さくら 7話

         


 きさらさんのぬいぐるみのお店、クマ屋の前に空き地があります。そこに一本の大きなさくらの木がありました。毎年春になると、たくさんの花が折り重なって咲きほこります。それはまるで、空までピンクに染まってしまうような美しさでした。

 今年もさくらの季節がやってきました。

 きさらさんは、毎日出窓から外を見て、どんどんピンクがおおくなっていくようすを、うきうきした気分で見ていました。

「きさらさん、たいへんです。人が、人がたおれていますよ」

 出窓にちょこんと座っていたミューミューが叫びました。

「人がたおれているですって? 私がさっき見た時はだれもいなかったわよ」

 朝ご飯の用意をしていたきさらさんは、おどろいて窓の外をのぞきました。

 ぬいぐるみのクマ子さんとレオンもいっしょに窓をのぞきこんでいます。

「あ、ほんとだ。人がたおれてる」

 クマ子さんとレオンが同時にいいました。

 お店の前にある小さな花壇の上に、白髪の女の人がたおれていました。

「あら、たいへん」

 きさらさんは急いでお店を飛び出しました。

「どうしたんですか?」

 きさらさんは女の人を抱き起こしました。

 抱き起こすと、その人はうっすらと目を開けました。

「おなかが・・・・・・、おなかが・・・・・・」

 か細い声をだしました。

「おなかが痛いのですか?」

「そうじゃなくって・・・・・・」

「そうじゃなくって?」

「おなかが、すいた顛・・・・・・」

 そういうと、もう気力をみんな使いはたしたというようにがくっと頭をおとしました。

「おなかがすいているだけなのね」

 きさらさんは、病気じゃないんだとちょっと安心しました。

「しっかりしてください。立てますか?」

 女の人は、もう一度薄目を開けてうんうんとうなずきました。しかし、立とうとしても、すぐにぐにゃぐにゃとしゃがみ込んでしまいます。きさらさんはしかたがないと「ほら、私の背中にのって」といって、おんぶしてあげました。

 お店の中のイスに座らせようとしても、その人はすぐにおちてしまいそうになります。

「ああ、しかたがないわね」

 きさらさんは、床に座らせて小さなテーブルを前に置きました。

「こんなものしかないですけど、召し上がりますか?」

 きさらさんは、朝ご飯に用意していたパンとミルクをテーブルの上に置きました。

「まあ、美味しそう」

 女の人は、むしゃぶりつくようにパンを食べ、ミルクを飲みました。

 あまりにもらんぼうな食べ方に、おこぼれがほしいなと近づいてきたミューミューも、ビックリして女の人を見上げたままでした。

「ああ、ありがとう。ごちそうさま」

 すっかり食べ終わった女の人はにっこり、きさらさんにわらいかけました。

 笑顔は明るくさわやかでした。見た目よりも若いのかもしれないと、きさらさんは思いました。ぼさぼさの白髪で疲れた顔だったのでおばあさんのようにも見えたのですが、きっときさらさんと変わらないぐらいの年なのでしょう。

