第67話 『空間』

(……かつての我が『パーティー』を開きたがり、来客を招きたがったのは、地元の食事がコレ・・だからだったような気がする)


 久方ぶりの自室に戻ったアンジェリーナは、先ほど行われたオーギュスト歓迎のための食事会について思い出しながらベッドに寝転がっていた。


 かつてファンシーピンクに支配されていた空間は今ではすっかり闇色に染め上げられている。


 もちろんこの何もかも黒い部屋はアンジェリーナの趣味によるもので、そんな色味のベッドに黒い服でうつぶせに寝転がるものだから、銀色の長い髪だけがベッドの上に置いてあるように見えて、ホラー度が高い。


 ごろりと仰向けになれば今度は真っ白い肌に白い包帯&眼帯、それに片方だけ露出した赤い目がベッドから浮き出るようになり、これもまた慣れないものをぎょっとさせる、幽鬼のような仕上がりであった。


 アンジェリーナという少女の容貌は概ね『派手で美しい』という表現ができるのだが、その美しさは表情や服装によってかなり雰囲気を異にする。


 たとえばファンシーピンクの服ばかりまとってパーティーで高笑いをしていたころのアンジェリーナなどは、体の小ささを感じさせないほどの威圧感と迫力があり、『女王』とでも呼びたくなるような様子であった。


 最近は黒を好んでまとい、思い悩むような様子をよく見せるため、静かで不気味な雰囲気を醸し出している。

 そんな有様の彼女が大人の男みたいな口調でしゃべり、たまにニヤリと笑うものだから、暗い部屋などで遭遇すると思わず悲鳴が上がりそうな仕上がりになっていた。


「お、お嬢様、いらしたのですか!?」


 だから部屋に入ってきたララがアンジェリーナを見つけて悲鳴を上げかけたのは、仕方ないことだったろう。


「カーテンを閉じて明かりもつけずになにをなさっているのですか?」


 長い黒髪を仕事の邪魔にならないよう結わえたメイドは、主人の指示を待たずにカーテンを開けた。


 するとようやく昼日中という時間帯の日差しが差し込み、黒い調度品だらけの部屋に光をもたらす。


 アンジェリーナは光を嫌うように窓の方向に背をむけ、


「どうしたララ、ノックもなく」


「あ、も、申し訳ありません。奥様に呼ばれていらしたので、お部屋にいらっしゃらないものとばかり……」


「ああ、その用事なら終わった。というか、終わらせた……」


 アンジェリーナが疲れ果ててベッドでごろごろしている理由が、まさに母からの呼び出しなのであった。


 時間的にはほとんどかからなかったが、とにかく体力を吸い取られた。


 ララはアンジェリーナが散らかした靴だとか荷物だとかを片付けながら、


「どのような用件だったのです? 語れることでないなら、もちろん、おっしゃっていただかなくてかまわないのですが」


「これは機密なのだが、隣国の王子から婚約の話が来ているようでな」


「語れることでないならおっしゃっていただかなくてかまわないと申し上げましたが!?」


 そんな機密知りとうなかったと言わんばかりにララは叫んだ。


 というか本気で機密である。

 この国の第一、第二王子に求婚され、第二王子とは婚約状態で、なおかつ隣国の王子から婚約の話が来ているというのは思考などせずともわかるぐらいに『ヤバい話』だ。


 仮に『自分たちはいまだに聖クリスティアナ王国という国家である』という意味で大陸の方を『隣国』などと称しているのでもない限り……

 いや、それでもヤバいけれど。


「あの、お嬢様、この話がどれほどの意味を持つものかはわかっておいで……ですよね?」


 アンジェリーナが二人の王子から粉をかけられているという話はあまりにも有名で、もはやその話は自国はおろか隣国、もしくは世界中に流れていると言っても過言ではないのだった。


 そこに婚約話を持ってくる隣国王子はなんにも考えてないか、なにか野望があるかのどちらかだ。

 もしくはアンジェリーナの両親の方が隣国王子から婚約話を引き出した可能性もあるのだが、それだともう『独立を考えている』としか読み取れない。


 いずれにせよ今のアンジェリーナへ他国からの婚約話が舞い込むというのは、全視点で戦争の火種なのである。


 するとアンジェリーナは重苦しいため息をついて、


「『すべて、あなたの意思に従いましょう』と言われた」


「……ええと」


「オーギュストと婚約続行をして隣国との付き合いを気まずくするのも、隣国の王子を選んで戦争の火種になるのも、リシャールと手を結んで第三選択肢を探るのも、好きにせよと」


