

「……ああ……お前か」

 キースは振り返ることもしなかった。言葉には力が無く、リーナさんの死に彼がどれだけ打ちのめされているのかを物語っていた。

「……あの奴隷商人はどうした」

「拘束してますよ。まだ使い道があるそうなので」

 他の違法奴隷商人を捕まえる時に利用するとかできるし、奴の持つ情報はまだまだ利用できそうなので。いずれ【魅了】は解けるだろうけど、またかければいいだけだ。まあ、利用価値の有無はキースには関係ないんだろうけど。

「生きてやがるのか」

 怨嗟の声は背筋が凍りそうだ。ヨナが震えてしがみついてきたくらいだ。

 ゆらりと立ち上がったキースを止める。

「奴隷商人は服従蟲のことを知らなかったですよ」

「服従蟲か、話は仲間から聞いた。だからって、あの奴隷商人が許される理由にはならないよな」

「トカゲの尻尾を切って満足しても、しょうがないとは思いません?」

 問いかけにキースは初めてこちらを見た。月明かりが頼りない夜空の下でも、夜目の利く自分はハッキリと見える。たった数時間でひどくやつれ、ゾッとするほど昏い、だけどギラギラと輝く目をしていた。ヨナが怯えるくらいに。

「……俺になにをしろと?」

「奴隷商人に指示を出していたのは宰相ですよ。服従蟲も宰相が関わっているのは間違いないです。どうせひと泡噴かせるなら大物がいいと思いません?」

 露骨に宰相にヘイトを誘導しようとすると、キースは乾いた笑いをこぼした。

「まさか王女様に従えとか言う気か?」

「キースが兵士に向いてるとは思えませんが」

「チビが、言いやがる」

 面白くなさそうな口調とは裏腹に、キースは少しだけ持ち直したような気がする。

「俺になにをさせたいんだ?」

 そう問われて、さきほど書いた手紙を取り出す。

「奴隷商人の証言から、リトーリアとの国境を越える方法がわかりました。なのでこの手紙を、ケイモンという町のハンターズ・ギルドの、リモという女性職員に届けてください。マイからだって言えば大丈夫です」

「それで、俺が宰相にひと泡噴かせられるのか?」

「おそらくは」

 リトーリアには、ライラックさんがサイサリアに乗り込む際に同行する約束をしたハンターたちがいる。具体的に何人いるか、また、今も都合がつくかはわからないけれど、それでも相当数がいるはずだ。彼らを連れてサイサリアにこっそりと戻れば、反乱軍に意識をとられている宰相が嫌がるタイミングで攻め込むことだってできるはずだ。多分。

 そう説明する。

「お前、そこは、絶対できるって言えよ」

「キース次第ですね」

「このやろう……」

 お、少し調子が戻ってきたか。もうひと押しだな。振り返り、庭木のあたりに声をかける。

「みなさんはやってくれますか?」

「なんだ、気づかれてたの」

「だから静かにしろって言っただろう」

 暗闇からぞろぞろと現れたのは紅い風の面々。いや、まあ、十分に静かでしたけどね、【索敵】でバッチリわかってましたとも。

 彼らを見たキースはなんともまりが悪い顔をしていた。ひょっとして、誰にも気づかれずに抜け出したつもりだったのかな。残念でした。

 一歩踏み出し、口を開いたのは猫耳さん。

「キース、やりましょう。私たちだけでは黒の騎士団には対抗できないわ。リーナの命を奪った奴らにひと泡噴かせられる手段があるなら、やるべきよ」

「そうだぜ、キース。この際、隣国のハンターだろうがなんだろうが、使えるものは使おうぜ」

 そうだそうだ、と。紅い風の面々がキースの背中を押す。キースはといえば、しばらく夜空を見上げていたけれど、やがて盛大にため息をついて乱暴に頭を掻いた。

「どいつもこいつも、やる気満々だなあ……」

 面倒くさそうにしながらもキースの目には力が戻っていた。

「ったく、しょうがねえなあ。……いいぜ、そこのチビの提案に乗せられてやろうじゃねえか」

 そう言ってキースが手紙を受け取ると、歓声があがった。

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