第5話 閑話 お付きメイドのララ

 アンジェリーナの性格がまったくもって変わり果ててしまったのは、頭を強打した影響だと言われている。


 前世だの魔王だの言い出すようになり、急に眼帯をつけてみたり、先日などは左腕に包帯を巻き始めた。


 医師に見せたところケガもなく、包帯を巻きたがった理由は不明なのだが、アンジェリーナ本人に曰く、


「時おり、左腕がうずくのだ。前世において我は『魔王』であり、その身は魔術そのものであった。ゆえに、我が魂にも数々の呪文が刻まれ、それはこの脆弱ぜいじゃくなる定命じょうみょうの肉体でおさえきれるものではない……くぅッ⁉︎ また、左腕がッ……!」


 家人たちは困惑し、連日連夜、アンジェリーナ対策会議を行わざるを得なかった。


 彼女の両親である旦那様と奥様から、ビシッと言って『ああいう感じ』をやめさせてくれるなら家人一同大助かりなのだが、アンジェリーナの両親は、そういう厳しいことを娘に言わない。


 歳をとってからもうけた一人娘がかわいくて仕方ないらしく、甘やかすことはあっても、厳しくはしないのだ。


 だからアンジェリーナは貴族の中でも有名な・・・性格・・になってしまい、そのせいで先日などは誕生日会という場で王子からの婚約を破棄される羽目になった━━

 はず、なのだが。


(婚約破棄について、うやむやになったままなんですよね。むしろ最近は、オーギュスト王子との仲が深まっているようにさえ感じる)


 アンジェリーナのお付きのメイドであるララは、幼いころからアンジェリーナの世話をしてきた女性だ。

 わがまま放題のアンジェリーナの世話役として長年仕えてきたその有能さと精神力、忍耐力ゆえに、若くして家中でも一目置かれる存在であった。


 その代わりと言ってはなんだが、表情の変化にとぼしく、感情表現というのをいっさいしない。

 その美しい容姿と変わらない表情、さらに彼女が土属性への適性を持つことから『陶器人形ビスクドール』などとひそかにあだ名されている。


(最近はお召し物の趣味も変わられてしまった……以前はピンクや白を好んでいらしたのに、今では黒ばかり……しかもそれまで所持していた衣類を『必要な者に下賜せよ』などと言い出す始末)


 不満はない。不自然なだけだ。


 ララの仕事の大部分はアンジェリーナのわがままによって生じる雑務の処理だ。

 そのためにはアンジェリーナという人物に対する深い理解と考察が必要になる。そうしてわがままを事前察知できるようにしておかないと、いざ始まってからでは遅いのだ。


 ララはそうやってアンジェリーナをある程度コントロールしたり読んだりするのを『遊戯』として好んでいた。


 昔から何事も如才なくこなせるが、愛想がないせいで人から疎まれるというのがララの人生だ。

 上級貴族のお屋敷に上がってメイドになったのも、貴族の前では愛想笑いをしたり自分から話題提供をしたりしなくて済むというのが大きい。


 もちろんアンジェリーナの家に奉公するにはある程度の身分が必要で、ララ自身も下級とはいえ貴族の息女ではある。

 が、縁談の話が持ち上がった時に『誰かの妻として共同生活をしていく』というのが自分に向いていないことを確信し、ちょうど使用人の募集をしていたこの家で試験を受け、それからアンジェリーナの世話係としてかれこれ五年は働いている。


 そしてこんな上級貴族の一人娘のお付きを貴族向けとはいえ広く募集していた意味を知り、『そりゃあ、このお嬢様のお付きは精神を病むわ』と納得し、同時に自分向きだと思い、今にいたる。


 自分ならこのお嬢様をある程度制御できるというのは、ララにとって誇りでもあった。

 ……まあ、本当に『ある程度』で、アンジェリーナが強く執着するものを取り上げたり、といったことまではできないけれど、それはもう、全世界を探しても誰にもできないので、しょうがないとする。


 が、誕生日会で頭を打って以来、お嬢様のことがわからなくなっている。


「ララ、髪は伸ばさんのか?」


 家庭教師による勉強時間の合間、お部屋で休むアンジェリーナから、そんなことを言われた。


 ララの目の前には真っ黒なドレスを着て、右目に眼帯をつけ、肘まで包帯を巻いた左の前腕を剥き出しにした、銀髪に赤い瞳のお嬢様がいる。

 お気に入りだったふかふかクッションのピンク色の椅子は『下賜せよ』とどかしてしまい、代わりに、質実剛健な真っ黒い高級感のある椅子に腰掛けていた。


 包帯を巻いた左手に恋愛小説をもち、脚を組んで肘掛けに肘をのせ、ふんぞりかえるように座るその姿勢は、貴族令嬢というよりも、盗賊団の長とか、将軍とか、そういう雰囲気がある。


