第84話 動き出す悪意
かんぱーいっ!
全員の声が重なり、祝杯があげられる。みんな、お疲れ様っ!
夜になって新作料理コンテストも終わり、私たちは『燃える岩』に戻ってきた。外からはまだ楽団の演奏や歓声が聞こえてくるけれど、とりあえず私たちの戦いは終わった。
「いや~っ、町長は見るところは見てるねぇ。惚れちまったぜ」
グビ~ッとエールを飲み干したおじさんが嬉しそうに笑う。他のおじさん達も同意している。
彼らが言っているのは、町長による新作料理コンテストの判定についてだ。
新作料理コンテストは陽の入りの鐘が鳴るまでが制限時間だったのだが、制限時間内に売り切れたのは『月桂樹の冠亭』と『燃える岩』だけだった。売り上げ金額は『月桂樹の冠亭』が上、お客の評価は『燃える岩』が上だった。そのため最終的な判断は町長に委ねられたのだが、町長はしばし黙考してから、優勝は『燃える岩』だと宣言した。
当然ながら『月桂樹の冠亭』は抗議した。興奮するオーナーに対して町長は冷静だった。
「確かに『月桂樹の冠亭』の料理は美味しかった。だが、高価なスパイスを使ったため、かなり金額が高く設定されていた。今後もあの料理を提供するとして、一食いくらにするのかね?」
「そ、それは……」
「肉の仕入れ値も上乗せされれば一食、銅貨十数枚になるだろうね。さて、一食のために銅貨十数枚を払える人はどれくらいいるだろうか」
町長の指摘にオーナーは口をつぐんでしまった。
ケイノは温泉療養地ということもあって人は多いが、大半は町に住んでいる人々だ。温泉に入るためだけに、馬車と時間を使ってここまで来れるお客は金銭的にそれなりに余裕がある人が多いのだが、それでも一般人に毛が生えた程度の人々がほとんど。貴族や豪商といったお金持ちは少数派だ。
『月桂樹の冠亭』のターゲットは自然と富裕層向けになり、ウルカーン料理として広くアピールするのは難しい。これが町長の指摘だった。
「それに引き替え、『燃える岩』のナゲットという料理は、今後販売するにしても銅貨四枚と格安だ。パサつく胸肉が美味しく調理されているし、食べ歩きができる上、ゴミを出さない工夫が素晴らしい。なので私は、優勝は『燃える岩』だと改めて宣言しよう」
町長の二度目の優勝宣言に、広場は熱狂の渦に包まれたのだった。
「はいよ、お待ち」
夕方の騒ぎを思い返していると、ジェフが大皿をテーブルの上に置いた。山盛りになっているのはフライドポテトと数種類のコロッケだ。せっかくなので揚げ物をいくつか教えたのだ。芋は割と豊富だしね、この町。使わない手はない。
「うおっ、芋を油で茹でるだけで、こんなに美味くなるのか」
「こっちのパンの粉で包んだ方も美味いな」
おじさんたちが酒の肴にして猛烈な勢いで食べていく。こらこら、ジェフを祝う席なのに、そんな勢いで食べたらジェフが調理から離れられないだろう。
「かまわねえよ、師匠。料理人は美味しく食べてもらってナンボさ。エイダ、手伝ってくれ」
「はい、兄さん」
二人して調理場に並ぶ。仲のいい兄妹だな。
確保しておいたフライドポテトをヨナと食べていると、隣にライラックさんが腰を下ろした。
「お疲れさま、マイちゃん」
「ライラックさんも、お店の警護お疲れさまでした。なにもなかったですか?」
「そうだね、直接なにかをしようとする者はいなかったけど……通りの向こうから、ずっと店を見ていた者ならいたかな。いや、今もいるね」
声を潜めたライラックの言葉に慌てて【索敵】を使う。……うん、通りを挟んだ向かいの路地辺りに動かない人間の反応があるな。
外の空気を吸うふりをして店の外に出ると、すっと人影が路地に引っ込んだ。だけどそれ以上は動かない。明らかに監視してるなあ。とはいえ、ただそこにいるだけでは、こっちも動けない。相手がなにか行動を起こして、それを防げるのが理想なんだけど、そううまくはいかないだろうな。
「ヨナ、星が綺麗だよ」
それとなくヨナを呼ぶ。隣に並んだヨナに耳打ちする。
「
「……大丈夫です」
とりあえず、路地にいる人物の
なにもなければいいんだけど。
その願いが叶わなかったと知るのは、次の日のことだった。