「いいえ、どういたしまして。少しは元気が出ましたか?」

「ええ、おかげさまで」

 そういって、女の人はちょっと背中を伸ばしました。

「そんなところに座ってないで、どうぞこちらにお座りください」

「ありがとう」

 今度はゆっくり立ち上がり、イスに座りました。そして、きさらさんのお店をみまわしました。

「あら、クマのぬいぐるみがいっぱいだわ。あなたは、おもちゃ屋さんをしてるの?」

「ええ、正確にはクマのぬいぐるみだけを置いているお店なんですよ」

「クマが好きなのね?」

「はい。好きです」

 きさらさんはうれしそうにこたえました。

 女の人は、次々クマを見ていき、眼鏡をかけたクマ、クマ子さんに目をとめました。

「あら、眼鏡をかけてる」

「そう、私といっしょでちょっと老眼なのよ」

「まあ、おもしろい」

「こっちは、さくら色のクマだわ」

 ピンクのクマ、レオンです。

「そうです。ちょっと気が弱いの」

「ステキだわ。一体一体、みんなお話があるのね」

「まあね」

 きさらさんは、お話があるという言葉が、クマたちをどこにでもいるクマじゃないのねといわれたようで、とてもうれしいと思いました。

「さくら色のクマ、いいわねぇ」

 女の人は、とけてしまいそうなほどやさしい目でレオンを見ました。

 クマ子さんとレオンはいつものように普通のぬいぐるみですよという顔をしてじっと座っています。

「あら、ネコちゃんもいる。ネコも好きなのね」

 近づいてきたミューミューの頭をなぜました。

「ええ」

「いいわね。好きなものに囲まれて生活ができるなんて」

「はい」

 きさらさんは、ほんとうにそうだと思いました。

「私は、さくらが好きでね」

「はあ・・・・・・」

「もう、何日食べていないか、わからないわ」

「は?」

 きさらさんは、さくらとおなかがすくのとどういう関係なんだろうと頭をひねりました。ミューミューも不思議そうにしています。

「さくらがさくとね、私、もう夢中になって何がなんだかわからなくなるんです」

「そうですか」

「家を出る時は、毎年のことだから、少しはお金も持って出たんですけどね」

 女の人は、にっこりわらいました。

「次々にさくらがさくでしょ。どこそこにとてもきれいなさくらがさいているといううわさを聞くとその場所にとんで行くの。さいているさくらをおいかけて、場所をどんど移動してどこをどう旅をしているかわからなくなって・・・・・・」

「はい・・・・・・」

「ここは、どこですか?」

「熊山市です」

「熊山市? まあ、そんなに遠くへ来てしまったんですね」

 女の人は、まん丸な目を見開きました。

「どこからいらっしゃったのですか?」

「みなみ島からです」

「そんなに遠くから?」

「そう」

「カバンも何も持たずに?」

「あら、荷物はどうしてしまったのかしら?」

 女の人は、自分の回りをきょろきょろ探しました。

「あなた、見ませんでした?」

「知りませよ」

 きさらさんは、私はかくしていませんよというように頭をブルブルふりました。

「そうですよね。助けてもらって、荷物を盗んだでしょう、はないわね。うたがってごめんなさい。どこかで、なくしたみたいね」

「なくしたって・・・・・・、ここまでどうして来たのですか?」

「おぼえていませんわ。きっと、さくらが私を呼んだのだと思います。それで、私は歩いてふらふらと・・・・・・」

「ああ、そうですか。それで、これから、どうするつもりですか?」

「そこの窓の外に見えるさくらがとてもきれいだから、少しここにいさせてもらうわけにはいかないかしら?」

 女の人そういって、出窓の方に近づいて行きました。

「きれいだわ・・・・・・」

 きさらさんの家の前の大きなさくらの木を見つめてひとり言のようにささやきました。

「ええ、たしかにそのさくらはきれいです。でも、あなたは帰らなくてもいいのですか?」

「ここにいちゃ、だめですか?」

「だめとはいいませんが、あなたのお家の人が心配されるでしょう?」

「家には、だれもおりません」

「でも、私は、あなたのこと、よく知りませんし・・・・・・」

 きさらさんは、知らない人を自分の家に泊めるのは少し気味が悪いと思いました。

「私は、あなたのこと、よく知っていますよ」

「は?」

 きさらさんは目をパチパチさせました。

「クマのぬいぐるみのお店屋さんで、好きなものといっしょに暮らしていらっしゃる」

 女の人は肩をすくめてわらいました。

「それは、今、私がいったことじゃないですか」

「あなたは、いい人です」

「そんなことじゃなくって・・・・・・…」

「あのさくらがちると必ず帰りますから、それまで、ちょっとここにいさせてください。お願いします」

「でも」

「家の中をうろうろなんてしません。ここにずっといますから。あ、私のことが心配でしたら何でもお話します。私の名前は下田桜子といいます」

「名前まで桜子さん。ほんとにさくらが好きなんですね?」

「ええ、とっても」

「それで、さくらの季節になるとさくらをおいかけたくなるということなんですよね?」

「はい」

「さくらをおいかけていない時、家では何をしていらっしゃるの?」

「さくらの絵を描いています」

 まじめな顔をして桜子さんはこたえました。

「画家さんなの?」

「まあ、・・・・・・。売れませんけどね」

「あなたも、好きなものに囲まれていきていらっしゃるのね」

「まあね」

「ご家族は?」

「もう、母も父も死にました。結婚もしていません。こういうのを、天涯孤独っていうんでしょうね」

 桜子さんは、さみしそうにほほえみました。

 きさらさんは、そのほほえみがとてもきれいだと思いました。うそをついたりだましたりする人ではないと感じました。さくらにみとれて、だれかに持ち物を盗まれてしまったというのもわかるような気がします。

