第9話 阿蘇の奥にも 花ぞ咲きける

 立野より国道五七号線をそのまま進み、まずは北の方へと向かっていく。


「北側復旧ルートで行った方が早いんだけどな」

「それだとあにさん、丸野さんに寄れなくなりますよぉ」

「そうだな、行きか帰りかについ寄ってしまうよな」


 まだ真新しい、路面輝く道をデミオは鼻歌交じりで駆動する。

 平日とはいえひどくまばらな車の往来に一抹の寂しさを覚えるものの、右手に広がる絶景に横っ面を引っ叩かれる。

 呆然とする頭と明瞭な意識とが混じり合う奇妙な縦走に戸惑いながら、気付けば蜂楽饅頭ほうらくまんじゅうの看板を視界に納め、阿蘇へ入ったことを実感させられる。

 昨年の十月にここの開通を待つ間、あの看板を呆然と眺めていたのとは違う。


「そういえばあにさん、今日のお昼はどうされるんです?」

「そうだなぁ、あか牛丼とかいいかもしれないな、折角だし。だご汁とかもいいなぁ」

「で、そうこう考えているうちに蕎麦に決まるんですね、あにさん」

「いやいや、流石に蕎麦ばっかり食べるわけないさ」


 掛け合いながら進む私達をまずは桜の木々が出迎える。

 それは染井吉野の柔らかさではなく、山桜の腰を据えた強さであり、それは五年もの間何かを閉ざさざるを得なかったこの地の心そのものを表すのかもしれない。


「ああ、こんな桜もいいもんだな」

「そうですね。これならあにさんと一緒に見られますし」

「お、珍しく素直に嬉しいことを言ってくれるじゃないか」

「染井吉野だとあにさん、お酒飲んじゃってそれどころじゃないですから」


 してやったりという笑いを上げたデミオのギアを落とし、信号停車に備える。

 ハンドルに軽くデコピンをしながら、締めのブレーキを踏んだ。


「そういえば、ここからどうやって行くんです? いつものように内牧の方からですか」

「いや、今日はそのまま五七号線で行く。いつも生活道路を走ってばかりだからな」

「・・・あにさん、迷ったら嫌ですよ」

「いや、国道を進むだけだから、九重連山でやらかしたようにはならないって」


 訝しむデミオをなだめながら、道なりに五七号線を進んでいく。

 木々ときどき民家とでも言いたくなるような沿道に、時として刈り上げられた田圃が姿を現す。

 平日の昼間に差し込む風景としてはあまりにも穏やか過ぎて、思わず欠伸の一つをかいてしまうが、間もなくデミオに不安げな声を浴びせかけられ背を正す。

 ここで煙草を吸えれば絵になるのかもしれないなぁと笑いながら、飲みかけの缶コーヒーを口にして大きく息を吸う。

 春の漲る生気が肺を満たし、何とも心地が良い。


「あ、あにさん、あそこにあか牛丼とか書いてありますよ。あそこでお昼にしたらどうです」

「いや、駐車場に車が多いからこの時間はよそう。密になるといけない」

「じゃああにさん、向こうのお店はどうです」

「そうだな、あれなら――って、定休日だな」

「でしたら、ラーメンとかどうですか」

「うーむ、どうも食指が動かない」


 なら何が食べたいんですか、というデミオの誹りに苦笑していると周りに建物が増えてくる。

 やがて阿蘇の司ホテルを過ぎるとデミオも昼食の話題を出さぬようになり、再び緑に囲まれたかと思うと道が開け、そこを左折する。

 奥に控えた黒を基調とする阿蘇駅に軽く手を振ってから、私は右手にかわしてそこにデミオを休めることとした。


あにさん、傘はいいんですか」

「ああ、小雨がぱらつくぐらいなら走って戻ってくるさ」


 気の抜けた欠伸をしながら見送るデミオを背に道の駅「阿蘇」を覗く。

 通い慣れたものではあるが、動画作成を期によくよく中を眺めてみるとそれなりに私の見落としてきたものが見えるような気がした。


 この道の駅「阿蘇」は阿蘇駅の駅舎に隣接しており、今はその合間をウソップ像が取り持っている。


 剽軽ひょうきんは 英雄然と 阿蘇の夕


 熊本地震で閉ざされた道の奥にある秘境として四年半ほどを過ごしたこの地は、今は驚くほどに熊本市に近くなっている。

 その感動をこの像を象徴として昨年の秋に詠んだところ、くさいからと窓を開けるように笑って言ったデミオの声が今では懐かしい。

 それほどに離れてしまっていたということが過去となりつつある。

 ただ、道の駅の中に並ぶものは熊本とは異なるものが多く、私の購買欲というものが盛んに刺激されるのは変わらない。

 高菜の新漬けなど動画で使わないだろうと笑いながら、気付けばそれが買い物かごに収まっているから不思議なものである。

 面白いのは、この道の駅の奥には座敷が用意してあり、買い求めた弁当や菓子などをそこで頂くことができる。

 畳の香りで肺腑を染め上げ、その中で正座をしながらいただく食事というのもまた乙なものである。


「で、そんな感傷に浸りながら買い物をしていたら、お昼ご飯を買いそびれたんですね」

「ああ。まあ、まだ食べるタイミングはあるはずだから大丈夫だ、きっと」

「もう、あにさん、そういうところですよ、抜けてると言われるのは」


 春雨が一筋二筋とちらつく中、デミオの小言を耳にしながらシートベルトを嵌める。

 この一瞬が、最も一体感を感じる瞬間なのかもしれない。


「よし、いいから行くぞ。次は久木野だ」

あにさん、あまり時間はなさそうですけど、大丈夫ですか」

「ああ。私が寄り道しなければな」


 歩行者にデミオと道を譲ってから、今度は来た道を引き返す。

 曇天もひどく明るく感じられた。

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