第三節 九州のへそに無知を知る
第37話 矢部を貫くいぶし銀
嘉島まで至ると途端に胸が弾むというのは、それより先が私にとっては日常との境目であるからかもしれない。
見上げた先の陽光もどこか微笑ましく感じるというのはおふざけが過ぎるか。
「でも、
「それはそうなんだけど、こう同じものでも別物に感じるじゃないか」
あまりにお馴染みとなっている「おべんとうのヒライ」の前でやり合いながら、南へ向かう車に手を振る。
休みにせよ、仕事があるにせよ、朝からミニかけそばを天かすで満たし、一味を振って胃の腑に収めれば落ち着いてしまうのは如何ともしようがない。
「特別美味しい訳じゃないんだけどな。でも、それくらいがちょうどいい。これで目玉が飛び出るような美食が出たら嫌味になる」
「はいはい。分かりましたから、行きますよ。ほっぺたについた天かすをとってくださいね」
デミオに言われて頬を拭うが、何もない。
悪戯っぽい笑いに、一度銀の身体を小突いてから、私は中へと乗り込んだ。
この日、秋晴れに恵まれた中を二度目の山都町訪問に出ていたのだが、まだ慣れぬ道であったため少し遅い朝食をいただいた。
少しだけ浮かんだ雲が、却って青さを引き立てるのは秋の空の特権である。
窓を開けて駆け始めれば、自然と心のギアが高まっていく。
「それで
「大体は、な。多分、山都町には入れると思うんだが、そこから先はちょっと怪しいかもしれんから、どこかで一度確認しよう」
嘉島から緑川に沿って東へ向かう。
郊外型都市の持つショッピングモールも箱の形をした建物も失せ、やがていかにも語感の心地よい御船の街に至る。
「
「そりゃ、恐竜博物館があるんだから恐竜の像ぐらいあるだろ」
はしゃぎだすデミオを嗜めながら、私が初めて仕事でこの辺りを通った時のことを思い出す。
少々鬱屈としながら、大迫力の恐竜に驚かされ目を剥き、心が躍った。
ここから先は山道だ。
「
「大丈夫だ、そうなる前に崖に突っ込む」
かみましき阿蘇観光サザンルートとされる国道四四五号線のこの範囲は、カルデラの外側にあってその姿の複雑さを存分に見せつける。
初めは御船川に寄り添われながら駆け、やがて絶壁に相対していくのは正に登山と言うに相応しい。
「本当に走るのは僕だけですけどね」
「ハンドルとギアは私が握ってるんだから同じことだろ」
言いながら、確かにデミオがいなければこの山を越えることなど私には不可能であり、照れ隠しに少しだけ頭を掻く。
登坂車線で追い抜く車たちに手を振りながら進めば、九十九折と起伏の先に山都の姿が見えてくる。
「高速でもできれば楽なんだけどな、本当は」
「でも
「確かに、それもそうか。でも、帰りが遅くなっても少し安心できるから本当は欲しいところなんだけどな」
二週ほど前に潜った高架を横目に進み、やや駆け上がって国道二一八号線に入る。
緑のコンビニで道を確かめてから、さらに山都の奥へと踏み込んでいく。
「この辺りは道が広くて走りやすいですね」
「ああ。山並みが目に優しくて、道も走るに優しい。なんだかあまりに恵まれすぎてる感じがするな」
「ですから
デミオに促されてミントガムを口に頬る。
車内を吹き抜ける秋風と共に清涼が至り、頭を明瞭にしていく。
「あ、兄さん、みて下さい。大きなお蕎麦屋さんの看板が見えますよ」
「ああ、そうだな」
「あれ、お蕎麦なのに兄さんのテンションが低いですね。どうされたんですか? もしかしてどこか身体か頭の調子が」
「いや、そうじゃないんだ。ああいった大きなお蕎麦屋さんは大きいからこそ判断が難しいんだ。もちろん、いいお店であることが多いんだが、尖ったお店に入りたい気分の時にはちょっと違うことがある。安定を取るかどうかが、今日この後の散策次第で決まるから落ち着くようにしてるんだ」
「へぇ、でもそれって偏屈って言いますよね」
デミオの一言に一本を取られて進む道はどこまでも平坦で、それでいて色付き始めた山野が飽きさせようとはしない。
その先に道の駅の姿が見えてくると、自然と心が研ぎ澄まされていくような思いがする。
「帰りに寄りますか、あの道の駅」
「ああ。こうやって走ってると、また道の駅かと苦笑しながらついつい寄ってしまうんだよな。その地がどんなところか知れるし、売ってるものの変化も面白い」
「それで、ついつい買い過ぎちゃうんですよね」
「それまでがご愛敬だ。さあ、そろそろ深い山道に入るから気を付けるぞ」
五ヶ瀬川を渡ると、延岡と高千穂の文字が心に残る。
不思議な石碑と堂々たる日向往還の四字熟語を抱え込みながら、注意深く、蘇陽峡の看板を目で追いかけていた。
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