第四章 デミオの飾る日常

第一節 清正公のお膝元

第41話 白川越えの日常と三号線に敷かれた非常

 本荘方面から北へ抜けていこうとする時、私は日常的に白川を越え、国道三号線の導きに従うようにしている。

 この白川沿いにはいくつもの橋が架かっているのだが、どの橋を通るかによってその景色は大いに変わってくる。

 昔は代継橋を渡って北へ向かい、新代継橋を跨いで家路についていた。

 おそらくこれが最も分かりやすい経路であり、今でも帰りは代継橋の出迎えが快い。

 夜更けにデミオと駆けながら、大学病院の脇を抜けた瞬間に揃って吐く溜息の感動は言葉にするとつまらないだろう。

 晩秋に銀杏の金色が濡れ濡れとし、闇夜に浮かび上がる頃など一日の寂寥感と一年の潮が引いていく思いがして一際感情の抑えが利かなくなる。


あにさん、寂しいからって湯豆腐で飲み過ぎちゃダメですからね」

「そんなことで飲み過ぎてたら、毎晩飲み過ぎになるだろ」


 そうした時に交わされるふとしたやり取りが、翌朝の私の目覚めを助けてくれている。

 電灯の浮かび上がった水面が艶めかしい。


 その一方で、行きがけに使う道はここ三年ほど銀座橋が主役となっている。

 これは代継橋から水道町交差点にかけてはひどい渋滞に巻き込まれることもままあり、橋を二本北側に変えることで進みやすさが大きく変わることに起因する。


「昼間ならいいんですけどね、慣れない朝方に寝惚け眼のあにさんが渋滞にかかったらどうなるか分かりませんからね」

「反論したいところだが、何も言えないのが辛いな」


 九月は頭の昼下がり、大学病院の脇を抜けながら新代継橋の手前で右折する。

 ここから大学病院の裏を抜けて進むのだが、こうした隘路を滑らかに進めるのがコンパクトカーの強みである。

 そして、隘路を行くと僕の活躍見ててくださいよと言わんばかりに、デミオが顔を輝かせる。


「まあ、それも中型のトラックややたら車道の真中寄りを走る車が前にいると、発揮しようがないけどな」

「良いんですよ、あにさん。僕はこの道でいつでもいいとこ見せられるんですから」


 銀座橋の手前で一度赤信号に捕まる。

 普段であればじれったい信号も、ここだけはどこか憎めない。

 晩春には咲き誇る桜が目を潤し、盛夏には万緑が目を楽しませ、そして、初秋には木陰が程よく目を休ませる。

 その後に臨む白川も、八月に雨が多かったこともあり、滔々と水を湛えている。

 大雨の夜などは闇の底から響く川の声が恐ろしく感じられることもあるが、昼間の程よい青空の許では爽やかなテノールの合唱にも聞こえる。


「それにしてもあにさん、次はいつ足を延ばしましょうか」

「そうだな、週末にワクチン接種が待ってるから今週は無理だな。月末に用事があるから県南に行く可能性があるぐらいか」

「あれ、でもその頃って僕、車検じゃなかったですっけ」

「あ、そういえばそうだったな。その時は一人で行ってくるな」


 流石にこの冗談はいけなかったのか、デミオがわんわんと文句を言ってくる。

 なに、代車で遠出する予定などないのだが、ちょっと揶揄ってみたところ手痛い反撃を受けてしまった。


 そうこうしているうちに電車通りを横切り、北署の前を通り過ぎる。

 何か悪いことをしている訳ではないのだが、どうしても萎縮してしまうのはどこか後ろ暗いところがあるというのか、それとも単に小心者であるというだけか。


あにさん、なんだか向こうに車列が続いてませんか」

「そういえばそうだな。まあ、信号待ちと右折レーンに入れなかった車との併せ技で詰まってるんじゃないか。まあ、すぐに動き出すさ」


 余裕を持ってデミオに答えてから信号が二度ほど変わり、それでやっと一台分ほどしか進まぬ現状を見て私はあっという間に焦りに駆られる。

 出社までには十分に時間があるのだが、それは昼飯抜きを意味する。


「流石に不味いなぁ。ヒライに寄ってる間に収まるぐらいならいいんだが、その間に出られなくなったら遅刻確定か。こりゃ、様子見て脇道に逸れるしかないかもしれないな」


 シフトレバーを持て余しながら、少しずつ前へと進んでいく。

 初めの余裕は既にないのだが、それでも、下手に焦って誤ればエンストからの追突に繋がるためその分だけ停車時の車間に余裕を持たせる。

 様子を見ながら右車線に入ったのだが、坪井川沿いを走る選択を失う悪手であった。


あにさん、これきっと事故じゃないですかね」

「だろうな、これでテイクアウト待ちの車列が起こした渋滞なら笑うぞ」

「でも、コストコの近くの渋滞ってありましたよね」

「ありゃ、オープンしたてだったからな」


 こうした時、程よくくだらない話ができるというのは、何とも心地よいものである。

 それもこれも、共に過ごした時間が長くなりつつあるからであり、あの時も山都町に向かう最中に笑いあった。

 噴き出してくる冷房の風に当たりながら頭を冷やし、冷製に車の流れを見極める。


「よし、室園のマックまで濟々黌前から裏道で抜けるぞ、ちょっと気合い入れないとな」

「あの細い道なら、僕もちょっといいとこ見せないとですね」


 息巻いて右折し、一度道を間違えてから濟々黌下を通り過ぎる。

 三号線は常に日常に少し刺激を与えてくれる。

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