四章 王子

第19話 転校生

「あー、というわけで、生徒会の正メンバーはきたる体育祭の準備で忙しい。そこで、見習いであるオーギュスト様ミスター・オーギュスト……オーギュスト殿下プリンス・オーギュストと、ミス・アンジェリーナにお願いしたい」


「なにをだ?」


 書類整理をしながらガブリエルから告げられた言葉には主語がなくて、アンジェリーナは即座に聞き返さざるを得なかった。


 昼休みの生徒会室には生徒会のメンバーがだいたいそろっており、その誰もが忙しそうに書類整理をしたり、一瞬帰ってきたと思ったら書類を持ってまた生徒会室から出て行ったりしている。


 見習いメンバーに仕事を教える余裕さえない様子なので放置されているものとアンジェリーナは思っていたが、それはどうにも違うようで、別な仕事を回す意図があったらしい。


 のんびり昼食をとっていたせいで必要な情報の伝達が抜けているのだろう、ガブリエルの『主語がなくても伝わって当然』という態度をとがめる気はなく、むしろ聞き返すことに一抹いちまつの申し訳なささえ感じていた。


 ところが、ガブリエルは燃えるような瞳を見開き、書類仕事の手を止めて、


「まさか、ミス・アンジェリーナ、知らないのか?」


「知らん。見当もつかん」


「……『転校生』の面倒をみてほしい、というお願いだ。詳しくはオーギュスト殿下がご存知だろう。ご存知ですよね?」


 あまりにも多忙なのだろう、大柄ではあるが童顔なガブリエルは、その快活で柔和な印象をかなり減じていて、体つきなりの怖さみたいなものを全身から発していた。


 オーギュストもそれを察して苦笑し、


「ええ。任せてください。アンジェリーナには僕から言っておきます」


「頼みます。俺は━━おおい! 乗馬部の連中を呼んでくれ! 申請書の記入漏れがひどいぞ! ━━俺はこの通り、ちょっと立て込んでいるので。あまり冷静な対応ができそうな精神状態ではないのでな。すまない」


「察します」


「本来であれば、オーギュスト殿下には俺の手伝いをして仕事を覚えてほしいのだが、回せそうな人材があなたたちしかいない。……よりにもよってこの時期に……まあ、ぼやいても仕方がないか。手配・・だけはしてありますので、頼みます。手筈てはずについては、あちらの書類に」


 オーギュストが肩をすくめてうなずくと、ガブリエルは仕事に集中した。


 書類をとって戦場のような生徒会室を出れば、あたりには静かな雰囲気が戻る。


 きたる体育祭において、書類が集中する生徒会と、もよおしものを行う運動部は忙しいのだが、それ以外の生徒については、その日を楽しみに待つだけの存在だ。


「三つ、疑問がある」


 白く美しく広い廊下を並んで歩きながら、アンジェリーナは包帯まみれの左手の指を三本立てた。


「まず、なぜ体育祭で生徒会はああまで忙しくしている?」


「ああまで忙しいとは思いませんでしたが、理由については、体育祭が『運動部所属の生徒が催すパーティー』として扱われているからだと思いますよ」


「ふむ?」


「パーティーの用意のたびに、家人たちがせわしなく動き回っているのはご存知でしょう?」


「…………」


「失礼。とにかく、家人にとって、自分の家が主催するパーティーというのは、失敗のできない勝負なわけです。なので主催の立場を割り振られた運動部は、これを大成功させるためにアイデアを出し、実行のために人や道具をかき集めます。しかし、体育祭の『主催』は一つの団体だけではない。運動部のすべてが主催の立ち位置に置かれるわけです。つまり……」


「つまり、同時多発パーティーとなるわけか」


「まあ、そうですね。しかし全員が好き勝手やっては、体育祭という枠組み自体が壊れてしまう。そこで生徒会が調整をします。だから、あんなにも忙しい」


「同時多発ということは、競わせる意図もあろうな。当然、すべての運動部がもっともいい位置で、もっとも盛況せいきょうな催しをしたいと考えるわけだ。その調整というのは……なるほど。生徒会所属者が部活動に所属できない理由がわかったぞ」


「さすがです」


「しかし、生徒会の負担が大きすぎるとは思わんのか?」


「だからこそ生徒会所属というのは『学園の外』から見てさえ大きな実績になります。以前、君が語った『生徒会は領主』『生徒はたみ』というたとえ・・・で語るならば、体育祭は『複数村連合のお祭り』です。これを上手に取りまとめれば、領主として王の覚えもよくなる、ということですよ」


