第54話 小鳥の囀り亭にて

 自分と一体化したシーン・マギーナは、心の中でべば掌からニョッキリと出てくるようになった。

 ……いや、それなら掌からでも一体化できたんじゃないのかい!? ギルドのトイレで恥ずかしい思いをしなくても済んだのにぃっ!

 なにか釈然としないものを感じながら一階に下りてくると、受付のお姉さんに呼び止められた。

「マイちゃん、おめでとうございます。ヨナちゃんと二人、Eランクへのランクアップが決まりましたよ」

 は? いや、あの、ハンター登録してまだ二ヶ月なんですが。

 疑問を口にすると、お姉さんは私を手招きして声を潜めた。

「公にはできませんが、マイちゃんたちが薪を確保してくれたお陰で住民の多くが救われています。加えて先日の、魔の霧事件の解決で活躍されたと報告を受けています。それだけの実績があれば、問題なくランクアップですよ」

「ギルドマスターはなにも言ってませんでしたが」

「驚かせてやれ、と言ってましたよ」

 子供か!

 まあ、ランクが上がるというなら上げておこう。ヨナは後日ということにして、とりあえず私だけEランクとなった。

 ……周囲から視線を感じる。あまりに早い昇進に変な勘繰りをされなければいいんだけど。

「そういえば、ライラックさんが宿泊している宿はどこですか? ギルドマスターに様子を見てきてほしいと言われたんですが」

「ああ、それなら────」

 ご丁寧にお姉さんは地図を描いてくれた。いや、子供じゃないんですけどね。



 ライラックさんが宿泊しているという宿は、北門に近い大通りにあった。『小鳥の囀り亭』という可愛らしい名とは違って、三階建ての立派な宿だった。玄関ですら重厚感がある。一泊いくらなんだろう。

「いらっしゃいませ。ご宿泊でしょうか、それともお食事ですか?」

 中に入ると従業員の女性が素早く声をかけてくる。そこそこの値段の宿だと、フロントと食堂が一緒になっていることが多いんだけど、ここはフロントと食堂は完全に分けられているようだった。うん、やはり高級。町を覆った霧を排除した功績で報酬はたっぷりもらったから泊まれなくはないけれど、なんか肩が凝りそうだなあ。自分、庶民ですから。

「知り合いを訪ねてきたんですけど。ライラックさんっていう━━━━」


 ピキッ。


 笑顔のまま女性のこめかみに青筋が浮いたような気がした。

「確かにライラックはご宿泊ですが、しばらく一人にしてほしいと言っておられました。ですのでお引き取りくださいませ」

 言葉遣いは丁寧だけど有無を言わせない圧力を感じる。目も笑ってないし、なんでこんなに威嚇されなきゃいけないん?

「一応、ギルドマスターから様子を見てくるよう言われて来たんですけど」

 そう言いながら真新しいハンター証を見せても、彼女の頑なな態度に変化はなかった。

「ええ、ええ、そう言って何人もの女性がライラック様の部屋に入ろうとしました。その手は使い古されておりますよ」

「いや、ギルドに問い合わせてくれてもいいんですが。なんならギルドマスターから正式に依頼でも受けてきましょうか?」

「っ……。いえ、それには及びません、私がライラック様に用件を伝えてきましょう。すぐに返事をいただいてきますので、ここでお待ちください」

 さすがにギルドマスター直々の依頼書など用意されては問題が大きくなると思ったのか、一瞬、顔が引きつった彼女は早口でまくしたてると、素早く身を翻した。だけど、階段にたどり着く前に、横から伸びてきた手に襟首をガッチリと掴まれた。彼女を捕まえたのは男装の麗人だった。

「ひえっ! チーフ!」

「話は聞かせてもらいましたよ。どうして貴女は、彼を訪ねてくる女性に対していつも────」

「ご、誤解ですチーフ! わ、私はただ、お客様の手を煩わせることもないと思っ……いやあああっ、お助けぇーっ!」

 チーフと呼ばれた男装の麗人に引きずられて彼女は退場した。……なんだったの?