「わかりました。私も一人だから、しばらくはここにいてください。でも、さくらがちるまでですよ」

「いいんですか、うれしい。ここのさくらを胸の中にしまって帰って、また絵が描けると思います」

 次の日から、桜子さんは、朝から夕方までずっとさくらの木の下でさくらを見上げていました。夜になるとクマ屋の出窓にへばりついてさくらを見つめていました。

 そして、どうしてか、出窓にピンクのクマのレオンもいっしょに座っていました。

 最初は、きさらさんも気にはしてなかったのですが、桜子さんとレオンが一晩中頭をつけるようにして窓の外のさくらを見ている後ろ姿があまりにも仲良く見えて、気持ちがざわざわするようになりました。ふたりのシルエットが絵のようで、ふたりで消えてしまうような気持ちになりました。夢の中へ入ってしまってもおかしくないという気がしたのです。

 三日がたち、さくらの花はちってしまいました。

「そろそろ帰ります」

 桜子さんがいいました。

「そうですか。じゃ、お元気でね」

 きさらさんは、これでいつものクマ屋に戻れるとホッとしました。

「それで、いいにくいことなのですが、帰りの電車賃を貸してもらえないでしょうか? もちろん、家にかえたっらお返しします」

「いいですよ」

「ああ、よかった。それに、もう一つ、お願いがあります」

「なんですか?」

「クマを売ってもらいたいのです」

「いですよ。どの子がお気に入りですか」

「うれしい。このピンクのクマです」

 女の人はレオンを抱き上げました。

「あ、ごめんなさい。そのクマは、売り物じゃないの」

「でも、・・・・・・」

「売り物じゃないんです。他のにしてください」

「どうして?」

 きさらさんは、レオンの気持ちがあるからとこたえたかったのですが、それは普通の大人の人にはわかってもらえないとことだと思って「それは、えっと・・・・・・。あの、その・・・・・・」と口ごもってしまいました。

「ほかのクマじゃ、ダメです」

 桜子さんが部屋の中のクマたちをながめまわしてキッパリいいました。

 その時、きさらさんは、毎夜頭をくっつけるようにしてさくらを見ていたふたりの姿を、思い浮かべました。

「ひょっとして、あなた、そのクマと話ができると思ってらっしゃるんじゃない?」

 きさらさんは、桜子さんが自分とおなじようにレオンと話をしているんじゃないかとうたがいました。

「話ですか?」

 桜子さんは不思議そうな顔をしました。普通の大人の反応でした。

「まあ、私がいくらロマンティックな性格だといってもそれはないですわ」

「でも、さくらとはお話できるんじゃないですか?」

「あ、そういえばそうね。今までそういうふうには考えなかったけど。そうねぇ、ええ、たしかに。私はいつもさくらとおしゃべりしているような気がするわ」

 桜子さんはにっこりわらいました。

「でも、私にはぬいぐるみと話ができるとは思っていないわ。ただ、とてもかわいくって・・・・・・」

 きさらさんは、よかったと思いました。桜子さんが、レオンと話し合っていっしょに帰ろうと決めたんじゃないとわかったからです。この人にはそういう話は通じないんだとホッとしました。レオンはそんな気はないのに違いない。レオンはここが一番いいに決まってると思いました。

「ごめんなさいね。売り物じゃないから、少し考えさせて」

 きさらさんは、レオンの気持ちを聞こうと思いました。きっといっしょには行かないというはずだと思いました。


 夜、きさらさんは、家族会議を開きました。メンバーは、レオン、クマ子さん、ミューミューです。

「桜子さんが、レオンを連れて帰りたいといってるけど、どう思う?」

「あの人って、変な人じゃないですか・・・・・・」

 ミューミューがいいました。

「私もそう思うの。なんだかわからない人よね」

 きさらさんもいいました。

「でも、レオンの気持ちが一番大事じゃないかしら?」

 クマ子さんがいいました。

「そうよね。レオン、いっしょに行かないわよね?」

 きさらさんが聞きました。

「ぼく・・・・・・、桜子さんといっしょに行きたいと思います」

「え、どうして?」

 きさらさんがおどろいて大きな声をだしました。

「ふたりで話し合ったの?」

「いいえ、話はできないけど、わかるんです」

「なにが?」

「気持ちが」

「うそ! そんなことはうそよ。あの人はレオンが話せるとは思っていないわ。気持ちだってわかるわけないわ。あの人は、さくらが好きなだけよ。レオンの色がさくらににているから気にいっただけなのよ」

