第3話 ハイブリッドとハイブレッド

 命は、尊い。


 人間、人外に留まらず、植物、動物、あらゆる命はその存在を否定されることはない。すべからく生かされ、生きている。


 それは食物連鎖に言い換えることもできるだろう。あらゆる命は、他者の命があってこそ、繋がり、また絶えるのだ、と。


「これは、もうカチカチじゃのう」


 だからこそ、粗末に扱うことなどもってのほかである。生きるために命は失われ、失われたのであれば、生きなければならない。


「あの…… 先生?」


 無駄に、命が消えることがあってはならないのだ。


「これは…… なんじゃろう?」


 だというのに、目の前にあるのはなんなのだ。


「やっぱり、怒ってらっしゃいますか?」


 命を繋ぐために用意されたはずのものが、逆に命を狩りに来ている。


「ごめんなさい、人様のキッチンは勝手が分からなくて」


 しかし、失われた命を無駄にすることは、医者たる私の沽券に関わる……


「あ、食べおった……」


 ちなみに、この日の午後は仕事を休んだのであった。


   *  *  *


 入院食に飽きたのと、お世話になっているのでたまには作ってみたい、というエスト君の要望を同時に叶えるため、久しぶりに他人と昼食を頂くことになったわけだが、前述のとおり出てきたものはまさに異界の物質だった。


 とはいえ残り少ない食材を無駄にするのも気が引けた事が災いし、医者が医者に胃薬を処方するという悲しい結末を迎えたわけである。


 こちらとしては、彼女の体の回復具合を見れればと思ってキッチンの使い方を教えつつ調理を手伝わせてみたものの、火加減は上手くいかず包丁は危なっかしく、極めつけは味オンチと見事に期待を裏切ってくれたのだ。


 だが、それらはある程度理由が分かる。


 まずは包丁さばきだ。そもそも彼女は少し前まで右手がなかった。


 先日の手術にて急拵きゅうごしらえの移植をしたものの、まだ使えるようになるには相当の時間と訓練が必要だ。細胞組織は近いもののはずなので将来的には問題ないとしても、物を掴んだり、まして道具を扱えるようになるほどの時間もリハビリも必要なのに、彼女はそれなりの包丁裁きを見せた。結果は…… 今はそこはいいだろう。


 次に、味だ。


 恐らく、人外の部分が彼女に溶け込もうとしているのが原因と思われる。なぜなら、人間と人外では味覚が大きく違う。というより、だいたいの人外は味を感じる器官が弱い。退化してしまっていると言ってもいいだろう。結果、調味料をバカスカ投入されたスープは辛味と塩加減が織り成す究極のハーモニーを私の舌の上で奏でさせられたわけだ。


 ともあれ、まだ余裕があった食材やコンロの燃料が心もとなくなったので、日を改めた本日は彼女のリハビリを兼ねて、三人で市場へ買い物に行くことになった。


「先生、貸し荷獣屋です。いつもの荷獣を連れてきましたよ」


 外出の準備をしていると、外から荷獣屋が声をかけてきた。市場へ移動するためと、荷物を運ぶために事前に予約しておいたのだ。バゼラは自分で運転できるが、さすがにエスト君を一人で乗せるわけにはいかないので、片方に二人用の鞍を注文した。そのときの店主の返事が妙に浮いていたが、特に気にしない。


「ああ、ありがとうございます。今出ます。エスト君、バゼラ、準備できたかい?」


「はーい、今そちらへ行きます」


「うむ、できておるぞー」


 とは言うものの、病室から出てきたエスト君の足取りは、やはりまだしっかり歩けるほど回復していないようで、フラフラとはしないが重心が安定していない歩き方になっている。


 「あ、っと」


 拙い足取りが災いし、何もないところで躓きかけた彼女を支えようと一歩前へ出て、肩をつかむ。


「すいません先生、まだ一人で歩くには時間がかかりますね」


「どうする? 今日はやめておくかい?」


 私の申し出に、彼女は私の左側に立ち、そのまま腕を抱きかかえるように組む。


「こうすれば、大丈夫ですわ!」


 左腕に、彼女の体重がかかるのがわかる。ふらつきがなくなったが、私が歩きにくいのが難点か。


「む、ならば反対側は妾が支えておくとしようぞ」


 そう言いながら、バゼラは私の右手を掴む。こちらは体格差があるため逆にバゼラがぶら下がる形になる。しかし、彼女たちは重大なことに気が付いていない。


 私が身動きが取れなくなっていることに。


「……じゃあ、行くか」


   *  *  *

 

 一人で乗れないバゼラを先に荷獣に乗せた後で、もう一方の荷獣にエスト君を乗せ、店主に料金を支払った後に私も荷獣にまたがり、市場へ目指す。比較的振動が少なくなるように移動したため、いつもなら一時間もかからない道のりをじっくり二時間ほどかけて移動した。


