ヴァルマン先生の人外カルテ

国見 紀行

第1話 ハーフとハイブリット

 人外という、人あらざるものがこの世には存在する。


 かくいう私もその人外に属する者ではあるが、人外として生きることが煩わしく感じることが多く、どちらかというと人として生き、人と共に生きることを選んでいる。


 理由は大したものではない。その方が、楽だからだ。


 そう言う理由から私は、日々人として生きるためと自身と人をよく知るため、医者を生業としている。


 だが、人外である部分はどうしても表に出てきてしまう。


 つまるところ、「老けない」のだ。


 おおよそ、人でいう四十代あたりの風貌のまま、かれこれ百年以上は生活している。そんな人間がいつまでも同じ場所で仕事はできないため、だいたい十年から二十年をめどに違う土地へ移住する。


 今の診療所も、そう言った理由で開いてからもう八年は経とうとしている。


 この地域では、さほど都会でないこともあって患者が途切れることはないが、今日に限っては妙に人が少なかった。


 暇を持て余しつつも、そろそろ午前の受付時間が終わるため、表に出て「時間外」の看板を立てようと席を立った。


「先生ー、お客様です」


 と、そこへ近くに住む少年の声が入口から響いた。見事なタイミングにずり落ちた銀縁眼鏡を両手でかけ直しながら、私は待合室へ向かった。


「はいはい、どなたですか」


 そこには、少年と一緒に老齢の男性が一人。服装はこの初夏にもかかわらず真っ黒のスーツ。古くはあるがくたびれていないシルクハットを胸に沿えてこちらを笑顔で見つめていた。


 「始めまして。あなたがヴァルマン先生でいらっしゃいますか?」


 その声は非常によく通り、見た目の老齢さは全く感じない。礼節整ったその所作からは品格すら感じられる。


「……ええ、そうですが」


 男性の迫力に気負されながら、精一杯の返事を返す。


「よかった。ぜひ診ていただきたい方がおられまして。よろしければ、今からでもご足労をお願いしたいのです」


 安堵の表情から漏れ出る圧力に、私は断り方を忘れてしまい、


「……わかりました。急いで支度してきますので」


 とだけ伝え、奥へと引っ込んでしまった。


 もちろんその後、外に用意されていた馬車へ押し込められたのはいうまでもない。


   *  *  *


「着きました、ヴァルマン先生」


 男性が操る馬車に乗って揺られること数時間。のどかな田舎の景色は徐々に辺境へと姿を変え、傾斜を登り、ついには木と闇が支配する山の奥地の大きな屋敷に到着した。


 あまりに長い時間座りっぱなしだったので、振動でずれた眼鏡を整えながら馬車から降りて、改めて屋敷を見上げる。


 建物から伺える古さと大きさから、この辺りを統治する貴族の持ち物のようだ。


 そして、そういう場所に住んでいる者は、えてしてまともであったためしがない。


「どうぞ、こちらです」


 既に馬車は小間使いが奥の厩へと連れていかれており、この場には私とスーツの男性のみになっていた。


「患者は、どなたですか?」


「はい、この屋敷のお嬢様です」


 そう言いながらも男性はどんどんと先へと進み、慣れた手つきで通用口の扉を開かせて、その先へと私を案内する。


 屋敷に入ってみると、外側の様相とは裏腹にかなり寂れた印象を受けた。掃除は行き届いているものの華やかさがなく、わざわざ村医者の私を迎えに来たのも頷ける。


「申し遅れましたが、私はこの屋敷に仕える執事のルシオンと申します」


 歩きながら執事さんが今さらながらの自己紹介をしてきた。


「申し訳ありません。あなたの噂を聞いて方々を探し回り、ようやく来ていただけたことに、少々焦っているようで」


「……よほど、そのお嬢様の容態がよろしくない、ということでしょうか?」


 なんとなく、執事さんの焦りの理由を察する。件のお嬢様の症状、それは……


「こちらの部屋です」


 ルシオンが扉を開ける。


 微かなランプの光以外が存在しない薄暗い部屋の中央に大きなベッドがある。シーツの下に膨らみがあり、誰かが寝ているまではわかる。


 だが、その膨らみ方が少し歪に見える。


「お嬢様、は今はお休みのようですね、構いません、診察を始めてください」


「……わかりました、失礼しますよ」


 本人の了承をよそに、私はベッドに近づいて患者の顔を覗き込んだ。


 その時、私は違和感の正体を確信した。


 十代半ばと思われるその少女は、まず左目をくりぬかれたであろう、左片が窪んでいる。緩やかに上下する胸も、些か不均等に見える。左右の腕も長さが違う。恐らく右手がないのだろう。下半身に至っては、右足が太ももの途中からシーツが落ちている。よく見ると、シーツのあちこちに微量の血痕が浮かんで見える。素人仕事の施術痕だ。


