第40話 王家

 オーギュストは、執務机の上に載せられた資料を見てつぶやく。


「……『ハンカチ落とし』ですね、これは」


「どういう意味だ?」


「ええと……」


「いや、もちろん『ハンカチ落とし』自体は知っているが!」


 アンジェリーナが慌てて補足したのは、それが淑女として当然知っておくべきものだったからだ。


 ハンカチ落としというのは、夜会などでの『会話のきっかけを作るための技術』である。

 基本的に女性の側から男性に声をかけることを許されていない夜会において、話を振ってほしい男性のそばを通り過ぎ、これ見よがしハンカチを落とす。

 すると男性側はハンカチを拾って『落としましたよ』と女性を呼び止め、そこから『ありがとうございます。まあ! あなたは◯◯家の……』と会話を始める、というような技なのであった。


 もちろん、夜会においてハンカチを落とすというのが、マナーにもとる行為であるのは言うまでもないが……

 一口にマナーと言っても『絶対に厳守しなければならないもの』から『マナーとして設定されてはいるのだが、むしろあえて破るためのもの』までさまざまなものが存在するのだ。


 ハンカチ落としは一度の夜会で一度ぐらいなら許される『マナー違反』であり……

 その本質は、『本来許されない行為をあえてして、望んだ相手に会話などのきっかけを与えること』なのであった。


 すなわち、ベルトランが執務机にわざわざ資料を置いてから、来客に先んじて部屋を出たのは、そういうこと・・・・・・に他ならない━━とオーギュストはアンジェリーナに説明する。


 さて━━『民間伝承集』。


 それは来客も多い執務室に普通に置かれていただけあって、重要な内容が収められているようには思われないものだった。


 実際、まとめられてはいるが大して厚みもないその紙束には、魔道具にまつわる記述はないし、内容に具体性もない、ただの昔話のように思われた。


 けれど、『文脈』というものがある。


 あの流れで、あのタイミングで、いかにも不自然にベルトランが置いていったこの書物が、仮面を被ったエミールが発現したという奇妙な力と無関係なはずがない。


 そして、その伝承集には、たしかに仮面にまつわる━━


 というか。

 祭りにまつわることが、数多く記されていた。


 水の都において毎年行われる、仮面をつける祭り。


 それはオカルト的には『年に一度、死者があの世からこの世にやってくる日だが死者は顔を見られてはいけない決まりがあるので、それに合わせて、全員で仮面をつけ、知らないフリをして死者を歓待する』という意味合いがある。


 伝承集には『祭りの日に、かつて死んでしまった恋人・親らしき人と会話をして、心残りが取り除かれた』『遠くの戦地で消息不明になっていた息子がお別れを言いに来た』などの話がいくつか掲載されている。


 逆に、死者が蘇る日であるのを狙って、どさくさに紛れて生者を死者の国に連れて行こうとする魔物の話もあった。

 そういう話において仮面は生者の魂を守るためのものとして語られている。


 あらゆる話を総括するに……


・祭りの日とは、死者があの世からこの世に来る日である。

・自身を死者か生者かわからなくするために仮面を被る。


 このぐらいが、資料集にあったものの総括だろうか。


「……ふぅむ。……ひょっとして、これ見よがしに置いていっただけで、実はなんのヒントでもなかったのではないか?」


 アンジェリーナが冗談に思えない調子で述べた。


 さすがにオーギュストは苦笑し、


「そんなことはないと思うんですけど……」


「しかし、これらはただの民間伝承を手短にまとめた書き取りでしかなかろう」


「……まあ、隠された意味などはちょっとわからないところですね。暗号のたぐいであり、その暗号を読むだけの情報を僕が持っている……というのも考えにくい」


「うむ。読み取れることといえば……『仮面は他者を魅了する効果があります』という話がない。むしろ反対……目立たないよう、あるいは正体を隠蔽するような作用があるとされた方がしっくりくる」


「そう、ですね」


「つまり、この資料でミスター・ベルトランが我らに示したかったことがあるとするならば、以下のようになる」


「……」


「『うちの息子のエミールは、仮面をつけていても隠しきれないほど、めちゃくちゃかわいい』」


「そんな馬鹿な」


「いや、しかしだな、言われてみればたしかに、かわいいとは思う……」


「まあエミールの線の細さは僕も認めるところではありますが……しっかりしてくださいアンジェリーナ。疲れているんですか?」


「だいたい、死者だの死後の国だのが情報としてノイズなのだ。民間伝承とはそういうものだ、と言われればそれまでだが……死後などと、はるかなる昔から『ある』とは言われていたが、誰もその実在を確認しておらん。そんなところから来る死者だの魔物だのの対策に仮面というのは━━」


「アンジェリーナ? どうしました、いきなり固まって」


「━━そうだ、死後の世界は、ない」


 アンジェリーナは魔王の転生体である。


 つまり、一度、死んでいる。


 それは世間一般で言うところの『死』とは少し違うかもしれない。また、宗教観の問題で、ヒトが死後に行くような場所に、魔族の自分は行かないという可能性もある。


 けれど、死後の世界をキッパリと『ない』と仮定して。

 ……さらに、これ見よがしに置かれていったこの資料にはきちんと『意味がある』と仮定するならば。


「ならば、仮面は、なんのために身につけられるようになった?」


「アンジェリーナ?」


 符合する。

 なにもかもが、ピタリとはまるような、そんな心地がある。


 仮面。仮面は顔を隠すものだ。仮面はなにかを模すものだ。


 死後の世界がないならば、死後の世界、死者の国とはいかなるものを指しているのか。


 根拠と呼べるほどのものは、ないのだろう。

 証拠と言えるほどのものも、用意はできない。


 けれど、アンジェリーナはほとんど確信しながら、


「ここは、この都市で行われていた仮面をつけた祭りは……おそらく、異なる二つの存在が融和するために催されたものだ」


「この伝承からなにを読み取ったのです?」


 オーギュストが真剣な顔になっている。


 アンジェリーナはわけのわからない感動……のようなものに総身を震えさせながら、予測━━確信はあるけれど、あくまでもまだ予断の域は出ていない━━を語る。


「この街は、魔族と人族が交流するための都市だった」


 死後の世界など存在しないなら、伝承において死後の世界とあつかわれていたものは、なんなのか?

 書いてある通りだ。


 魔物。


 生者を死後の世界に引きずり込もうとする魔物。

 ……人族を、自分の領地に連れて行こうとする━━魔族。


 仮面をつけ、着飾ることで、魔族の身体的特徴を『仮装』に偽装する祭り。

 人族と魔族が互いに正体を隠して交流するための催し。


 そして。

 いや、おかしい。明らかにおかしいのだ。でも、思い出してしまったのだ。なぜ今まで忘れていたのかわからなかったことを。


 この予想の通りだと証明するには、大きなもので三つ、クリアしなければならない問題がある。

 でも、アンジェリーナは、語る。


「そして、エミールの祖先には……いや、王家の祖先には、魔族がいる。それも、ただの魔族ではない。……魔王が、いる」


「……それは」


「王家は、魔王と勇者の子供たちだ」

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