 ほどなくして市場付近に到着した私たちは、普段から使っている荷獣預け所にて乗ってきた荷獣を預け、三人で市場へと入る。


「わぁ…… なんだか、賑やかな所ですね!」


 エスト君は市場に入るなり周囲を激しく見渡し、その度に私の腕を強く握る。長くあの屋敷に引きこもっていたせいか、それともそもそも外へ出たことがないのか、市場のあれこれを目に入るたびに質問攻めにあう。


「あ、あれはなんですの? 見たことがないですわ!」


「ああ、あれはバナナウオだよ。身が簡単に剥がせて、生で食べられる魚さ」


「あの魚は焼いたほうがうまいんじゃぞ!」


「あ、あれはあれは?」


「衣料専門店だろうな。ただ、私はあまり入ったことはない」


「先生、普段から白衣ですものね。たまには御着替えになっては? わたくしが選んで差し上げますわよ?」


「いやいや。結構だよ。一応仕事がいつ入ってもいいように普段から来てるんだから、オシャレをする必要はないんだよ」


「ルーは白衣が一番よく似あっておる。この良さが分からぬとは」


「そうですの? ……あ、ではアレは?」


「お、今日は珍しいな。パン屋が開いてるのか」


 日用品のコーナーを外れたところの一番手前に、普段は閉まっているパン屋が『営業中』の看板を出している。だが、珍しく開いているというのに、客はそれほど入っていないようだ。


「パン…… って、なんですの?」


「入ってみればわかるかもしれないぞ」


「行きましょう! パン屋さん!」


 左腕を人質に取られているので、私に選択肢はない。そのままバゼラと一緒にずるずると引きずられるようにパン屋に入ってしまった。おかしいな、元気じゃないか。


 からんからん、と乾いた鐘を鳴らしながら扉を開き、私たちは中へと入る。


 ふわっとパンの焼ける匂いと甘いクリームの香りが鼻の奥をくすぐるが、今日に限ってはその香りがいささか薄い。


「ああ、すいませんお客さん。まだ商品の準備が整ってなくて…… あ、ヴァルマン先生、ヴァルマン先生じゃないですか!」


 カウンターの向こうから恰幅のいい女性が私たちの入店の際に鳴らした鐘の音を聞きつけ、奥から勢いよく飛び出してきた。そして、私の顔を見た途端名前を叫んできた。こういう時は大概何かあったときだ。


「ウチの息子が、急に! 粉を練ってたら、腹が痛いって寝こんじまって! 苦しそうにずうっとうずくまったまま起きないんだよ! 一体どうなってるのさ!?」


 私にも分からないし、それだけの情報じゃあ判断のしようがないんだが。


「先生! 大変です! 何とかしてあげないと!」


「分かった、分かったから、腕を引っ張るな! 君が危ない!」


 ともかく、二人に急かされて奥の部屋へと通され、大きめのソファの上にかけられた申し訳程度のシーツの上でうずくまっている男性を見つける。年のころはエスト君より少し上くらいで、よく見るここの店主によく似ている。整った顔立ちといえなくもないだろう顔は苦悶に歪んでいる。脂汗がにじみ出ていて、かなり辛そうだ。


「大丈夫ですか!?」


 エスト君が声をかける。患者の状態で最初に行うのは、意識があるか確認することである。特に、本人から何が起こってるかを聞き取りできない状態では怪我なのか病気なのかの判断が難しいからだ。


「あ…… 腹が……っ、痛くて……」


 彼は目を固く閉じたまま、聞かれたことを答えた。耳は問題ないようだし、応答できる判断力もありそうだ。となると突発的な発作か、もしかしたら寄生虫の可能性もあり得るだろう。が、決めつけで判断すると違ったときの対応が遅れる。まずは患部の確認だ。


「お腹かい? ちょっと見せてくれないか」


 私は彼を仰向けにして、腹部がよく見えるように着衣を脱がせる。


 「!? これは?」


 まず目に入ったのは彼の右腕だ。先ほどは体の下敷きになっていたので見えなかったが、手から肘にかけての部分が黒ずみ、硬くなっている。指先には何かに噛まれたような傷跡が見られることから、恐らくは動物毒に類するものが原因で血液が循環せず、凝固作用が始まってしまっているのだろう。ままある症状だ。


 問題は腹部だ。こちらは腕よりも厄介な状態になっている。見たところ、へその下あたりが灰色になっており、触ると石のように硬い。広がり方を見るに内部からこの結晶化現象が発現していると思われる。もし他に転移したりする可能性があるなら、早急に対処する必要があるだろう。


「手の方は、まあ何とかなるかもしれないが、腹部の症状が分からない、場合によっては開腹、切除の必要がありそうだ」


「これは見たことがあるぞ、メドロドトキシンに類する毒物摂取の時に起こる症状じゃな。人の細胞を融解・結晶化させる毒なんじゃが、こいつはその毒性を持つ中でもかなり強いやつじゃろう。これだけの範囲を結晶化させるにはかなりの量を取り込まぬと難しいぞ」