「そ、そんな放任ありえません! 貴族なんですよ!?」


 貴族子女の婚姻がだいたい親に決められるのにはもちろん理由があって、それは、貴族が誰と婚約し結婚するかというのは、それだけで戦争の火種になりかねない大事件だからなのである。

 自由恋愛だの本人の意思の尊重だの言われて、たとえば優秀な者ならばリスクとメリットをかんがみたうえで最善の行動を選んだり、『最善』が別なところにあるのを理解したうえでそれでも己の意思を貫いたりできる━━


 ━━言うなれば、『責任を感じる』ことができるのだ。


 もちろん多くの人を巻き込む選択まみれなものだから、まだ未熟な貴族の子女が責任を『とる』ことはできないかもしれない。

 それでも、自分の婚姻に伴う様々な問題の責任を認識できるかどうかというのは大事だろう。


 だが、多くの貴族の子女はそこまで天才ではない。


 なので一部を除いてしまえば、『親が婚姻を決め、その婚姻によって発生する種々の問題の解決に奔走する』というのは、『安定したやり方』なのだ。

 生まれてくる貴族全員が天才ではないという大前提に基づいて作り上げられた、多くの者が安全に生きていくためのシステムなのである。


 ところが大領地にして元王国のクリスティアナ=オールドリッチの当主は、まだ成人前の娘にすべての選択を委ねると述べたらしい。


「奥様も旦那様も、お嬢様にそんな重圧をかけていかがなさるおつもりなんです!?」


 ここで声を荒げてもどうしようもないことはわかりつつ、ララは声が大きくなるのを止められなかった。


 まだ十四歳の少女にそんな重荷を背負わせる親の心理が理解できない。理解できないというか、怒りさえ覚える。


 ララなんかは婚姻して誰かの奥方におさまる道を嫌ってここにいるけれど、それはあくまでも成人後に決めた進路だ。

 若者に期待をするのと若者に丸投げするのとはまったく違う。アンジェリーナの両親……というかエレノーラのやり方は『丸投げ』にしか思えなかった。


 アンジェリーナはララに、というか窓の方向に背を向けたまま「落ち着け」と一言告げて、


「……いや、というかな……隣国王子がそもそも興味を持っていたのは、エマのようなのだ」


「……ああ、その、平民の……四属性に目覚めた方、ですよね」


「うむ。その評判を聞きつけた隣国王子が興味を持ち、調査を進めていたところ……なぜか、興味の対象が我に移ったらしい」


「なぜかもなにも、そりゃあそうでしょうとしか」


「なぜ」


「お嬢様は素敵なので」


「…………ともあれ、その隣国王子が、『あのリシャールが目をかけるほどの女ならば俺が欲しい』ということで……」


「理由! 最悪じゃないですか!」


「というわけでまあ、気は進まぬのでお断りしようかというところではあるのだが……話を聞くだにパワフルそうで疲れるしな」


「ええ! そんな話は断るのが正解ですとも!」


「ただ、母の一言が我を悩ませているのだ」


「奥様は思わせぶりなことを言ってそれきり黙ってしまう癖がおありなので、さほど気になさらない方がよろしいかと存じますが」


「『真の平和はこの国にはないかもしれませんよ、魔王陛下』と言われたのだ」


 ララは勢いをぴたりと止めて黙り込む。


 エレノーラの言葉は本当に気になるポイントが大量にある。


 まず『真の平和』。

 現状、この王国は平和だ。もちろん最近になって『獣の軍勢』とかで騒がしくなり始めているし、学園生活においても色々あったとララも聞いているけれど、それでも、平和だ。

 だというのにエレノーラの発言は、まるでこの国の平和が仮初であるかのように聞こえる。


 次に『この国』。

 それはもちろんドラクロワ王が治め、オーギュスト・ドラクロワかリシャール・ドラクロワが将来的には継ぐことになるであろうこの国家だ━━と、発言者がエレノーラでなければ、素直に解釈できる。