 そして、不自然なほどお腹が大きい。


「……身内に、外道崇拝者が?」


 ルシオンは苦々しい顔で深く頷く。


「この屋敷の主人、お嬢様のお父上が一年前より、ご自身やお嬢様の体を捧げるなどの奇行を繰り返し……」


 人間のなかには、人間を超越した存在である人外に強い憧れを抱くものが少なからず存在する。それだけだといいが、その中でも自身や身内の体の一部を切除、移植することで人外になれると信じているものがいるのだ。そういうもの達を、「外道崇拝者」と呼ぶ。


「旦那様は、三年前に奥様を亡くされてからは人外にいたく興味を持たれ、ご自身やお嬢様の体を儀式だの供物だのと、色々と弄ばれるようになりました。ですが数日前、忽然とお姿が見えなくなりました。今のうちに、せめてお嬢様をなんとかしなかければと、腕利きのお医者様を探していたのです」


 すがるような目で、ルシオンは私を見る。


「……どこで私の話を聞いたかは、報酬の一部としてお聞かせ願いましょう。それよりはこの患者を、被害者を助けなければ」


 私は再度、少女の診察を始める。シーツを取り、病衣を脱がせ、状態を確認する。


 左目があった場所は施術が甘く、奥の視神経の先端が抉られた別の肉と癒着し、痛々しい傷跡にはそれ以上の治療はされていない。


 右手と右太ももの切り取ったあとの縫合は不思議と綺麗で、化膿することなく塞がっている。太もも側は、むしろ最初からなかったのではないかと思うくらいに縫合されている。


(問題は、こっちだな)


 私は、下腹部へと視線を移す。


 体はどちらかというと痩せているためか、異様に膨れ上がったお腹はまるで栄養失調の症状か、あるいは


(まさか自然妊娠、ではないだろうから……)


「その汚い手を退けよ」


「だ、旦那様!?」


 唐突に甲高い声が、床の方から響いた。私から見て背中の方から発せられた空気の振動は、振り返ってもその発信源を確認することはできなかった。


 いや、正確には「確認はしたが、それと認識することができなかった」だろう。


「聞こえなかったか? 退けよ、と言ったのだ」


 その声は、患者の左目から響いてきたのだ。


「だ、旦那様、どこに?」


 ルシオンの狼狽ぶりから察するに、声の主はこの屋敷の主なのだろうが、どこにいるかを伝えるよりも先に、医療カバンを落とさないように患者から離れることに注力する。


「これは”転成”だな」


「て、転生!?」


「自分に近しい女性の胎内を媒介にして、肉体を別のものへと変える外法だ。考えたくはないが、あんたの旦那様は娘の体を使って人外になろうとしているんだろう」


 下腹部の膨らみを見るに、主人が失踪したという数日前を計算に入れると、体の再構成に必要な日数と言われる約七日を、先ほどの「声」からもかなり進行しているに違いない。


 私は急いで施術に取りかかるため、カバンから小さなナイフを取り出す。


 それを察知したのか、およそ人とは思えない動きで少女はベッドの上に直立した。


「無駄だ。あと数時間で儀式は達成される。新たな肉体を得た暁には、まずは貴様達を旧き方々への供物として捧げようぞ」


 私は無言で、ナイフを突き立てるべく振りかぶる。人外を「旧き方々」と呼ぶ者に、もう語る言葉はない。


「やれやれ」


 左目の窪みから出た声を、私は聞くことができなかった。少女の、無造作に振るわれた左腕によって大きく吹っ飛ばされたからだ。


「ぐぁっ!」


「察しはいいが動きが鈍い」


「ヴァルマン先生!」


 そのまま壁に追突し、頭が壁に当たった拍子に眼鏡を落とす。そのせいで視界がいつもと変わる。だが、その目でナイフが少女の残された左手の甲に深く突き刺さっているのを確認し、少なくとも目的は達成できたことに安堵する。


