十章 『離島』にて

第66話 挑発的なリドル

 クリスティアナ島の上空は常にどこか薄暗く、それは工業地帯から立ちのぼる煙が原因であるように思われた。


 この島では大陸で暮らす人々のよく知る『魔法』という概念の他にも『科学オカルト』という概念が重要視されており、それは島の文化形成に大きな影響を与えていた。


 そのもっとも顕著なものが船であり、クリスティアナ島で造られる船は、他の地域ではたとえ解体しても仕組みがよくわからない、というほど『違った』技術体系の上に成り立つものだと言われていた。


 どうにか歓迎のための食事会を早めに切り上げることに成功したオーギュストは、用意された部屋へと通される。


 木材でありながらどこか石材加工を想像させる質実剛健、遊びのない機能最優先というかんじの調度品が、これもいちいち定規で測ったかのようにきっちりと並べられた肩の凝りそうな空間には、先客がいた。


 深い青の長髪を結えて体の前に垂らす髪型をした、長身の貴公子……

 オーギュストの姿を確認して翡翠色の瞳に安堵を浮かべる彼は、バスティアンであった。


 オーギュストに伝令役としてクリスティアナ島へと放たれたバスティアンは、見事に役目を果たし、その後はこちらにとどまっていたのだ。


 だから彼がここにいるのは不自然ではない。


 オーギュストが使う予定の部屋に通されていたのも、バスティアンが学園においては『実質従者』であり、彼自身オーギュストの従者と名乗ることが多いため、『主人の部屋の検分』という理由があれば納得できる。


 しかし……


「バスティアン、君はなぜ執事服など着せられているのですか?」


 少なくとも執事服はバスティアンの持ち物ではないはずだ。

 彼が持っているのはもっと、体のラインが目立たないような、ゆったりしたローブばかりだったと思う。


 しかし、そのシャツにループタイ、スーツにスラックス、さらには白い手袋や革の靴にいたるまで、すべてがあつらえられたようにバスティアンにぴったりと合っている。

 サイズはもちろんのこと、細かな色味、折り方、生地の質感までもが、バスティアンが採寸して発注したものであるかのようなのだ。


 するとバスティアンは翡翠色の瞳で床を掃くようにしてから、観念した息をついて語り始める。


「……実は、その、海に落ちまして」


「……海に」


「落ちまして」


「……なるほど。僕が急がせてしまいましたからね……」


「い、いえ! 殿下が気に病むようなことはなにも! すべては私の不注意なのです! ……ともあれ少しでも身軽たらんとしていた私は荷物もなかったものですから、こちらで服を借りざるを得なかったわけですが……」


 現在まで出ている情報で事情はだいたい明白になったのだが、バスティアンの口ごもりかたを見ていると、まだこの話題の本当に大きな問題をはらんだ部分には触れられていないようだった。


 そう、残っているのだ、謎が。

『なぜ、バスティアンにぴったりのサイズの服があったのか?』という、わりと大きめの謎だ。


 なにせバスティアンは非常に背が高い。

 もちろん世界で類を見ないというほどではないにせよ、同年代の同性と並んでも頭一つ飛び出すぐらいの身長である。

 普段は猫背とゆったりしたローブのせいでわかりにくいが、彼の長い四肢と大きな手足に合ったものを用意するというのは、なかなか難しい。


 もちろん似たような体型の者がいたという可能性は考えられるのだが……

 バスティアンの口ごもり方が、事態をそんなに単純なものではないのだと無言のまま告げている。


 言ってしまえば『たかが服』の話題で、そこまでもったいぶられると、これからなにを言われるんだという不安がどんどん大きくなってくる。


 オーギュストがついにこの慎重で内気な従者を急かすのを耐えきれなくなりそうな頃合いで、ようやくバスティアンは口を開く。


「用意されていたのです、『私の服』が」


「……すみません、ちょっと問題の大きさを理解しかねるのですが……」


「……もっと言うならば、殿下の陣営に所属するすべての者の服が、あったのです。もちろん、殿下のお召し物も含めて」


「……」


 ようやく、バスティアンの抱いている恐れの一端を理解した。


 もちろん『ほとんど来たこともないような場所に自分用の服があった。怖い』という奇妙さから来る恐れもあるだろう。


 だが、問題の本質はそこではないのだ。


 貴族の服というのは基本的にオーダーメイドであり、すべての貴族が家ごとに『御用達』の店を持っている。

 体のサイズというのはそういった店でのみ管理されている、言わば機密情報とも呼べるものであり━━


 クリスティアナ=オールドリッチ家は、その『機密情報』を、握っているのだ。


 しかもその情報は、服を仕立てて用意しておけるほどの時間を確保できるほどに素早く入手され……

 まだ背も伸び、手足にも筋肉がついていくであろう年代のバスティアンに『ぴったり合う』服を作れるほど、最新のデータを、握られている。


 それが採寸された身体的特徴のデータだけとは、とうてい思えない。

 服のサイズ『までも』握られている━━つまり、もっと重要な情報は当然握られている、と思うべきだろう。


「……殿下。この島は得体が知れません。ミス・アンジェリーナの奇矯な振る舞いに覆い隠されたこの島の本質に、誰も気付いていない。いえ、そもそも……ミス・アンジェリーナの振る舞いさえも、隠れ蓑として機能させるために『あえて』やられていた可能性がある」


「……馬鹿な、そんなことは……」


「ええ、私も、ミス・アンジェリーナを疑うわけではありません。けれど、その両親について、警戒をもってあたることは重要ではないかと。……なににせよ、こんな、『お前たちのことはなんでも知っているぞ』と言わんばかりの服をよこすなど、挑発的すぎます」


 挑発的というのは、ここに来るまでにも思ったことだ。


 もともと『王国』であったクリスティアナ=オールドリッチ家は、『いつか国家を割って再びの独立を目指しているのだ』とよく言われている。

 それはもちろん民衆を夢中にさせる陰謀論、ゴシップのうち一つであって、実際にそのような動きがあれば、さすがに国家も無能ではないから、気付く。


 だからオーギュストにとって一番わからないのは……


「……エレノーラ・クリスティアナ=オールドリッチは、いったいなぜ、わざわざ、挑発するような様子を僕に見せるのでしょうね」


 これはおそらく、『アンジェリーナの親』から『娘の婚約者』であるオーギュストに出されたリドルのようなものなのではないかというような気がする。


 ……休暇が終わるまで、あとほんのわずか。


 どうやらこの『リドル』を解かねば、クリスティアナ=オールドリッチからの信頼を得ることはできなさそうだと、オーギュストはその厄介さについ、ため息をついた。

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