 質問があまりに出し抜けで自分の主人をまじまじ見てしまったことに気付いてから、ララは遅れて応じる。


「その、使用人の仕事をするのに、適切な長さと思っておりますが……」


 以前の自分ならアンジェリーナの言葉だけではなく、その裏に潜む意図まで察して適切な返答ができた。

 だが、今は、言葉の上っ面に応じるのが精一杯で、その意図を読めない。


 アンジェリーナは「ふむ」と鼻で息を抜くような声を出してから、開いていた恋愛小説を閉じて、


「貴様の髪は美しい黒だ。我は黒を好む……」


 最近は本当にそうで、ピンクと白に満たされていたアンジェリーナの部屋は、だんだんと黒に染まりつつあった。


「しかし、我の髪は銀なのだ。現世の肉体がなんであろうと不満を述べるつもりはないが、我が前世の記憶からすれば、これは、違和感を覚えざるを得ぬ。そも、瞳にしか属性の色が現れぬ現世の民と違い、我が強大な魔力は頭髪の色にさえ影響を及ぼした。そうして我は、黒という色に見慣れた。ゆえに━━」


 アンジェリーナは立ち上がり、近づいて来る。


 最近の彼女は行動にいちいち『圧』が強く、ララは長年アンジェリーナに仕えている身でありながら、我が方に接近してくる主人に気圧されてあとずさらないよう、必死に耐えねばならなかった。


 すっかり目の前に立ったアンジェリーナは、ララを見上げ、肩口で切りそろえた黒髪に手をやり、


「━━我は、黒を好む。見慣れるというのは、好ましく思うということだ。ララよ、貴様の髪は美しい。伸ばさぬのか?」


「ご、ご命令とあらば……」


 十四歳になったばかりのこの少女に、最近のララは平静な心で接することができない。

 わけがわからなく、圧が強く━━

 鮮血のような赤い目で見つめられると、どうしようもなく心拍数が高まってしまうという、謎の症状にさえさらされているのだ。


 アンジェリーナはゆるく微笑んで、


「いいや。我は貴様に命じるつもりはないぞ。貴様が貴様の意思でその髪を伸ばすまで、貴様を褒め続ける。それだけだ」


「いえ、しかし、わたくしはその……お嬢様のご要望に沿うのが、役目でございますから……」


 こんなことをハッキリ言うのは、ありえなかった。

 命令に従うのが当たり前。要望に応じるのが当たり前。

 そんなことは口に出すまでもなく態度で示すべきものだし、いちいち口に出して告げるというのは、いらない解釈の余地を生みかねない。


 だというのに、最近のララはお嬢様を目の前にすると、いつもの感じになれない。

 陶器人形ビスクドールとさえささやかれた固さ・・はなりを潜め、初めて恋をした少女のように、おどおどしてしまうのだ。


「貴様は難しいな」


 アンジェリーナが一歩離れていく。


 それを惜しいと感じる自分におどろきながら、ララは目を伏せ、あごを引いて、


「申し訳ございません」


「なに、謝罪は不要。……我はアンジェリーナゆえ、アンジェリーナが貴様らにかけた迷惑の補填ほてんをしたいと考えている。家庭教師は『勉学に励んでいただけるだけで充分です』と言う。庭師は『庭園を楽しんでいただけるだけで充分です』と言う。貴様は貴様で、なんの願望も見せぬ。この屋敷に住まう者らは、無欲であるな」


 それはアンジェリーナの急変がこわくて、素直に願望など言えないからだ。


 最近の奇妙な言動と、家人に対する寛大さ、優しさについて、家人の五割ぐらいが『ただの気まぐれで、すぐにもとに戻る』と思い、四割ほどが『なにかの罠だろう』と勘ぐっている。

 もちろん無邪気に『お嬢様は大人になって使用人も人だということを理解されたのだ』と喜ぶ者もあるのだが、『魔王』とか『前世』とか言いながら眼帯をしたり腕に包帯を巻いたりする様子は、『大人……?』って感じだ。


 十四歳。

 なるほど、そういう時期ではあるのだろう。


 けれど、別にケガをしていない腕に包帯を巻いたり━━


 特に色も変わっていない瞳を『黒くなった』と言い張って眼帯をしたり。


 ……それは子供らしい自己顕示欲と承認欲求の発露でこそあれ、大人になったという感じではない。

 だからこそ、いかにも大人らしい気遣いや寛大さとチグハグで、家人たちの大部分は怖がってしまっているのだ。


 お嬢様は誕生日会で頭を打ってから、おかしくなってしまった。

 不満はない。不自然なだけだ。


 ……いや、不自然なだけ、でもない。


「ララ、もっと貴様のことを知りたい」


 陶器人形とひそかに呼ばれているメイドは、視線を泳がせながら返答にきゅうする。


 お嬢様は変わってしまって、おかしくなってしまったが……


 今のお嬢様に気に掛けられているという事実は、なぜだか自分をドキドキさせ━━

 そしてちょっとだけ、光栄で、嬉しい気分にさせてくれる。

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