三章 とある昼食
第13話 弁当男
学園にはいくつかの庭園があって、それぞれには番号が割り振られている。
その番号はそのままスクールカーストを表しており、王子たるオーギュストとその婚約者にして上級の貴族であるアンジェリーナは第一庭園を利用することが多い。
今日もまた、二人してそこで昼食をとろうという話になっていた。
始まりを告げる『風の季節』が過ぎ去ろうとし、いよいよ『炎の季節』が迫っている。
次第に暑くなりゆく日差しの下、庭園で食事をとろうという生徒たちは
……もっとも、この学園は個々人の能力育成が目的であり、従者を連れ込むことができない。
そこで貴族の子女たちは『自分と親戚であり、年齢も近く、かつ自分より家格の低い貴族』とともに入学し(年齢がぴったり合わない場合は入学年度を『調節』させる)、『実質従者』を用意するのだ。
もちろん誰もが『実質従者』を用意しているわけではない。
現にオーギュストとアンジェリーナは身一つで入学し、これまで過ごしているのだが……
そのオーギュストが、見知らぬ男子生徒から
(ふーむ。たしかに、オーギュストはいつも弁当を持っていたな……)
どこから調達しているものなのかなど今まで気にしなかったが、考えてみれば、王族であるオーギュストが手ずから作っているというのは考えにくい。
また、学園の食堂には購買部があるが、そこで提供されるものは、あのような
となるとやはり手作りの弁当であろう。
(材料さえあれば、学園でも料理自体はできたはず……ああ、いや、そういえば、学外のシェフと契約して作らせている者もあると聞いたことも……だが、そういう感じにも見えん)
では、今、オーギュストに弁当を手渡している生徒の手作りなのか?
そもそも、オーギュストとあの男子生徒との関係はなんなのか?
考えても答えが出そうにない問題なので、アンジェリーナは突撃することにした。
「オーギュスト、そやつは?」
声をかけると、オーギュストと、弁当箱の男はビクリと身を震わせる。
そして弁当箱の男が、ゆっくりとアンジェリーナに向けて振り返った。
深い青の長髪と、輝くような
長身ではあるのだけれど、がっしりはしていない。というかむしろ、細い。不健康な印象を受ける。
長い髪を一本に結わえて右肩から体の前へ垂らす髪型をしたその男は、アンジェリーナと一瞬だけ目を合わせたけれど、すぐに逸らして視線を地面へ落とした。
いかにも気弱そうで、おどおどした少年だ。
弁当箱の男は「あの」とか「その」とかを繰り返すばかりで、名乗らない。
代わりにオーギュストが弁当箱の男を守るように一歩前に出て応じた。
「彼はバスティアンですよ」
口ぶりからして、アンジェリーナが知っていて
だが、魔王としての己が目覚める前のアンジェリーナはオーギュスト以外には興味がない……ある意味
政治的に重要なオーギュストの兄のことも、オーギュスト陣営を
だからアンジェリーナは乏しい記憶から、バスティアンという弁当男のことを推測するしかなかった。
「つまりそやつは、料理━━」
「料理人ではありませんよ」
「━━うむ。そうか。すまぬ。わからん」
オーギュストが苦笑する。
するとバスティアンがヒクつくように笑い、
「い、いいんです。わ、わ、わ、私など、ミス・アンジェリーナの記憶の末席を汚す価値もございません……」
小さく、そして、かすれた声だった。
そのくせ早口なものだから、聞き取りにくい。
バスティアンは視線を落としたまま、
「あ、あの、このお弁当は、敬愛するオーギュスト殿下のお役に立ちたいと思い、あの、作っていたもので、ですから、えっと、ミス・アンジェリーナのご気分を害したようでしたら、こ、こ、
「つまり貴様はなんなのだ?」
「彼は僕の側近候補ですよ。将来の宮廷魔術師です」
オーギュストが代わりに答えた。
アンジェリーナは改めてバスティアンを見た。
(ふむ。物腰とは裏腹に、落ち着いた
などと思ったものの、アンジェリーナは
ただ、己が王であったころの記憶と照らし合わせて、己の宮殿に『もしも敵に押し入られた際に置いておきたい魔術師かどうか』という基準で判断した。
バスティアンは少なくとも、魔力の量と印象において、魔王の
しかしバスティアン当人の自己評価は違うらしい。