 あまりの展開に呆然としていると、別の女性従業員が駆け寄ってきて頭を下げた。

「申し訳ありません、お客様。当店のスタッフが失礼を。ライラックさんのお部屋ならば三階の五号室になります。よろしければご案内させていただきます」

 断る理由もないので案内してもらうことにした。

 しかし、さっきの女性はなんだったのか。案内してくれている女性に訊いてみると、苦笑された。

「彼女、ライラックさんに好意を寄せていまして、近寄る女性を追い返そうとするのです。宿屋に押しかけられなくてライラックさんも感謝するものですから、余計に張り切ってしまって……本当に申し訳ありませんでした」

 ライラックさんのイケメンの弊害がこんなところに……。だけど、案内してくれている彼女からは、ライラックさんに対する好意のようなものを感じない。

「貴女もライラックさんを?」

「確かにライラックさんは恰好いいと思いますよ。ですが私は、どちらかといえば……」

 ちらりとこちらを見て微笑む。その視線は異様に熱っぽい。


 ぞわっ。


 あ、ガチの人でしたかー。

 え? お前も同じだろうって? いや、心は男だし、女性を好きで不思議じゃないでしょ。最近は肉体に精神がいくらか引っ張られているような気がするけれど、山賊のせいで男を好きになることはないだろうなあ。

 とりあえずアプローチかけてこないでね? かけられたら断る自信がない。

 なんてことをやっているうちにライラックさんの部屋に着いた。彼女が軽くノックをする。

「ライラックさん、お客様です」

「……客?」

 扉の向こうから聞こえてきた声には力がなかった。活力とかそういうものがスッポリと抜け落ちているような、空虚な声だ。言葉を続けようとした彼女は、ふと気づいてこちらを見た。

「すみません、お客様、お名前は」

「マイです」

「えっ! マイちゃん、そこにいるの? す、少し待ってて!」

 扉の向こうがにわかに慌ただしくなった。金属がぶつかるような音や、走り回る音が聞こえてくる。なんだろう、焦って室内を走り回るライラックさんって想像できない。いつも落ち着いていたイメージだったからねえ。

 従業員さんが小さく笑っている。

「ライラックさんでも、こんなに慌てられるんですね」

「私も意外です」

「……訪問者が貴女だから?」

「それはないと思いますけどねえ」

「ですが、一人になりたいとおっしゃっていたのは事実なのですよ」

 そう言われると不安が頭をもたげる。一人になりたいはずのライラックさんが私は部屋に入れてくれるとか、そこまで自分は、ライラックさんの心に入り込んでしまったんだろうか?

 わからない。かといって本人に尋ねていいものか。

 ガチャリと鍵の開く音がして、わずかに扉が開いた。短パンに、なぜかチョッキのようなソフトレザー鎧を身につけたライラックさんが顔を出す。胸甲の下に着ていた物なんだろうけど、部屋着にするには無理があるような……。

「ごめん、少し散らかっているけど、入って」

「お邪魔します」

「それでは、私はこれで」

 従業員さんが一礼して踵を返す……前に、実にさりげなく私の頬を軽く撫でた。

「ふぁっ!?」

「次はぜひ、宿泊にいらしてくださいね」

 ニコリと微笑みながら彼女は戻っていく。だけどあの微笑みは間違いなく、肉食獣のそれだった。うわあ、ガチの人にロックオンされたっ!?

 逃げるようにライラックさんの部屋に。

 広っ! それが最初の感想。ベッド、チェスト、テーブルに椅子。どれも一般的な宿の物より大きいのに部屋にはまだ余裕がある。部屋の片隅には武具の手入れ道具が押しやられている。武具の手入れ中だったのかな?

「今日はどうしたの?」

「ここ最近、顔を見ていないので。ギルドマスターも様子を見てきてくれと」

 勧められるままに椅子に腰かけ、訪問の理由を説明すると、ライラックさんは「心配かけちゃったね」と苦笑した。だけど、いくらか自虐的な笑みに見えたのは気のせいだろうか。

 そんな疑問が顔に出ていたんだろうか。ベッドに腰掛けたライラックさんは私の視線に気づくと、少し視線を迷わせて話を変えてきた。

「そういえばヨナちゃんは?」

「……女の子なので」

「……ああ。なるほどね」

 通じた。通じるんだ、あれだけで。

 あー、やっぱりなあ。まあ、指摘するのもヤボなので黙っておくけど、気になるなあ。

 なんとなく気まずくなって、今度はこちらが視線をさまよわせる。ふと、手入れ道具の中に見知った剣を見つけた。

「あれっ……、あの剣」

「ああ。あの時のメンバーが、先に撤退する際に持ち出してくれたんだ。……形見に、って」

 ライラックさんが狂戦士の呪いによって殺めてしまった女性剣士。彼女の所持していた魔剣が、綺麗に手入れされていた。

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