「ふむ。楽にやる手段はいくらでもあろうに……やはり人類というのは、ある種のがたさを好んでいるようだな」


「質問は三つと言いましたね。あとの二つは?」


「二つ目は解決した。『なぜ、運動部がせわしなく生徒会とやりとりし続けるのか』であったからな」


「ああ。では、三つ目は?」


「転校生についてだ。これはいくらかの小さい疑問の集合体ではあるが……まず、転校生というのは、ありうるのか?」


 この学園には、王国中の貴族が通っている。


 そう、王国中・・・だ。つまるところ、他に似たような特性を持つ学園などありえるものではないと、予想される。


 ところが転校、すなわち『学校を転じる』ということが起こるならば、他に似たような学校があってしかるべきだ。


 ……もちろんアンジェリーナはアンジェリーナなので、そのあたりの知識が不足しているという可能性は充分に考慮しつつも……

 どことなく不自然であるのもまた、無視できない。


 オーギュストは、その疑問にこう答えた。


「ありえません。貴族の通う学園は、王国にここだけです」


「……しかし、転校生は実在するのであろう?」


便宜上べんぎじょう『転校』と呼称していますが、その『転校生』は平民の出身なのです。なので、これまで我らが通うような学園には、通っていなかったでしょう。平民の活動圏内にも、読み書きぐらいは教わる施設があるはずですが」


「平民がなぜこの学園に? ……ああ、平民に門戸もんこが開かれたことが不満という話ではないぞ。以前までの我であれば、そこを不満に思ったかもしれんが……」


「わかっていますよ。……その転校生はね、四重しじゅう属性の持ち主だそうなのです。炎、水、風、土、すべての属性を扱えるという」


「ほう。この時代にか!」


「ええ。王国始まって以来の才能ですよ。平民にも魔法を使う者はいないでもないですが、やはり魔法の力は血統に左右されるわけで、平民の側に魔法について専門的に教える施設などはなく……ようするに、平民の通える施設では、転校生の稀有けうな才能をつぶしかねないということで、王家に陳情ちんじょうがあったとかいう話ですよ」


「転校生は運と時代に恵まれたな」


「まあ、そうですね。血統に強く影響されるのが魔法属性なのに、平民でありながら四重属性を持っているというのはたしかに運がいい。しかし、時代?」


「戦乱という情勢、あるいはそれに遠くない『人のまずしい時代』において、稀有な才能というのは、潰されるか、利用されるものなのだ」


「……」


「『その才能を活かせるように、教育をほどこすべきだ』と思った者がいた。王家に陳情をすべきだと気付けた者がいた。そして、王家に陳情できる立場の者がおり、王家がしっかりとその陳情に目を通し、『平民を貴族の学園に通わせる』という裁可さいかが降りた」


「そう、ですね」


「これは素晴らしい奇跡だ。善意だけではこうはならん。知識だけでもこうはならん。善意があり、知識があり、王と民とが断絶していない政治的背景がある。だからこそ、その転校生は学園に来ることができた。……ああ、これこそが、平穏であり、平和だ。素晴らしい。本当に素晴らしい……」


 ここは夢見た平和な世界だったのだと、改めて実感する。


 穏やかに生き、幸福に死ぬ。

 その願いをかけるに充分な、かつて勇者に誓われた『未来』がたしかに実現された場所なのだと、確信する。


「転校生に抱きついてやりたい気分だ」


「……まあ、平民の親しい間柄では、そういうあいさつもあるようですし……いいですけれどね。相手も女性のようですし」


「というかオーギュスト、貴様はなぜそんなにも転校生についての情報を持っている?」


「あの、僕としては、なぜ君がそんなにも情報を持っていないかの方が疑問です。学園は転校生の噂で持ちきりで、その情報を耳に入れない方が難しいぐらいの有様じゃないですか」


「そうなのか?」


「男女で授業が分かれている時など、クラスメイトと雑談したりなさらないんですか?」


「そういう相手はいない」


「…………」


「いや、人脈作りの観点から言えば、必要なのはわかる。しかしだな、我が近付くと、みな、急に用事を思い出すので、どうしようもなく」


「あなたが友達を作るための、二つの選択肢を示しましょう」


 廊下を歩きながら雑談している何気ないワンシーンだったはずが、急にオーギュストが足を止めて肩をつかんでくるもので、むやみな緊迫感が漂い始めた。


 雑談しながら歩いているうちにどうやら玄関口に来ていたようだ。


 もはや庭園で昼食をとっていた者たちもすべて引き上げているような時間帯らしく、あたりには誰の姿もなかった。


(というか、我らは、なにをしにどこに向かっているのだ?)


