第8話 人のために生きることをやめた
呆然としていた俺の後ろで、僅かに身じろぎしたアイリス。
ふと振り向くと感情があまり見えなかった顔に、明確な動揺が見えた。
彼女は目を見開き俺を見上げていた。
俺は何を言っていいかわからずただその目を見つめる。
アイリスが小ぶりな唇を動かそうとした時だった。
「アイリス様! お怪我はありませんか!?」
クズールが走り寄ってきた。
アイリスに近づき、無神経にも肩を掴んでいた。
俺は一瞬で怖気と嫌悪感を抱き顔を顰める。
クズールは部下にアイリスを任せると、俺を睥睨した。
「何をした! 貴様、あの魔物をどうやって殺したのだ!?」
ああ、わかってた。
こいつが俺を認めるはずがないってことも、くだらないことを言うだろうなってことも。
だから落胆も驚きもなかった。
ただ吐き気がした。
「見りゃわかるだろ。金属魔術で殺した」
「金属魔術だとぉ? 使えない魔術で倒せるがはずがないだろうが! それになぜ偉そうに話している! 敬語を使え!」
「知らないね。あんたはもう俺の師匠じゃない。そもそも敬うところが一つもない人間に、なぜ敬語を使わないといけないんだ?」
長い間、師匠だったはずの相手をここまで見下せるとは自分でも驚きだった。
クズールもそうだったのか、一瞬だけ驚きを見せ、すぐに顔を真っ赤にして激高した。
「魔術師の面汚しが!」
「おまえがな」
俺の言葉が相当に効いたのかクズールは呪文を唱え始めた。
こんな至近距離で呪文を唱え始めたらどうなるかわかりもしない。
俺が使う金属魔術には『呪文が必要ない』ということさえ、こいつは覚えてないのだ。
即座に発動し、銀の小手を武器に変えて殺すなんて造作もないということも知らないのだ。
ああ、馬鹿らしい。
今ここで殺してやろうか。
俺は魔力を銀の小手に流そうとした。
「いい加減にしなさい!」
凛とした声に俺の感情は流れを失う。
アイリスが辛そうな顔をしながら立ち上がって、俺たちを見ていた。
「その方はわたしを助けてくださったのですよ! なぜそのような態度をとるのですか!?」
「そ、それはこやつが汚らわしい金属魔術師だからですよ!」
「言ったはずです。魔術師に貴賤はありません。どの魔術も価値のあるものです」
クズールは納得いかないと言う顔をしてぼそりと呟いた。
「金属魔術は、魔術と名乗っているだけの偽魔術だ」
クズールの考えは決して奴一人だけの特殊なものではない。
火水風土そして金属の五つの魔術が存在し、金属魔術以外の魔術は『呪文を使い』そして現象を生み出す正式な魔術。
金属魔術は『呪文を使わず』、現象を起こさない。金属に干渉するために魔力を直接流すという、他の魔術とは異なった方法をとる、いわば邪道の魔術。
それが金属魔術が忌避される原因の一つでもある。
呪文は高貴であり、魔術として当然のものだという見解が魔術師の中では当たり前で、最近では一般層にも広まっている。
だからといってそれが正しいとは微塵も思わないが。
不意にどうでもよく感じた。
もう魔術師を続ける気も、冒険者稼業を続ける気もない。
俺はアイリスとクズールのやり取りを無視して、さっさとその場を離れた。
「お、お待ちください」
「アイリス様。あやつなど放っておきましょう」
俺を止めるアイリスを、さらに止めるクズール。
俺は後ろ髪惹かれる思いを微塵も感じず、帰路に就いた。
すべてはクソだ。
何をしても俺は報われない。
金属魔術はくだらなく、価値がなく、何の役にも立たない。そう思われている世界は変わりはしない。
だったらもう『認められたい』という思いは捨てよう。
これから俺はもう自由に生きる。
人の目も人の評価も人のことなんてすべてどうでもいい。
俺は俺のやりたいように生きる。
金属魔術はくだらなくない。
金属魔術は弱い魔術ではない。
俺だけが金属魔術師の価値をわかっていればいい。
俺は不意に砕け散ったドラゴンの欠片を視界の端に入れた。
不可思議な感覚。
そして得た感触。
……今更、どうでもいいことか。
俺は胸に去来した僅かな思いを捨てた。
それはもう、二度と俺を苛むことも、期待させることもなくなった。
そして俺は『人のために生きることをやめた』。
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