 しかしクリスティアナ=オールドリッチ領の当主が述べると、一気に意味が複雑化する。


 それはもちろんドラクロワ王国のことかもしれない。

 けれどクリスティアナ領の来歴を考えれば、それは『聖クリスティアナ王国』のことを指すかもしれない。

 あるいは隣国王子からの婚約話が出たタイミングでの発言と考えると、隣国のことを指している可能性さえも残った。


 そしてなにより『魔王陛下』。


 これは娘が『そういう設定』でやっているのを鑑みてのからかい・・・・の言葉と見るのがもっとも素直な解釈だが……


 なんでもララにしゃべってしまうアンジェリーナから聞いたことを思えば、また違った解釈の余地が生まれてしまう。


 どうにも魔法の属性について、エレノーラたちの世代……水の都に住むオーギュストのおじなどの世代は、子世代に隠していることがありそうなのだ。


 闇属性はない。

 が、水の都には、もしかしたら闇属性を持つ魔道具があったのかもしれない━━というところらしい。


 ならば闇属性の魔王というのも、あながちアンジェリーナの妄想ではなく、たとえばこの領地でたまたまなんらかの闇属性にまつわる資料を目にしたアンジェリーナが、それをもとに広げた妄想である可能性もある。


 となると闇属性の真相を知っているかもしれないエレノーラからの『魔王陛下』発言には、ただの軽口と切り捨ててしまってはいけないような、奇妙なしこり・・・をもたらす何かがある。


「……奥様は、発言の意味などの解説はなさらなかったのですよね?」


「母はあの性格なのでな……ちょっと気になることを言って、にこりと笑って、まったく別の話題に行ってしまうという……」


「ああ……」


「母は放任主義というか、出題主義とでも言うのか……常になにかを問いかけており、我は言動すべてでその問いに対する答えを示さねばならん。一見して放任だが、そこには正解を問う意図があり、不正解の場合そうとは言ってもらえぬし、正解してもそうとは言ってもらえぬ、というのか」


 感触のなさ、というのがもっとも端的にアンジェリーナからエレノーラへ抱いている気持ちを表すことのできる表現だろう。


 ……だから魔王としての記憶が目覚めるまでの自分は、親からの『感触』がほしくて暴走していたような気がする。


 母は接触が多く、いつでも微笑みかけてくれて、アンジェリーナをいつもいい子だと褒めてくれる。


 けれど、『感触』がない。


 ……魔王の視点を得て言語化できたのは、あの優しく大人しい母の中にある、巨大な『空間』なのだ。


 自分がなにをしようとも、その多くは母の心に全然届かず、笑っている時も笑っていないような、怒っている時だって怒っていないような、打っても打っても母の心までは響かないほど巨大な、外面と内面とのあいだにある空間……


「今回の婚約話で迷うのは『そこ』なのだ。母がなにを正解と想定しているのか、我は慎重に見極めねばならん。オーギュストに無理難題を出した手前、我はただ座って待てば良いというわけではない。伴侶たらん者として、尽くさせただけ尽くさねば、そもそも順序があべこべだ」


 もともとオーギュスト補助のための婚約継続である。


 オーギュストにばかり手間を割かせるわけにはいかない。

 ……まあ、両親を口説き落としてどうにかしてもらわないと、行動に支障が出そうなので、仕方ない面もあるが。


「大人たちを話にかかわらせると、ようやく『人間社会』というものがいかに複雑怪奇かが見えてくる。……『灰かぶり』殿の明朗さが早くも懐かしく感じる」


「あのお方はちょっと例外的ですけどね……」


「昔はああいう者ばかりだったのだがなあ」


 懐かしむ昔日は、『魔王』として戦いに明け暮れていた時代か。

 あるいは幼少期、すべての者が『子供』でしかなく、家々の力関係などへの意識が薄かった時代か……


 アンジェリーナは目を閉じた。


 制限時間はさほど余裕がないが、考えなければならないことはあまりにも多い。

 むしろ思考力の飽和を狙っているのではないかと疑いつつ、それでも、頭を悩ませるのだった。

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