 アンジェリーナはなんとなくオーギュストについてきただけなので、もうすぐ午後の授業が始まるこの時間に、自分たちがなぜ玄関に向かっていたのかを全然知らない。


 たずねようにも、今はそんな雰囲気ではなかった。


 オーギュストは笑顔だ。

 笑顔なのだが、その『圧』が強く、これには魔王アンジェリーナも逃れようと思うことさえできず、その顔を見つめ返すだけだ。


「あなたが友達を作るための選択肢、まずは一つ目。その眼帯と包帯を外して、淑女しゅくじょの言葉遣いをする」


「そ、それはできん! この眼帯は我が魔王の力があふれ出すのを止めるために必要なのだ! 包帯も同様。さもなくば漆黒の魔力が漏れ出しクラスメイトたちが闇の恐ろしさを味わうこととなる……」


「言葉遣いは?」


「我が貴族令嬢らしい言葉遣いに立ち返った方が不気味では?」


「…………では、第二の選択肢ですね」


 不気味というあたりに異論はないらしいオーギュストは、ため息をつき、


「『君との婚約破棄はなくなり、僕は君を正式な婚約者だと自分の意思で認めている』という会見を開く。立場が明確になれば、君を避ける人も減りましょう」


「むう……しかしだなオーギュスト。一度大々的に婚約解消解消を発表してしまえば、これ以降の婚約破棄は難しくなるであろう。なんというか、空気的に……それでは、『これは』と思う伴侶はんりょ候補を見つけた時になんとする?」


「……ねえ、アンジェリーナ。今から大事なことを言います。だから、真剣に、僕を、見てください」


 オーギュストが澄んだ青い目で真っ直ぐに見つめ、


「しっかりと、僕を見て」


 アンジェリーナの眼帯に手を添えて、外そうとする。


(ま、まずい! 催眠ヒュプノ魔眼まがんがッ……!)


 アンジェリーナは眼帯をとろうとするオーギュストの手をつかんだ。


「アンジェリーナ。どうか、そんなもので隠さないで、きちんと僕を見てください」


「いや、だからな? 我が右目には前世の魔王たる魂がまといし魔力により催眠ヒュプノの効果を持った魔眼が発現しており、その漆黒の瞳を見た者は夢へいざなわれるという━━」


「今は、そういうのは、いいので」


「『そういうの』とはどういう意味だ⁉︎」


「とにかくしっかり僕を見てください」


「いや、だからな……⁉︎」


 眼帯をめぐる攻防が始まる。


 オーギュストが眼帯をむしりとろうとする。

 アンジェリーナがその手を押さえ込もうとする。


 だが……


(くッ……力が、強い……ッ! オーギュストめ、だんだんと男らしくなっていっているではないかッ……!)


 アンジェリーナは同年代の中でも小柄な方で、純粋な腕力ではもはやオーギュストに勝てそうもない。


(まずい……! このままでは、オーギュストが……なにかを真剣に言おうとしているオーギュストが、なにも言えぬまま眠ってしまう……!)


(そもそも、眼帯を外すという工程、必要か……⁉︎)


 オーギュストがなんらかの儀礼的意味合いで眼帯外しを試みているのはわかるのだが、オーギュストはこちらを警戒していないので、催眠ヒュプノがめちゃくちゃよく入る。


 このあいだもガブリエルの方に魔眼を向けたにもかかわらず、横にいたオーギュストが先に眠ったので、アンジェリーナは困惑したぐらいだ。


「お、オーギュスト……眼帯は、とらないで……」


「……君が誕生日をさかいに変わったことを、僕は知っています。自分を変えることの難しさを、僕も、知っている。自分を変えるためには、儀式とか、そういうものが必要なのを、知っている」


「オーギュスト……」


「その眼帯と包帯は、君なりの儀式なのでしょう?」


 たしかに魔道具化して魔眼や呪印じゅいんの影響が外に漏れないようにしているので、それは儀式と呼べないこともなく、否定が難しい。


 オーギュストは全部理解している人の顔で微笑み、


「でも、僕は、ありのままの君に、言いたいんですよ。大事なことだから」


(顔が……顔がよすぎる……!)


 オーギュストは女性的な線の細さはそのままに、男性の力強さと、低く優しく耳朶じだを打つ心地よい低さの声を身につけていた。

 ふわふわでサラサラの金髪は一本一本が細くしなやかで、青い瞳はその中にこちらがクッキリ映るぐらいに澄んでいて、深い。


 腰をかがめて顔を近づけてくる彼からは甘いようないい香りがして、眼帯をむしろうと力がこもった左手は、ブレザーとシャツの下にある細いが弱くはない引き締まった筋肉の存在を感じさせた。


 ドキドキする。

 それはたぶん半分ぐらい、全力でオーギュストの手をおさえつけている運動量のせいではある。

 そこに顔のよさでゴリ押してくるものだから、心拍数の上がり方がすさまじく、このままでは心臓がそう長くはもたないものと思われた。


 そんな時だ。


 玄関口で誰かがこちらをじっと見ているのを、発見した。


「オーギュスト! 人が! 人が見ておるぞ!」


 背を向けていて見えていないオーギュストに警告する。


 オーギュストは振り返り、たしかにその姿を認めたらしい。


「……話はまた今度ですね」


 耳元に顔をよせてそうささやいてから、アンジェリーナから離れ、玄関口の人物へ向けて歩いていく。


 そして、


「やあ、お迎えに上がりましたよ。ミス・エマ。━━学園史上初の転校生を、我々は最大限に歓迎いたします」


 なにごともなかったかのように、言う。


 眼帯をめぐる攻防を見ていた転校生は、苦笑いしていた。 

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