「こんな玩具程度で何をするつもりか」


 と少女の姿をしたそれは、なくなった右手でナイフを取ろうとし、不可能を悟ると握る代わりにナイフの束を深々と右手首に沈めていった。


「……!?」


 すると、少女の動きが止まる。

 両腕で大きな輪を作った状態で。

 どうやら刃の部分が抜けなくなったうえ、手首に沈ませた束も動かなくなってしまったようだ。


「な、なんだ、これは」


 私は落とした眼鏡を拾い、埃を払う。


羽白白銀ハバクノシロガネという、特殊な銀を鍛えて作られた小剣だ。人外専用の“メス”がわりさ」


 ナイフの説明をしながら、そのまま眼鏡を両手で持ち患者の目を見据える。鋭い視線に患者は一瞬体をすくませたが、すぐに睨み返す。


「抜けないだろう? 羽白白銀は人外にとって数少ない“弱点”だ。弾丸として使うのが一般的だが……」


 私は 眼鏡をかけ直しながら、ゆっくりと患者に近づく。


 患者は動かない。


 腕だけではない。体全体が近づく私に反応できないでいる。


「あ、ああ! う、動けん!?」


 その台詞に、私はある確信をした。

 それを確かめるべく右手を手刀のように開いたまま、中指の先から勢いよく下腹部に差し入れる。


「がふっ!」


「私の視線には、若干の催眠作用がある。しかし、この効果は人外には効かない。つまり、あなたの中のには、まだ人間の部分が残っているということ。そして……」


 ゆうに手首まで深々と突き入れられた私の手は、その中の”あるもの”を取り出すべく腹部をまさぐる。さすがに狭い場所なだけに、目的の”もの”はすぐに捕まえられた。


「『動けない』ということは、その人間の部分が『生きたい』と思っているということだ!」


 言葉の強さを借りて、捕まえた”もの”を勢いよく摘出する。


 ずるずると取り出した”もの”は、まるで脱皮中の人間のようにも見え、顔の部分だけが妙に険しい形相をしていた。ちょうど頭に当たる部分を鷲掴みにしていたため、表情がよく見えた。


「だ、旦那様……!」


 ルシオンがつぶやく。ということは、こいつはこの患者の父親ということになる。


「き、貴様余計なことを! 早く戻せ! 死にたいか!」


 ひしゃげた金属が擦れあうような言葉を他所に、へその緒の役目をしていると思われる複数の管を、力任せに引きちぎる。ほどなくして、その肉塊は静かになった。


「……腫瘍の発見、および摘出処置、完了」


 私は腫瘍を淡々と状況を述べる。


「……ありがとうございます」


 ルシオンは深くお辞儀をしながら礼を述べた。


「悪いが、本番はここからだ」


 一瞬固まったルシオンは、先ほどと同じ捌きで患者を再度ベッドへ寝かし、カバンからいくつかの道具を取り出す私をぽかんと見ている。


「続けて、再生処置にかかる。一人では難しい場面もある。手伝っていただけないか?」


「わた? は、はい!」


 突然の要望に面食らったようだが、それでも使命感からくる思いの強さか、私の言葉の意味を察したルシオンはすぐに患者を挟んだ反対側に立った。


「まずは出血を止めるます。血液も不足ぎみだが持ち合わせがない。なので、こいつから貰えるだけ貰うとするか。さっきまで同じ体だったから大丈夫でしょう」


 私は患者からナイフを外し、摘出したばかりの肉塊に改めて刃を立てる。既に生命活動を停止していたのか出血は鈍く、太めの血管を心臓ごと取り出し、ルシオンに持たせる。


「ひ! だ、旦那様の……」


「いいですか? 患者の血管へ差し込んだら鼓動の半分の早さでそいつを握って。あとはこちらで何とかします」


 肉塊の血管を患者へ繋ぎ、簡易的な輸血を行う。その間に再び肉塊にナイフを入れ、左の眼球を慎重に取り出す。ある程度長めに神経を抜き出すと患者の同部位へ移植する。組織自体はまだ生きているのと、移植元が人でないからか、傷口の回復が異様に早い。だが、少々早すぎる気がする。


 とりあえず、気にせず他の患部を再診察する。ナイフの束を差し入れた右手首部分を見ると、既に傷口が塞ぎかかっていた。それを少々広げ、また肉塊の同部位を移植する。同じように太ももの傷跡にも移植を施す。私の勘が正しければ、これらは元々患者のもののはず。大きさは全く違うが、体の構造が人のそれと変化している途中の彼女なら、少なくとも馴染んでいくはずである。