◆
「くそっ、これであの店が手に入ると思ったのに!」
『月桂樹の冠亭』のオーナーが、店の自室で荒れていた。八つ当たりされた家具類が無残に床に転がるが、人払いされた部屋には誰も近づかない。いや、人払いされていなくても近寄らなかっただろう。『怒れる竜の尾を踏みに行くな』だ。
机の上に置かれた本店からの手紙がオーナーの視界に入る。それがオーナーの焦りに拍車をかけている。
実はオーナーは本店からある密命を受けてケイノに出店した。それは、『燃える岩』の地下に眠るという氷の精霊の奪取だ。魔法を使わず、食材を冷凍保存できる氷の精霊は、料理関係者ならば喉から手が出るほど欲しい存在だ。しかも『燃える岩』の地下の氷の精霊に意思はなく、ずっと眠り続けているという。契約の必要もないのだ。この話を聞いた本店が、すぐさま氷の精霊の奪取に動いたのは当然だった。
最初は経営統合や、本店の傘下に招くなど、比較的平和な接触を行っていた。だが先代店主が頑として首を縦に振らず、結果、オーナーがケイノに派遣されることになった。
先代店主が亡くなり、店が混乱していることにつけ込んだオーナーは『燃える岩』が契約していた牧場主を買収し、早々に経営破綻させようと試みた。だが、店は溶岩焼きという新作メニューを作り上げ、収入を回復させてしまう。ウルカーンの襲撃で『燃える岩』に被害が出た時は再び運が向いてきたと喜んだものだが、結果は『燃える岩』が優勝して賞金を持っていってしまった。店の修復をし、借金を返済してお釣りがくるほどの賞金を。
遅々と進まぬ氷の精霊奪取に本店も痺れを切らしつつある。手紙は結果を出せないオーナーへの最後通告でもあった。
だが、どうすればいいのか。本店の名に傷をつけないためにも、強引な方法で氷の精霊を奪うことなどできない。理想は他人に罪をかぶってもらうことだが。
「……いや、待てよ。奴を使うか」
オーナーの脳裏に一人の男の顔が浮かんだ。どこで『月桂樹の冠亭』が氷の精霊を狙っていると知ったのかは不明だが、目的は同じだと協力を願い出てきた人物だ。本人は精霊士を名乗っていたが、どうにも胡散臭い人物ゆえオーナーは無視していた。だがオーナーに残された時間は少ない。背に腹は代えられず、オーナーはその男を呼び出した。
「ようやく私を頼る気になったか。あんたのやり方は遠回しすぎるんだよ」
呼び出された男は露骨にオーナーを見下していた。反射的に怒鳴り返してやりたい衝動を抑え込み、オーナーは問うた。
「まるで貴様なら、もっとスマートにできるとでも言いたそうだな」
「ようは、あの店に客が入らなければいいのだろう? 簡単だ」
「……どうするつもりだ」
オーナーは平静を装ったつもりではいたが、それが虚勢なのは男にはお見通しだった。優越感に浸りながら、男は自分の手段を説明する。話を聞くオーナーの眉間に深い皺が寄っていく。
「確かに店にとっては致命的だが、そんなにうまくいくのか?」
「問題ない。あんたは精霊の力を知らなさすぎる」
「……なにが望みだ」
「なに、大したことじゃない。あんたがあの店を手に入れた暁には、眠っている氷の精霊の力を少しだけ譲ってもらいたいだけだ。無論、冷凍能力に影響がない範囲で、な」
しばし悩んだオーナーだったが、やがて男に任せることに同意した。
「言っておくが、私とお前は無関係だ。会ったことも話したこともない。いいな?」
「構わんさ、私はアンタに忠誠を誓ったわけでもないしな」
男が失敗した場合、オーナーは男を切り捨てるつもりでいる。そしてそれを、男は察している。互いに相手を利用しようとするだけの、危うい協力関係だ。
男が部屋を出て行った後、オーナーは疲れたように呟いた。
「奴が成功した場合と、失敗した場合の対応を考えておかねばならんな。……少しでも精霊の力などくれてやるものか」
また、部屋を後にした男も、人気のない路地裏で呟いていた。
「このタイミングで奴から接触してくるとはな。まあ、そろそろロクスターが放たれるころだし、ちょうどいいか」
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