「わ、私など、そんな、宮廷魔術師たる器では……! も、も、もちろん、オーギュスト殿下のお役に立てるならばそれはどんなに光栄なことかと思いますが! しかし私は兄らに比べ才能がないだの気が弱いだの
「バスティアンよ」
アンジェリーナが呼びかけると、バスティアンは身をすくませて言葉を止め、輝ける翡翠の瞳でおどおどとこちらを見る。
アンジェリーナは一つため息をついて、
「貴様の自信のなさ、過ぎた
「はあ」
「しかし、貴様を見た者が、貴様とオーギュストの普段の会話がどのようなものと想像するかを、少しばかり
「ど、ど、どういう、ことでしょう?」
「貴様は普段から、オーギュストに、『宮廷魔術師にふさわしくない』だの、『才能がない』だの『役立たず』だのと言われているのか?」
「そんなことはございません! オーギュスト殿下は、このような私を、と、と、友と、おっしゃって……」
「ならば、貴様をあまり知らぬ者の前で、卑屈になるのをやめよ。オーギュストが普段から貴様につらくあたっているのではないかと誤解する者も出よう」
「……あ……わ、私は、そばにいるだけでオーギュスト様の評判を、貶めて……⁉︎ や、や、やはり、私など、おそばにいるのに、適した者では……」
「我はかつて魔王であった」
「は?」
話題展開についていけなくなったバスティアンが目をしばたたかせる。
アンジェリーナは腕を組んでうなずきながら、
「前世の話だ。遠い遠い過去、そこには人類と魔族がおり、勇者と魔王がいた。この二つの存在が対極に位置し互角にぶつかり合うという論調で書かれた書物は多いが、貴様は不自然に思わぬか? なぜ、『勇者』と『魔王』なのか」
バスティアンは救いを求めるようにオーギュストを見た。
オーギュストは優しく笑ったまま『まあ、もう少し聞いてあげて』と手でアンジェリーナを示した。
アンジェリーナは昔日を思い返すかのように目を閉じ、眼帯に隠れた漆黒の右目に、包帯に包まれた左手を当てて、続ける。
「魔王は王だ。だが、勇者は兵士だ。王と兵士がさも互角の存在として火花を散らしたのだと、どの文献も言う。王は王と、兵は兵と戦うのが自然なのに、なぜこの二者だけ、王と兵なのか。不自然には思わぬか?」
「あ、えっと、ええ、ま、まあ、その、は、はい」
「我は当時の状況を振り返って、こう断ずる。『魔王と同じ格を持つ人類が、勇者のみであった』ゆえにだと」
「す、す、すいません、この話は、どこへ、向かっているのでしょう……?」
「知的生命は、己と同じ
「……」
「オーギュストが貴様を友と述べたなら、それは、貴様がオーギュストと同等の『格』を持っているということだ。少なくとも、オーギュストはそう認めたということだ」
「お、オーギュスト様が……私を……ど、同格だと⁉︎」
「そうだ、誇れ。そして、貴様の本来の性質がいかに卑屈であろうと、友としてオーギュストのそばにある時には、貴様を同格と認めたオーギュストに恥じぬ振る舞いを心がけよ」
鮮血のように赤い左目を開き、バスティアンを見つめる。
バスティアンは、翡翠のような輝ける緑の瞳で、オーギュストを見ていた。
オーギュストは肩をすくめて苦笑し、
「言葉にするのは大事ですね。バスティアン。僕はたしかに、君を同格の友だと思っていますよ。……あえて口にするのも、意図せぬ意味を深読みされそうで、言えませんでしたが」
「え、あ、え」
「そうだ、ちょうどいい。昼食を一緒にとりましょう。君がアンジェリーナを怖がるのと、すぐに逃げてしまうので、今まで機会を逸してきましたが……改めて僕の婚約者と君とを引き合わせたい。どうでしょう?」
「あ、あの、その………………つ、謹んで、お受けいたします……」
バスティアンは背中を丸めて、おどおどしながらも嬉しそうに応じた。
オーギュストはそれを見てうなずく。
そんなやりとりを見せられて、アンジェリーナは首をかしげる。
(というかバスティアン、こやつ、オーギュストとどういう深さの関係性なのだ? 事情が全然わからん)
ついつい色々言ってしまったが……
アンジェリーナは色々言えるほど、バスティアンのことを知らないのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます