透明人間の旅路

赤岾鴫弥

第1話 ある森にて


 一人、小さな人間が死んだような森の中を歩いていた。空気は淀んでいて酷く暗い。苔むした木々は闇夜を覆い、湿った大地は踏みしめるほどに、微かに水気を含む音を立てる。草叢の背は高く、分け入っても分け入っても前が見えない。すると、近くで何かが小枝を踏み折る音が響いた。

 歩いていた人間、ロビンは一度止まりあたりを手持ちのランタンで照らし出す。ランタンには青色の炎が轟々と燃えさかっている。冷たい光は闇夜を裂くように物の形をあらわすが、周りには草木しか見当たらない。ロビンは被っているフードの下からそれを確認するとふぅ、とどこか間延びした息を吐き出し、再び歩きだそうとした。

 その時、ランタンを目がけていくつもの影の群れが覆った。

「──っ、!?」

 ロビンは持っている荷物を庇いつつ、横に飛び、辛うじて襲撃をかわした。空を切った影の爪はロビンのいた場所を切り裂き、近くの木々に痛ましい痕を残す。明かりで襲撃者を照らし出すと、それは狼に似た四つ足の獣だった。しかし頭には耳がなく、足は鳥類のように鉤爪を持ち、胴の腹側には薄らと鱗が生えている奇妙な獣だった。獣たちは低い声で唸るとじりじりとロビンを追い詰めていく。ロビンも後ろに下がっていくが、後ろの草叢からも地の底から這い上がるような唸り声が轟いている。

 周りを囲まれてしまった。

 獣たちは今にもロビンに飛びかかろうとしている。少しでも身じろぎしてしまえば牙はすぐに飛んでくるだろう。ピンと張った糸のように張り詰めた空気が漂うが、ロビン本人は気の抜けた、訛りのヒドい喋りでこう言った。

「なぁー……あんたら、うち襲うてもなんもええことないよ?」

 獣たちは語りかけるその声に構わず、未だに獲物の間合いを詰めている。

「なんや、お話した無いの? 愛想ないなぁ……ええやん、ちょっち、反応してもろても」

 声に反応するように(獣なので言葉は分からないはずだが)、鼻頭に大きな傷をつけた堅牢な一匹が止まり、ロビンに向かって鼻をヒクヒクさせて匂いを嗅いだ。

「おっ、ええこや! ひとり気づいてはるね。なら早くあんたらもお下がりな」

 ロビンは獣の様子をみて、他の獣たちにも諭すように喋りかけた。しかし、それでもなお下がろうとしない。それどころか、気をせいだのか若い一匹がロビンの首元に向かって飛びついた。鼻に傷をつけた一匹はそれを止めようとするかの如く、ひと鳴き吠える。しかし、先頭を切った若い一匹の後を追うように次々とロビンを襲った。

「あーあ……ええことない、いうたのに」

 一方、首筋や胴体の柔らかい部分に深々と牙をめり込ませられたロビンは、まるでなんとも無いようにのんびりとした口調で呆れていた。

その間にもロビンのフード付きのマントや顔を覆っていたマスク、手袋、着ていた衣類が凶刃な爪で切り裂かれていく。同時にその下にあった奇妙なものが現れ出てきた。

「だって、……ほれ」

 いや、それでは語弊があるだろう。だって、衣類の下には──

「食っても、身がのうない、ってね」

 ロビンはになっている、服の中身を見せながらおどけたように笑った。

 獣たちは後ろに飛び退いた。ロビンの中身のない体に恐れたのではない。彼(ロビンの体はないため、ここでは便宜上、彼、とする)の纏う声色から来る嫌な覇気を感じ取ったのだ。

「──すまへんなぁ。あんたらも腹減っとるきに。人は狩りやすいんな。襲うん、仕方ないのは分かっちょる。けんど……」

 彼は口元に当たる空間を指で切り開くように横に一線引く。一線引いた切り口から体液のような青い光を纏った粘り気のある液体が滲み出た。まるで獲物を前に獣が流す、涎のように。

「すまへんなぁ、すまへんなぁ。こっちも腹空いとんのや」

 一瞬、森が騒がしくなった。しばらくして、か細い悲鳴のような音を最後に全く元の死んだような森となった。

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