 バゼラは、症状から的確に原因を言い当てる。毒の名前は聞いたことがあるが、私はその効能に違和感を感じた。


「もしかして、人外用の強心剤に使われている成分かな?」


「おお、確かそうじゃ。人外に使うと結晶化の前の融解効果で止まって、血が止まりにくくなる。血流の清浄化を促すから結果的に強心作用が起こるのう」


 危なかった。


 私の知識も、今バゼラに言った内容しか覚えていなかったからだ。下手をしたら私も彼にこの毒を打ち込んでいたかもしれない。


 危うく誤診しそうになったが、これ以上は診察も不要と判断して早速施術に入る。手持ちにある道具では限界があるが、患部を見る限りでは何とか足りるだろう。まずは両方の脇の下に、その辺にあった大きめの棒を挟ませ、強めに縛り、捻って締め付ける。止血と麻酔を兼ねるためだ。次に下に敷いてあったシーツを逆にして患者に被せ、幹部だけが見えるようにそこだけを切り取り結晶化部分を露出させる。手持ちの消毒液を大事に塗り、患部の脇へメスを入れる。


「あ……! いっつっつ……」


 患者が苦悶の表情を浮かべる。この状態になってもまだ痛覚が残っているようだ。しかしここで止めればさらに広まる。最低限目に見える部分は取り除かなければ。


「大丈夫です! 先生に任せれば何とかなります!」


「は、はあ?…… わかり、ましたっ……」


 エスト君が苦しむ患者を見て、彼のの右手を握りながら力強い眼差しを送る。すると、若干ではあるが患者の体から余計な力が抜け、腹部の緊張がましになった。


(いまならいけるか?)


 半円を描くように腹部を開き、患部と内蔵の癒着状況を目視する。どうやら、小腸の入り口、十二指腸との間辺りから硬化が始まっているようだ。どちらにせよここまで来たら腸内も変わらないだろう、という判断で十二指腸の半分くらいから、小腸の五分の一を切除する。


 不自然なくらい血が出なかったが、それが幸いしすぐに縫合も終わった。いや、原因はわかっている。右腕の血液凝固の毒がが回ってきている証拠だ。だが、これ以上はここで行うことはできない。私はすぐに診療所への移動を提案し、おかみさんもそれに同意。かくして私たちはすぐに診療所へと戻ることになった。


   *  *  *


 後日、血栓毒もきれいに解消され、腹部の結晶化が広がらないことを確認したのち、パン屋の息子は退院していった。足りなくなった皮膚の変わりにお尻の皮膚を使ったので、当分風呂に入ったり座ったりするときに不便を感じるだろうが、下半身がなくなるかもしれない恐怖に比べれば、些細なことだろう。いずれ治るし。


 問題は、原因だ。


 どうも、コムギオオトカゲ(粉にすると小麦と同じ成分の鱗を持つサンショウウオの一種)から鱗を集めているときに、小さななにかに噛まれたのが発端らしい。


 最初は、後程診療所(つまり、私のところ)にいくつもりだったらしいが、通りがかった薬屋に「間に合わなかったら大変だ」といって、ある薬をもらったそうだ。本来ならそんな怪しい薬を飲むことはないのだが、


「その人、"協会"のバッジを付けてたんです。だから、大丈夫と思って、信用しちゃって」


 恐らくその薬に例の毒が入っていた、あるいは人外に渡したつもりになったか。いずれにせよ、協会を騙る何者かがいる可能性が高まったと言うところだろう。


「すいませんでした、色々とお世話になりまして」


「いいんです! お元気でいることが大事なんですから」


 なぜかエスト君がおかみさんに相づちを打つ。それは私の仕事なのだが?


「あ、あの、ありがとうございました! よかったら、うちのパンを食べてください!」


 少年は回復のお礼にと、珍しく自分が焼いたというパンを持参してきた。しかも希少品である、植物小麦の『黄金こがねパン』だ。


「まあ、これがパンですの?  とってもいい香り…… そうだ、先生! 朝のメニューはこちらのパンを召し上がるというのはいかがかしら?」


 そういえば食材もろもろを買うのに、先日は市場に行ったんだった。だが、黄金パンハイブレッドは高い。月に一度の贅沢品を毎日食べるのは……


「それなら、僕が毎日配達します! お代も勉強します! ぜひそうしてください!」


 ……少年、何故君は出資者である私ではなく、エスト君に向かって言うのかね?


「まあ、ありがとうございます! よぉし、このパンにあう料理の勉強もいたしませんとね!」


 私は、エスト君の笑顔を見ながら、これからの収入と出費の内訳を一生懸命計算していた。


「……頼むから、週一にしてくれ」

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