幼き日の幻想

 記憶というのは不思議なもので、ふとした切っ掛けでそれまで忘れ去っていたものが、脳裏に鮮やかによみがえることがある。例えば視覚によって、あるいは嗅覚によって、あらゆる物事は関連付けられ、思い出される時を待っている。

 会社からの帰途、私は満員電車に揺られていた。手前にはまだ二十歳を過ぎたばかりだろうか、大学生と思しき女性がホラーマンガを広げていた。戦々恐々たる画像を広げる彼女に、周囲からはうんざりするような視線が向けられていたが、彼女がそれに頓着する様子はなかった。

 ただ、私が気になっていたのは、彼女が耳につけている水晶髑髏のイヤリングだった。西日がそれを怪しく照らした時、私の脳裏に、子どもの時に見た情景が唐突に浮かび上がった。

────確か、自宅を出て、オンボロ長屋に続く通りを歩き、二つ目の路地を入ったところだったはずだ。そこで、小さな雑貨屋が営まれていた。外から見ると、ガラス越しに外を睨め付けるエイリアンのフィギュアが目に入る。ガラスはホコリと泥に彩られ、店内をのぞき込むことはできなかった。

 そのような店に周囲の子どもたちの誰が入るだろうか。その雑貨屋は、一種のお化け屋敷のような存在として、私の小学校では認知されていた。霊を信じない者でも、墓場の前では畏れや恐れを抱く。雑貨屋に対する扱いは、まるで墓場へのそれに似ていた。

 だが、そんな店に一度だけ入ったことがある。

 当時、私の学校では、時分に漏れずヨーヨーが大流行していた。バカ高かった正規品を買うには小遣いはあまりに僅少であり、私は中国製のバッタモンで心を慰めようと決意した。そして、それは、怪しげな雑貨屋にしか売っていないと思われた。

 ある日の夕方、私は、恐ろしい顔で牙をむくエイリアンのフィギュアを努めて見ないようにしながら、その雑貨屋のドアを開けた。少し触っただけだったが、手には分厚くホコリと泥が付いた。

 中に入ると、ホコリ臭さは一層増した。部屋の中は暗く、入り組んだ棚はもとから狭い店をさらに狭く感じさせた。

 棚を見上げると、大きなビンが置いてあった。自宅で母が漬ける梅酒のビンのようにも見えたが、目を凝らすとそれは学校の理科室にあるものに似ていた。

────ホルマリン漬けだ。

 一体、何を入れているのか。のぞき込もうと身を乗り出した瞬間、「いらっしゃい。坊や、一人かい?」唐突に声がかかり、文字通り私は飛び上がった。

 振り返ったそこには、一人の老人が立っていた。好々爺然とした顔だが、暗い部屋のせいで奇妙な陰影がかかり、彼岸の住民のような印象を受けた。

 私は、なぜか無性に恐ろしくなって店を飛び出した。自宅に戻っても何か言いようのない不安は、私を苛み続けた。布団をかぶり、ガタガタ震え、それでも眠れず、数年ぶりに両親の布団にもぐりこんだ。

 その数日後だが、自宅近くの河原で小学生の死体が発見されたというニュースが流れた。河原にホルマリン漬けのビンが晒される幻想を、私は見た。   (了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る