「ぼくは、桜子さんが、好き・・・・・・。いっしょにいると夢が見られるんだ」

 レオンは小さい声でいい、夢を見るようににっこりわらいました。

「夢ですって?」

「うん」

「どんな夢なの?」

「さくら色した世界の夢」

「そんな世界はないの」

 きさらさんはピシャリといいました。そして、どうすればレオンの気持ちを変えられるか考えました。

「あの人といっしょに行ったら、レオンはきっと不幸になるわ」

 きさらさんは少しいじわるな気持ちになっていいました。

「どうして?」

 レオンは小首をかしげました。

「さくらがさくと、レオンをわすれて家を出て行っちゃうわ。レオンはひとりぼっちにされちゃうのよ。ひょっとしたら、あの人は二度とレオンのところに帰ってこないかもしれない。きれいなさくらの下で死んでしまうかもしれないわ。そうでしょ、ここへ来た時も死にそうにおなかがすいていたのよ。それが、山の中だったらどうなる? そんな人にレオンをわたすことができるわけないじゃない」

「ぼくは、一人にはならないよ。桜子さんがぼくを置いて行ったら、ぼくは、桜子さんをおいかけて行くよ。いっしょうけんめい、いっしょうけんめいおいかけて行く。だから、いっしょにいかせて」

「ダメ」

「きさらさん、どうしたの? いつものきさらさんらしくないわ。一番大切なのはレオンの気持ちなんでしょう?」

 クマ子さんが心配そうに聞きました。

「クマ子さん、レオンが不幸になってもいいの?」

 きさらさんはまゆをひそめました。

「きさらさん、レオンが行きたいといっているのよ。ふたりだったら夢が見られるっていってるのよ。わかるでしょう?」

「夢って何よ。夢なんて、そんなに大切なもの? 夢なんかいつでもぽしゃんとつぶれるものよ。つぶれて、それだけだったらいいけど、きっとレオンの心までつぶしちゃう。きっと不幸になる。ダメ。絶対に私は許さない・・・・・・」

 きさらさんはくちびるをかんで首をふり続けました。


 朝が来ました。

 桜子さんは帰りの用意をすっかりととのえていました。きさらさんにもらった紙バッグをさげています。

 きさらさんは、電車賃とレオンをだまって、桜子さんにわたしました。

「この子の名前はレオンよ。絶対さびしいと思わせることはしないでね」

「わあ、いいの? もちろん、さびしい思いなんてさせないわよ」

 桜子さんは、顔いっぱいの笑顔を作りました。

「家についたら、ちゃんと住所を知らせてね」

「はい」

「ぬいぐるみにも心があることをわかってね」

「わかってるわ」

 桜子さんは、紙バッグの中にレオンをポンとほうりこみました。着古した服やティシュペーパーのように。

 きさらさんは「あっ」と声を上げました。レオンを抱いて帰ってくれると思ったのです。こんなふうにもののようにあつかわれるとは思ってもいませんでした。さっき、心があることをわかってるといったことは、なんだったんでしょう。

「それは、ない・・・・・・」

 きさらさんを見ていたクマ子さんが、それいじょういってはいけないというように、首をふりました。

 きさらさんは言葉を止めました。

「お世話になりました。さようなら」

 桜子さんは少女のように頭をさげ、お店を出て行きました。

 一度も振り返らない桜子さんの後ろ姿を見送りながら、ミューミューがいいました。

「レオンをほうりこんだよ。信じられないよ。それにしても、楽しそうに帰って行くね。でも、レオンはふくろの中だよ。どうなっちゃうんだよ。きさらさん、いいの?」

「わかんない。わからないわ」

「でも、レオンがそれでいいと思うのなら・・・・・・。昨日の夜、レオンはもし桜子さんがいなくなったら、どこまでもおいかけていくと行ってたわよね」

 クマ子さんがいいました。

「ええ」

「レオンはわかってるような気がするんですよ。こんなあつかいされることも、あの人がどんな人かも、何もかもわかっていっしょにいたいっていったような気がするんです」

「それでいいの?」

 ミューミューがもう一度聞きました。

「ミューミュー、夢って、何だと思う? 夢をおいかけるってどういうこと?」

「ぼくには、わかんないよ」

 きさらさんは、ミューミューを抱き上げ、やわらかな毛の中に顔をうずめワンワンなきました。

 クマ子さんが、きさらさんのうでにそっとおでこをくっつけていっしょになきました。




              つづく

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