「そう言えば、私も先生の目を見ましたけど、何も感じませんでしたな」


「眼鏡越しでしょう? この眼鏡のふちが羽白白銀でできてますから、人外の力を弱めているんですよ」


「え? しかし、その銀に触れていて、先生は大丈夫なんですか?」


「私、ハーフなんですよ。半分人間の血が流れていまして。もちろん、眼鏡をかけている間は普通の人と同じくらいの力しか出せません」


 話しながらも手は動かす。結合部はそんなわずかな間にも馴染み、既に皮膚が一部繋がり始めている箇所もある。


 予想ではあるが、彼女は既に人でなくなっているのかもしれない。


「……こんなところか。まだしばらくは目覚めないと思いますが、起きたら精のつく食べ物をたくさん食べさせて。時間はかかるかもしれないが、日常生活に支障がない程度には回復するはずです」


「ほ、本当ですか!?」


 先ほどまで青い顔をしていたルシオンが、一変して明るい声で返事をする。


「報酬は…… そうだな」


 私は、切り刻まれてほとんど本当の肉塊を手にして、


「いいサンプルを頂いたので、これで結構です」


   *  *  *


 患者の少女を治療したあと、一晩の宿を借りてから再び馬車で診療所まで送ってもらったが、その間少女が目覚めることはなかった。とはいえ症状は大方安定し、元凶もいなくなったはずなので悪化することはないだろう。それでなくとも人よりは丈夫な体になったはずである。さしずめ混ざりものハイブリッドと呼ぶべきか。


 しかし、行きと違い帰りはやたら時間がかかった。使っていた道が何故か通行止めになっていたり、土砂崩れなどが重なったりで行きは半日の道のりだったのを帰りは二日もかかってしまった。


 とはいえ、無事に元の診療所へと帰って来れたうえ、途中の宿泊費も持ってもらったので文句の言いようがない。


「懐かしの我が家、かな」


 建物に入るべく鍵を挿すが、空転する。


「あれ、鍵をかけ忘れたか?」


 しかも、中からごそごそと物音がする。


「……しまったな、しかも物色中か」


 静かに扉を開き、警戒しながら中へ入る。


「あ、おかえりなさいませ!」


 唐突に、中の方から女性の声がした。聞き覚えのない声だ。


「まったく、お礼を言う前にお帰りになるなんて、非常識ではありませんか?」


 診療所の奥の扉が開き、中から女性…… 少女が顔を出した。


「! 君は」


 顔は見覚えがある。数日前まで見ていた顔だ。忘れるわけがない。


「自己紹介がまだでしたね。わたくし、エストと申します。このたびはわたくしの治療に尽力いただき、感謝しております」


 ほぼ無理やり移植した手足は私が出立するまでに成長したまでは確認したが、それからおぼつかない動きではあるが歩いたりものを掴んだりできるようになったようだ。


 まさに今、それを目の当たりにしているわけだが。


「ルシオンに聞きました。治療報酬がお父様…… いえ、腫瘍の持ち帰りのみしかお受け取り頂いていないと。それではわたくしの気が済みません!」


 なんだこの流れ、マズい気がする。


「ですので、こちらでわたくしができるかぎりのお返しをさせていただきたく、先にここへ来させて頂きました! 手始めに掃除をさせていただいていたのですが」


 私は急いで外を見る。


 既に、馬車は帰っていた。恐らく、帰りに時間がかかったのはなのだろう。


「……帰りなさい」


「お一人でこの診療所を切り盛りするのはいささか大変ではありませんか?」


「間に合っている。慣れたものだ」


「先生がお傍におられると、わたくしも何かあったときに助かりますし」


「何かあったときに呼べばよいのでは?」


「近いほうが安心いたします」


「君の部屋がない」


「今しがた、用意させていただきました。心遣い感謝いたします」


 ……わかっている。私はいささか普通の人と感覚に差があることを。


 だが、彼女の感覚はさらに理解できない。これ以上下手に話を進めてこじれてしまう可能性もある。


「……わかった。まずは入院患者扱いで何日かいるといい。それ以降はその時に考える。それでいいかい?」


 少女、エストが満面の笑みを浮かべる。


「はい! ありがとうございます!」


 奇妙な感覚だ。脳の奥が痺れるような、覚えがあるような。


「!」


 まずい。これは……


「ひとまず、君にも眼鏡を買わねばならないようだな」


とりあえず眼鏡の代金分は働いてもらうべきだな。


結構高いんだぞ、この銀縁眼鏡は。

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